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ノーベル生理学・医学賞 人類進化研究の第一人者へ!

矢島 ゆき子  解説委員

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先週、今年の生理学・医学賞が発表されました。
受賞したのは、人類進化研究の第一人者、ドイツのマックス・プランク進化人類学研究所 スバンテ・ペーボ博士。沖縄科学技術大学院大学の客員教授でもあります。

◆人類進化研究の第一人者 スバンテ・ペーボ博士 

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スバンテ・ペーボ博士はスウェーデン出身。父親も、父のスネ・ベリストローム博士も、赤ちゃんを出産するときの陣痛をひきおこすプロスタグランジンの研究で、1982年に生理学・医学賞を受賞しています。親子2代にわたっての受賞です。
ペーボ博士の授賞理由は「絶滅した人類のゲノムと人類進化に関する発見」です。具体的には、絶滅した人類・ネアンデルタール人のゲノム完全解読。そして、デニソワ人という、新しい人類を、ゲノムを使って発見したことなどがあげられます。
博士の元で研究していた、東京大学大学院の太田教授にお話しを伺った所、「人類進化研究が受賞するとは思わなかったので驚きました」「昔、彼の論文を読んだとき、彼はずっと先を行っていて、本当にすごいと思った」そうです。

◆ネアンデルタール人のゲノムを完全解読

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今、生きている私たち現代人は学問的に「ホモ・サピエンス」と呼ばれています。今からおよそ7万年前、ホモ・サピエンスの集団がアフリカを出て、世界各地に広がっていった頃に、ユーラシア大陸にいたのがネアンデルタール人などの旧人。これはホモ・サピエンスと別の種類の人類で、これらが共存していた期間があったのです。

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ただ、およそ3万年前にネアンデルタール人は、絶滅。この絶滅した理由は諸説あり、まだ結果が出ていません。

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この絶滅した人類・ネアンデルタール人のゲノムを完全解読することで、どういうことがわかったのでしょうか?
完全解読したネアンデルタール人のゲノムを現代人のゲノムと比べてみたところ、ネアンデルタール人のゲノムの一部が、現代人のすべての人ではないのですが、アフリカ系をのぞくヨーロッパ系・アジア系の現代人はゲノムの1~4%をネアンデルタール人から受け継いでいることがわかったのです。ペーボ博士は「本当に驚きました。アフリカを出た後で、ホモ・サピエンスはネアンデルタール人と種が交わっていたことがわかった」と言います。さらに、ネアンデルタール人から受け継いだ遺伝子の、私たちへの影響もわかってきました。例えば、ネアンデルタール人のPGR遺伝子を受け継ぐと、妊娠のときに子宮の壁が厚くなり、流産する可能性が低くなることがわかったのです。「ネアンデルタール人は絶滅しましたが、彼らの一部は、私たちと共に、今も存在している」とペーボ博士は話していました。
太田教授曰く、「ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは共存していたが、遺伝的な関係はわかっていなかった。博士の研究は、『我々はどこから来たのか』という人類進化の歴史に対する見方を大きく塗りかえた」とのことです。

◆ペーボ博士のネアンデルタール人のゲノム解析方法

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特に注目は、ペーボ博士のネアンデルタール人のゲノムの解析方法です。
ゲノムは、細胞の中のDNA(イラストにある二重らせん構造)に書き込まれた遺伝情報です。

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何万年も前の骨にも、DNAは残っているのですが、死後、短くなったり・変質してしまいます。また、土壌の微生物・細菌や植物のDNA、あるいは、骨の発掘・研究に関わった現代人の汗・皮膚からのDNAなど、余計なものが大量に混ざっています。
今は、私たちは自分のゲノムも簡単に解読してもらえる時代です。しかし1990年代は、PCRという装置はあるものの、まだ大量のDNA配列を読み取る装置・次世代シーケンサーはありませんでした。
微生物・細菌・植物などは明らかに違うものは取り除きやすいのですが、現代人のものを取り除いてネアンデルタール人のDNAだけにするのは難しく、当時、研究者たちは、「ここには現代人のDNAは混ざっていない」という証拠を示そうとしました。しかし、いつも、ネアンデルタール人以外のDNAが混ざっているかどうかの水掛け論になっていたそうです。
そんな中、ペーボ博士は、他の研究者と違い、混ざっているのは当然の前提なんだと言ったのです。太田教授が言うには、まさに「博士の“逆転の発想”」で、当時、誰も思いつかず、本当にかなわないと思ったそうです。

