サッカーのワールドカップ大会が、来週から、中東のカタールで開かれます。中東の国が開催国となるのは、長いワールドカップの歴史でも初めてです。カタールとは、いったいどんな国なのか、誘致に成功したいきさつなどについて、中東情勢担当の出川展恒(でがわ・のぶひさ)解説委員に聞きます。
Q1:
出川さん、カタールについて、ニュースで見聞きする機会が増えている一方で、どんな国かについては、まだ良くわかりません。基本的な情報からお願いします。
A1:
カタールは、ペルシャ湾に面した半島の国で、面積は日本の秋田県より少し狭く、人口もおよそ290万人と、とても小さな国です。雨が非常に少なく、国土の大半が砂漠で、夏場の気温は40度を上回るため、今回のワールドカップは、恒例の6月を避け、11月からの開催となりました。豊富な天然ガスや石油の資源に恵まれ、この30年ほどで、目覚ましい経済発展を遂げました。アラブの王族であるサーニ家が支配し、イギリスの保護領となった後、およそ50年前の1971年に独立しました。現在42歳のタミム首長が、すべての権限を握っています。イスラム教スンニ派の教えが国民に浸透し、政治、文化、社会に深く根ざしています。たとえば、お酒を飲むことは固く禁止されていますし、女性は、髪の毛や身体のラインを衣服やベールで隠さなければなりません。そして、南アジアやアフリカなどから、全人口の9割にも及ぶ大勢の出稼ぎ労働者を受け入れています。首都はドーハです。日本代表チームにとっては、1994年のワールドカップ大会への出場を逃した予選の最終戦、イラクとの試合が行われた因縁の場所で、「ドーハの悲劇」という言葉も生まれました。
Q2:
小さい国ながら、急速な経済発展を遂げたわけですね。
A2:
はい。昔は、真珠の生産が盛んで、第2次大戦後に、石油と天然ガスの生産が始まり、とくに天然ガスの埋蔵量は、世界全体の13%も占めるほど豊富です。
豊かな資源がもたらす富で急速な開発が進み、首都ドーハは、現代的な国際都市に生まれ変わりました。私自身も、25年前に初めて訪れた時と、3年前に訪れた時の変貌ぶりに驚かされました。とくに、カタール航空が本拠を置くドーハのハマド国際空港は、巨大かつ最新の設備が揃い、圧倒されます。去年、国民1人あたりのGDP=国内総生産は、およそ6万9000ドルで世界8位。世界27位の日本のおよそ1.75倍です。エネルギー資源の収入で財政も潤い、電気や水道代、教育費や医療費はすべて無料です。そして、日本は、カタールから非常に多くのLNG=液化天然ガスを、タンカーを使って輸入してきました。おととし(2020年)の統計では、カタールにとって最大の輸出相手国は日本で、輸出総額の15%を占めました。急速な経済発展とともに、独自の外交政策を推し進め、中東の国では初めてとなるワールドカップを実現させたのです。
Q3:
独自の外交ということですが、どんな外交政策ですか。
A3:
湾岸のアラブ諸国は、サウジアラビアを中心に、GCC=湾岸協力会議という地域機構をつくり、外交政策で足並みを揃えてきたのですが、カタールは、しだいに独自路線をとるようになりました。サウジアラビアなどとは敵対関係にあるイランとも良好な関係を築き、他のGCC加盟国が脅威と見るイスラム主義組織の「ムスリム同胞団」や、アフガニスタンで実権を握った「タリバン」との関係も維持しています。その一方で、中東では最大のアメリカの空軍基地を受け入れています。中東のさまざまな紛争、たとえば、パレスチナ問題や、イランの核開発問題などで、仲介役を果たしています。また、カタール政府の肝いりでつくられた、アラビア語の衛星テレビ局「アルジャジーラ」が、アラブ諸国の民主化を後押しし、政権側を批判する報道を続けました。このようなカタールの独自外交は、サウジアラビア、UAE=アラブ首長国連邦、それに、バーレーン、エジプトなどの怒りを買い、今から5年前(2017年)には、こうした国々から、国交を断絶されました。しかし、カタールのタミム首長は、経済制裁にも屈することなく、2年前、外交関係の回復に漕ぎつけました。そして、サッカーのワールドカップは、タミム首長が、皇太子時代の2010年、カタールの存在を世界に示すとともに、資源だけに頼らない経済の多角化を図る狙いで、自ら誘致に成功したものです。
Q4:
カタールのような小さな国が、ワールドカップを開催するのは、容易ではないのでしょうね。
A4:
そう思います。今回のワールドカップは、合わせて8つの会場で行われ、カタールの人口の3分の1を上回るおよそ120万人が、海外から観戦に訪れる見込みです。開催が決まってからの12年間で、冷房の施設もある最新鋭のスタジアム7つを新たに建設し、交通網や宿泊施設などの整備を、急ピッチで進めました。3年前には、日本の大手企業などが受注した都市鉄道が開通するなど、ワールドカップに備えたインフラ整備には、日本円で30兆円を超える予算が充てられたと伝えられます。
Q5:
そうした施設はすでに完成したようですが、カタールでのワールドカップ開催については、批判や抗議の声も、主に欧米諸国からあがっているようですね。
A5:
はい。一言で言えば、ワールドカップ開催に伴って広範な人権侵害が起きているのではないかという批判です。
▼まず、スタジアム建設やインフラ整備に携わる外国人労働者が、極めて劣悪な環境で働かされてきたのではないかという指摘です。イギリスの新聞や、国際人権団体は、開催が決まって以来、インド、ネパール、バングラデシュなど南アジア諸国から働きに来た6000人を超える労働者が、建設現場で亡くなったと指摘しています。夏場は40度を超える猛暑の中で、十分な暑さ対策や休息もないまま、酷使され、命を失った。さらには、給料の未払いの問題も起きているなどと批判しています。これに対し、カタールの組織委員会は、そのような事例はごく稀で、犠牲者が6000人を超えるというのは誤報だと否定しています。
▼次に、性的マイノリティの人たちへの差別の問題です。大会アンバサダーを務める、カタール・チームの元代表が、先週(8日)、ドイツのテレビのインタビューで、「性的マイノリティの人たちは、カタールのルールを受け入れるべきだ」と述べたうえで、「同性愛はイスラムの教えに反する行為で、“精神の傷”だ」などと非難したことが、欧米各国で大きな波紋を広げています。イスラム教の保守的な教えが浸透するカタールでは、同性愛は違法と定められ、厳罰の対象となる可能性もあります。国際人権団体は、これを強く問題視し、ヨーロッパのいくつかの都市で、抗議デモも起きています。
これらの問題が、ワールドカップ開催中に大きな抗議運動となって、混乱が起きる事態も心配されています。
Q6:
なるほど。人権問題に、民族や宗教の問題が絡んでいるとすれば、一筋縄では解決できそうにありませんね。
A6:
はい。大会中、海外からやってくるサポーターには、酒類が飲める場所も、特別に設けられるようですが、ひとつ、やり方を間違えると、地元の人々との間で、大きなトラブルを招く心配もあります。FIFA=国際サッカー連盟の前の会長、ブラッター氏が、先週(7日)、スイスの新聞のインタビューに答え、「カタールを開催地に選んだのは間違いだった」と述べるなど、混乱は収束する兆しが見えません。今となっては、大会を中止することも、延期することも、現実的ではありません。参加するすべての関係者が、最大限の注意を払って自制し、世界最高峰の大会が、滞りなく行われるよう、願っています。
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