NHK 解説委員室

これまでの解説記事

安土城「令和の大調査」 初年度の成果は? 城跡の整備は?

高橋 俊雄  解説委員

織田信長が築いた安土城。滋賀県は今年度から20年計画で城跡の調査と整備に乗り出し、初年度の調査がほぼ終了しました。その成果を中心に、安土城をめぐる調査や城跡の保存・活用について解説します。

m240207_01.jpg

■近世城郭の出発点

m240207_14.jpg

安土城は織田信長が天下統一を進めるなかで、びわ湖に近い小山に築きました。
天正4年、西暦1576年に築城が始まり、3年後には信長が天主に移り住んでいます。
しかし天正10年、本能寺の変で信長が明智光秀に討たれ、天主はその10日あまり後に焼失してしまいました。
滋賀県によりますと、安土城は高層の天主と高い石垣、それに瓦ぶきの建物という3つの要素が、日本の城郭の中で初めてそろった城で、その後の近世城郭の出発点になっています。
日本の城郭の「画期」といえる重要な位置づけになるわけですが、築城開始から天主の炎上までわずか6年。天主がどんな姿をしていたのかは明らかにはなっていません。誰がなぜ火をつけたのか、天主が焼けた原因も定かではないということです。

■発掘調査の成果は?
そこで始まったのが、17年ぶりとなる発掘調査「令和の大調査」です。

m240207_20.jpg

今年度の調査は去年10月に始まり、天主台の北東にあたる場所で315平方メートルを発掘しました。
調査現場は天主台の斜面とその下の平坦な区画で、城の中心部の一角にあたる重要な場所です。斜面では石垣、平坦な場所では建物の状況が見えてきました。

m240207_25.jpg

建物は調査範囲の外まで広がっている可能性があり、規模や役割の解明は今後に持ち越されました。
注目したいのが、礎石の状況です。熱を帯びて変色しています。天主が焼失した際に、ここにも被害が及んでいたと考えられます。ただ、火災の痕跡は礎石のほかにはあまり見当たらず、時期は分からないものの火事場整理が行われたと考えられるということです。

m240207_33.jpg

一方、石垣の石は多くが崩落して、建物があった手前側に堆積していました。落ちていたのは斜面の上のほうの石です。その境にあたる場所には、崩れずに残っていた石の列がありました。
この石の列は高さがほぼそろっていました。この残り具合が不自然なことから、滋賀県はここを境に、上の石を人為的に崩していた可能性があるとみています。

■「廃城」に伴い「破城」?
石を人為的に崩していたとすれば、城の機能が失われたことが目で見て分かるように意図的に城を壊す「破城」が行われた可能性があります。県はそのタイミングとして、「廃城」=城として使われなくなった時期が想定できるとしています。

m240207_37.jpg

安土城が廃城となったのは、近くに「八幡山城」という新しい城が築かれることになったためです。その築城は本能寺の変の3年後、天正13年のことと考えられ、安土の城下に住んでいた人もそちらに移っていきました。
この頃には豊臣秀吉が信長の後継者としての地位を固め、八幡山城には、おいの秀次が入っています。県の担当者によりますと、八幡山城の築城と安土城の廃城は秀吉の意向で進められたと考えられます。今回確認された崩れた石垣は、天下人が信長から秀吉に移っていく過程の一端を示しているのかもしれません。

今年度の調査では、天主が焼失した原因に直接結び付くような発見はありませんでしたが、安土城の「その後」の状況を知るうえで大きな手がかりが得られたと言えます。
滋賀県は2月23日に大津市で、そして3月2日には東京で発掘成果の報告会を開くことにしています。

■屏風はどこに?
「令和の大調査」では、来年度以降も3年かけて天主台周辺の調査を続ける計画です。焼失の状況などがさらに分かってくることが期待されますが、発掘調査だけでは、焼けてしまった天主がどんな建物だったのかを解明することはできません。
そこで鍵を握るのが、絵画や図面といった同時代の資料です。中でも切り札として期待されているのが、「安土山図屏風」という屏風絵(びょうぶえ)です。

m240207_42.jpg

この屏風絵、当時の日記の記述から、信長が城と城下町を狩野永徳に描かせたと考えられ、安土城の全体像の把握につながることが大いに期待できます。ただ、少年4人がヨーロッパに遣わされた天正遣欧使節の手でローマ教皇に献上され、その後所在が分からなくなっているのです。
これまで滋賀県や旧安土町、研究者などのグループが探索を続けてきましたが、確認には至っていません。

m240207_44.jpg

そこで県は改めて所在の確認に乗り出しています。英語やフランス語、イタリア語など6つの言語で「安土城に関する資料を探しています」と情報提供を呼びかけています。
さらに去年5月には、大杉副知事がバチカンを訪れて協力を要請。「できることはすべて行いたい」と協力の確約を得たということです。

■天主の復元は?
ただ、資料が見つかったとしても、天主の復元は簡単ではありません。

m240207_53.jpg

安土城跡は特別史跡に指定され、遺跡の保護が図られています。歴史的建造物を復元するには必然性や十分な根拠など、さまざまな基準をクリアする必要があります。
また、滋賀県が4年前、県民に対して行ったアンケート調査では、安土城跡の整備について「建物復元を進めていく」は4分の1ほどにとどまり、「遺構の整備を進めていく」や「最低限の修景・修復にとどめる」などと意見が分かれる結果となりました。
こうしたことから県は、まずはARやVRを活用したデジタルによる復元を進めることにしています。これであれば遺跡に影響を及ぼすことはありませんし、その後の調査や研究で新たな知見が得られたときも速やかな対応が可能です。
県は、城跡を訪れた人が現地でさまざまな情報に触れることができるスマートフォンのアプリの開発を進め、令和7年度の公開を目指すことにしています。

■城跡の整備は?

m240207_56.jpg

一方、城跡では見学ルートの整備などが進められることになります。例えば天主台は今も見学することができますが、全体的な調査や整備が行われているわけではありません。発掘調査の成果を踏まえて、整備を具体化させていく必要があります。
整備には遺跡の保全が大前提となります。
「大手道」と呼ばれる天主台に向かう石段には、発掘調査で確認された石が露出しているところがあります。道の中央部分は後に復元整備されていますが、年間7万人前後が通る「動線」となっているため、劣化が進んでいるということです。どのように保存していくか、見学者の利便性や安全性も考えつつ再整備を検討していくことになります。

日本の城郭の「画期」に位置付けられる安土城。それだけに、城跡の保存と活用についても全国の城の手本になってほしいと思います。
今回の「令和の大調査」によって安土城の実像がどこまで解明されるか、そして城跡の整備がどのように進むのか。20年という息の長い取り組みになりますが、引き続き注目していきたいと思います。


この委員の記事一覧はこちら

高橋 俊雄  解説委員

こちらもオススメ!