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繁藤災害50年 その教訓は

清永 聡  解説委員

昭和47年に高知県で起きた大規模な土砂崩れ「繁藤災害」。今年で発生から50年となります。60人の命が失われたこの災害には、いくつかの特徴がありました。半世紀前の災害を忘れずに、被害を未然に防ぐための教訓を考えます。

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【繁藤災害とは】
Q:繁藤災害。聞いたことがありませんでした。どういう災害なのでしょう。
A:現在の高知県香美市土佐山田町の繁藤地区で発生した大規模な土砂の崩壊です。高知県だけでなく、全国の防災関係者の間でも、今なお語られることの多い災害です。

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繁藤災害は昭和47年7月5日に発生しました。山が幅200メートル、高さ100メートルにわたって崩れ落ちました。

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大量の土砂は住宅や人々だけでなく、停車していた列車を川へ突き落としました。活動していた消防団員など60人もの人々が命を落としました。
災害から50年となる先月5日、現場近くの広場で小中学生が折り鶴を捧げました。近くの集会場では、遺族や市の職員などおよそ30人が集まり、犠牲者を悼みました。

Q:山の姿が変わってしまったり、列車が押し流されたりと、とても大きな土砂災害だったんですね。

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A:高知県によると、この時の雨量は1日半で782、5ミリ。土砂崩れは合計5回起きているそうですが、最後の5回目が地元で「大崩落」と呼ばれる災害です。崩れた土砂は実に10万立方メートル。亡くなったのは消防団員や地域の住民など60人。

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追悼の記念碑が立っていた場所は、崩れた土砂を運び込んだ場所だったということです。広大な追悼広場が整備されるくらいの土砂ですから、その規模がうかがえます。

【半世紀たった現場は】
Q:今、現場はどうなっているのでしょうか。
A:私、先日現場を訪ねてきました。50年前に繁藤災害が発生した現場です。当時、土砂はここから崩れて、線路から列車を巻き込んで谷へ流れ下りました。
崩れた斜面も今は木が生い茂って当時の様子はほとんど分かりません。擁壁部分に災害後整備されたコンクリートがありますが、これもよく見ないと気づかないくらいです。
当時の地元の消防団長、西岡統一さん(82歳)は、救出活動中に土砂崩れに遭遇しました。背後に土砂が迫る中を懸命に走って逃げたと振り返ります。西岡さんは当時の様子を「山が裂けた」と表現されていました。
西岡さんは助かりましたが、母親と消防団の仲間を亡くしたということです。

【特徴①雨が弱まって発生】
Q:この繁藤災害。特徴はどういうところにあったのでしょうか。

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A:1つは雨が弱まってから発生したということです。
当時の雨量のデータです。私はさきほど、総雨量782、5ミリといいましたが、時間ごとの雨の降り方はばらばらでした。

Q:1時間に100ミリ近い猛烈な雨が夜中と朝の2時間続いています。

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A:ただし、「大崩落」が起きたのは、こうした猛烈な雨が観測された3時間余り後の午前10時55分でした。この時の時間雨量は、8ミリだったんです。

Q:雨は弱まっていたんですね。

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A:こんなふうに雨が弱まった後に、大規模な土砂災害が起きるケースは、たびたび発生しています。1997年に鹿児島県出水市で発生し21人が死亡した針原地区の土石流。雨がやんでおよそ4時間後に発生しました。雨の間は避難していたものの、やんだために自宅に帰って巻き込まれた人もいました。
4年前の(2018年)西日本豪雨では、天候が回復して復旧作業が進む中、広島県府中町を流れる榎川の上流で土石流が発生しました。

Q:気象庁が「雨が弱まっても土砂災害の警戒」を呼び掛けることがありますが、こういうケースが実際にあるんですね。

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A:繁藤災害もそれまでの記録的な雨で斜面が大量の水を含んで地盤が緩くなっていたとみられます。土の中の水はすぐには抜けないため、斜面の近くなどに住む人は、雨がやんでも無理に自宅へ帰ることはやめてください。

【特徴②二次災害の恐ろしさ】
Q:このほかの特徴はなんですか。

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A:「二次災害の恐ろしさ」です。
こちらは当時の時系列です。午前5時ごろに1回目の土砂崩れが起きます。このため警戒にあたっていた消防団員1人が、今度は午前7時前に起きた2回目の土砂災害に巻き込まれました。
その人を助けようと、西岡さんたち消防団員や地元の人が現場に数多く駆けつけていました。ところが3、4回目の土砂災害が起き、救出作業を中断して少し離れて待機していたところ、午前10時55分に想定を超える5回目の「大崩落」が起きたというわけです。

Q:つまり、仲間を救おうとして、巻き込まれたのですね。

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A:この繁藤災害の痛ましさは、救出作業中の消防団員など地元の人々が二次災害で犠牲になったことにあります。本当に悲しい災害だと思います。
その後、二次災害を防ぐ対策が指摘されるようになりました。
現在は消防庁がまとめている救助活動要領でも、現場の監視に加えて、時間雨量によって活動を停止する基準を作ることなど二次災害防止の取り組みが明記されています。
また、繁藤災害では土砂崩れの前に、斜面から大量の湧水が出ていたという証言もありました。「前兆現象」とみられています。消防庁の要領でもこうした前兆現象に注意するよう明記されています。
ただ、大雨や土砂災害などで救助の際に二次災害をどう防ぐかは、消防の現場では今も常に難しい課題となっています。

【もう1つの教訓「半世紀続く地域への影響」】
Q:今も通じる特徴がいくつもあるのですね。
A:現場を歩いて感じたことですが、繁藤地区も過疎化が進んでいました。特に地区の人口は大きく減っています。もちろん、過疎化はここだけの問題ではありませんが、地元の人によると、人口の減少は災害で地域の担い手が失われた上、移転も行われたことも影響しているのではないかということです。

Q:災害で亡くなった消防団員には地区を支える人材も多かったでしょうね。
A:長い時間がたって、外から見える災害の傷跡は、修復されました。ただ、実は大規模な災害が地域全体にもたらす影響というのは、半世紀たっても消えることはありません。
繁藤災害が今に伝える、もう1つの教訓だと思います。

(清永 聡 解説委員)


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