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そして、ペーボ博士は、骨からとれた全てのDNAの断片をありのままに「見える化」しました。
「見える化」した全てのDNAの断片はたくさんのパズルのピースの集まりのようなものです。ただ、どんなパズルが出来上がるかは完成しないとわかりません。そこで、まず、わかりやすい植物・細菌などのピースを集めて、例えば、植物の遺伝情報を定め、取り除き、次は細菌・・・というように解析していったのです。最後は現代人とネアンデルタール人のピースの集まりです。あるネアンデルタール人の遺伝情報の断片・ピースを定めた後、そのパズルのピースにつながる、次のネアンデルタール人の遺伝情報の断片・ピースを探して少しずつつなぎあわせ、ピースが合わない現代人のものは取り除き、ネアンデルタール人の遺伝情報の集まったパズルを完成させたのです。このように、ゲノム解析をしていきました。

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ペーボ博士が「見える化」したのは全てのDNAの断片だけではありません。研究室・研究者・作業も「見える化」。DNAを扱う部屋はクリーンルームにして外気が入らないようにしたり、実験者を限定、出入りのルールを決めるなど、ともかく他のDNAが混入しないようにし、そして初心者でもすぐにできるようにルールを決めていったのです。しかもこの方法を、隠すことなく、世界中の研究者と共有してしまいました。この成果は、ペーボ博士の1997年の論文・ネアンデルタール人のミトコンドリアDNAの解読につながります。そして、これらの経験を生かし、さらに開発されつつある次世代シーケンサーを利用し、2010年、ネアンデルタール人のゲノムを完全解読したのです。
このように、人類の進化も、ゲノムという遺伝情報からも理解できるようになり、ペーボ博士は、「古代ゲノム学」という新しい研究分野を切り開らきました。

◆新しい人類・デニソワ人をゲノムで発見

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そして、もう1つのペーボ博士の大きな業績は、ロシア・アルタイ山脈のデニソワ洞窟で見つかった小指の先端の骨をゲノム解読することで、ネアンデルタール人からわかれた、新しい人類・デニソワ人を発見したことです。アフリカから移動したホモ・サピエンスは、ユーラシア大陸の西側ではネアンデルタール人と種が交わりました。そして、東側では、オセアニア・アジアなどの現代人にデニソワ人のゲノムが1~6%受け継がれていることから、こちらも種が交わっていたことがわかったのです。

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このようにペーボ博士は、様々な発見をしてきました。ただ、最初から全てがうまくいったわけではありません。博士は、大学院生時代の1985年にミイラのゲノムの一部を解析し、論文発表しましたが、このとき、現代人のものが混ざる経験をしているのです。しかし、その後、同じ誤りを繰り返すことなく、25年後の2010年、ネアンデルタール人のゲノム完全解読をし、今回のノーベル賞受賞につながりました。
ペーボ博士は、「研究を突き動かすのは好奇心だ。過去を知るために考古学的な発掘をするように、私たちはヒトゲノムの発掘を行っているようなものだ」と話されています。ペーボ博士をよく知る太田教授は、「博士には25年という年月と研究費、そして、貴重な骨を提供してもらえる研究環境があった。今の研究者は短期的な成果を求められることが多く、改めて研究環境の大切さを感じた」とお話しされていました。

ペーボ博士がゲノムを使い、進めてきた人類進化の研究。もしかしたら、今後、ゲノムを通して、ネアンデルタール人が絶滅した理由がわかるかもしれません。そして、私たちの中に、絶滅した人類のゲノムがあり、私たちの人体・生命の仕組みを知る手がかりにもなっているわけで、それを教えてくれたペーボ博士の研究のすごさを、改めて感じます。

(矢島 ゆき子 解説委員)


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