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徳川家康ゆかりの遺跡 どう見せる?

高橋 俊雄  解説委員

遺跡をどのように公開し、多くの人に見てもらうのか。今月始まった大河ドラマ「どうする家康」にあわせて、家康ゆかりの地の事例を中心に考えてみたいと思います。

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■博物館内で遺構を露出展示
徳川家康は戦国大名として今の愛知県や静岡県などに勢力を広げ、関ケ原の戦いに勝って江戸幕府を開きました。
今の静岡市にあたる駿府では、人質、戦国大名、そして大御所と、立場を変えて3回、暮らしています。
その静岡市の中心部、駿府城公園のすぐ隣に、今月13日に静岡市歴史博物館がグランドオープンしました。

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1階の入り口から入ると目に飛び込んでくるのが、長さ33メートルにおよぶ道の遺構の露出展示です。
博物館の建設にともなう事前の発掘調査で見つかったものを、建物の設計を変更して館内に取り込み、プレオープン時から公開しています。
道は戦国時代末期のもので、幅は2.7メートル。土と砂利を固めて作られています。
両脇には石垣があり、その上に塀があったと推定されています。当時は武家屋敷が広がっていたと考えられます。
静岡市歴史博物館の中村羊一郎館長は「こういうものがあるということは全く予想していなかった。保存していかなければいけないが、皆様に見ていただきたい。そこで露出展示という手法をとった」と説明しています。

■保存環境に細心の注意
こうした博物館内での遺構の露出展示は全国的にも例が少ないのですが、保存上の課題もあります。

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もともと地下に埋もれていた部分を露出させると、水分量などが変化して、劣化につながるおそれがあります。また、この博物館には2階と3階には展示室があるので、虫やカビを発生させるわけにはいきません。そこで、地下の水位や土の温湿度を計ったり、状態に変化がないか目視で確認したりしています。
公開することで遺構を傷めてしまっては元も子もありません。静岡市では保存科学の専門家の協力を得て、調査や観察を続けています。

■発掘調査の現場を「見える化」
静岡市歴史博物館の外に出て、すぐ隣の駿府城公園に入ると、発掘調査現場の見学ゾーンがあります。
ここでは市が2016年から4年がかりで約1万平方メートルにおよぶ発掘調査を行い、調査が終了した今も現場を見学することができます。

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調査で見つかったのは、家康が築いた駿府城の天守の土台となる巨大な「天守台」の石垣です。
駿府城の天守台は明治時代に取り壊され、この場所はその後、さら地になっていました。
その下に壊されずに埋もれていた石垣が、調査で姿を現したのです。

■2つの天守台の存在が明らかに
調査では、同じ場所に時期の異なる2つの天守台の遺構があったことが明らかになりました。

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明治時代に壊されたのは、江戸時代の初期、大御所として駿府に戻った家康が建てた「慶長期」の天守台です。
調査ではその石垣だけでなく、これよりも古い別の天守台の石垣も見つかりました。戦国時代末期に浜松から移ってきた家康による「天正期」の天守台です。
天正期の天守台はこれまで確認されておらず、石垣の積み方や瓦の特徴など、城の実像に迫る大きな手がかりが得られました。
この2つの天守台は、場所が重なり合っています。慶長期のものは東西61メートル、南北68メートルと、日本一大きい天守台であることが分かりました。
家康がみずから手がけた天正期の城と同じ場所に、それを大きく上回る巨大な天守を築き上げたことが明らかになったのです。

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静岡市は今後、2つの時期の石垣を両方見せる方向で整備を進める予定です。今よりも近くで見ることができるようにするほか、全体を見渡せる展望場所を設けることを考えています。
また、出土した石の中には劣化が進んでいるものがあり、ひび割れを樹脂で修復したり、汚れを落としたりといった作業も行われています。
保存と両立させる形で「本物」を見てもらえるように整備することは、非常に意義があると思います。

■古戦場をどう見せるか
一方で、そもそも見ることができる「本物」が少ない遺跡もあります。例えば合戦が行われた場所=古戦場です。
城の攻防戦であれば、城が残っていればその様子をイメージすることができますが、野戦の場合、なかなかそうはいきません。
そこでどうするのか。天下分け目の「関ケ原の戦い」の事例をご紹介します。

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関ケ原町は2015年、岐阜県とともに「関ケ原古戦場グランドデザイン」をとりまとめましたが、この中では、古戦場としての雰囲気やイメージが希薄である、史跡の歴史的価値が十分に保全・活用されていない、といった課題が示されました。
そこで打ち出した取り組みの1つが、「景観づくり」です。国の史跡に指定されている場所を中心に、景観の復元や眺望の確保、それに案内板の設置などを進めてきました。

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例えば、家康が戦いの途中で移動したあとの陣跡「徳川家康最後陣地」は、かつては遊具がありましたが、これを撤去して広々とした史跡公園として整備しました。
西軍を率いた石田三成の陣地となった笹尾山では展望デッキを再整備し、眺望の妨げとなる樹木を伐採して古戦場を一望できるようにしました。
また、古戦場めぐりの拠点となる施設として県が整備した「岐阜関ケ原古戦場記念館」が、2020年秋にオープン。合戦にまつわる資料が展示されているほか、5階の展望室からは東軍、西軍の陣跡が見渡せます。ここで「予習」をしたあとレンタサイクルなどで古戦場を回れば、いっそう理解が深まります。
県によりますと、古戦場を訪れる人の数は、整備を始める前の2014年はおよそ14万人。それが記念館の開館効果などで去年はおよそ34万人と、途中、新型コロナによる減少があったものの、一定の増加傾向が見られます。

■ルートを設定 継続的な活用を
こうした遺跡や歴史的な景観を活用する取り組みは、「観光考古学」とも呼ばれています。その提唱者で観光考古学会会長の考古学者、坂詰秀一さんは、活用のポイントについて次のように指摘しています。

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・遺跡は単体で整備するのではなく、自然環境やほかの観光資源も含め、ルートを設定して組み合わせて見てもらう。
・整備を一過性のものにしてはならず、地域ぐるみで継続的な活用を図る。

今回は徳川家康にまつわる遺跡の見せ方についてご紹介しましたが、遺跡を活用する取り組みは各地で行われています。旅先などで遺跡を訪れた際は、その歴史に思いをはせるとともに、「見せるための工夫」がどのように行われているのかについても目を向けてみてはいかがでしょうか。


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高橋 俊雄  解説委員

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