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新発見 岡本太郎の「原点」示す初期作品!?

高橋 俊雄  解説委員

「太陽の塔」や「明日の神話」で知られる芸術家の岡本太郎が20代にパリで描いたとみられる3点の作品が残されていたことがわかり、今月始まった展覧会で初めて公開されています。いったいどんな作品なのか。そして作品発見の意義とは。

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Q)3点の作品、いったいどのようなもの?

A)縦1メートルから1メートル20センチ、横80センチから90センチほどの大きさの油彩画です。
岡本太郎といえば「芸術は爆発だ」という言葉が有名ですが、3点とも黒や青をベースにした地味な色づかいの抽象画で、「爆発」しているようには見えません。

Q)どういう経緯で見つかった?

A)作品が残されていたのは、フランス・パリ市内で19世紀の末から続く「アトリエ村」です。芸術家が生活しながら作品をつくっている場所で、岡本太郎がここに住んでいたわけではないのですが、親交があった画家がかつて暮らしていました。

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3点はこの中の同じアトリエに残されていたということで、1993年、そこに住んでいた画家がこのうちの1点を廃棄し、これを同じ村に住むデザイナーが拾って保管していました。
翌年、画家が亡くなって遺品がオークションにかけられ、デザイナーは残る2点を購入。その後、購入した作品の裏側に、漢字で「岡本太郎」という署名が残されていることに気づきました。
そこで「岡本太郎の作品ではないか」と日本側に連絡を取り、ことし2月から調査が行われたのです。

Q)どんな調査が行われた?

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A)まずは、署名は本当に岡本太郎が書いたものなのか。残された太郎の筆跡をもとに専門の業者が鑑定を行った結果、「80~90%の確度で同一筆者と推定できる」という結果が出ました。
次に、3点は同じ人物の作品なのか。科学的な調査で絵の具の成分を分析した結果、同一である可能性が高いという結論が出されました。また、キャンバスを調べたところ、糸の数や密度がほぼ同一で、同じ布が用いられている可能性が高いことも分かりました。

こうした調査結果を踏まえたうえで、5人の専門家が太郎のほかの作品と筆遣いなどを比較・検討しました。その結果、「岡本太郎本人が描いた可能性が極めて高いと推察される」と結論づけ、「パリ時代に練習のために描いた作品だろう」とみなしたのです。
調査にあたった岡本太郎記念館の平野暁臣館長は、「極めて貴重で、岡本太郎の歴史を塗り替える大発見です」と話しています。

Q)なぜ「歴史を塗り替える大発見」とまで言えるの?

A)パリ時代の作品は、現物としてはこれまで1点も確認されていなかったからです。

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1911年に生まれた太郎は、18歳のとき船でフランスに渡り、10年間、パリに滞在しました。1940年、ナチス・ドイツの侵攻を受けて帰国し、その後、召集を受けて中国で終戦を迎えます。
戦後、創作活動を再開した太郎は前衛的な作品を次々と発表。1970年の大阪万博で「太陽の塔」を手がけたほか、同じ時期に「明日の神話」も制作しています。
その後も創作を続け、唯一無二の芸術家として活躍しました。
20代の大半を占めるパリ時代は、こうした岡本芸術の出発点として非常に重要な時期にあたりますが、太郎が持ち帰った作品は、東京の自宅が空襲で全焼したため、すべて焼けてしまったと考えられているのです。

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展覧会でもパリ時代の作品は展示されていますが、キャプションには2つの年代が記されています。最初の年に描かれたオリジナルの作品は焼失してしまい、戦後、1949年や54年に自身の手でオリジナルそっくりに再制作されたものなのです。

さらに、この3点は、10年にわたるパリ時代の中でも初期の段階に位置づけられると考えられています。

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1930年、パリに到着した岡本太郎は、翌31年、もしくは32年にパブロ・ピカソの作品を目にして「涙が出るほど興奮した」と衝撃を受け、抽象画を志しました。
1934年の「空間」は抽象画ですが、その2年後、36年の「傷ましき腕」は腕がはっきりと描かれていて、抽象画の枠をはみ出しています。
これに対して、今回の3点は明らかに抽象画、つまり「傷ましき腕」よりも前の時期と考えられます。しかも「空間」と比べるとやや稚拙で、試行錯誤していると判断できることから、「空間」よりも前に描かれたというのが、鑑定にあたった専門家の見方です。
つまり、今回の作品は1931年から33年ごろ、まさに太郎がピカソの作品を見て抽象画を描き始めた20代初めの作品と位置づけられるわけです。

この時期の心境について、岡本太郎は後に「自分の中に毒を持て」という著書の中で、次のように記しています。

「ぼくでもやっぱり迷いつづけていた。自分はいったい何なのか、生きるということはどういうことか」

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20歳を過ぎたばかりの岡本太郎がこのような思いを抱きながらどんな作品をつくろうとしていたのか。調査結果に従えば、今回の3点はまさにその答えの一端を示していると言えるわけです。
岡本太郎記念館の平野館長は次のように話しています。
「岡本太郎は悩みとは無縁の天才芸術家というイメージを持っている人が多いと思いますが、実際の太郎は極めて真面目で努力家だった。岡本太郎は生まれながら岡本太郎だったわけではなく、苦悩と苦闘の末に岡本太郎になった。その一番の根っこが今度の3作品、まさに岡本芸術の生き証人みたいなものだ」

Q)その作品、どの展覧会で見ることができる?

A)今月23日から大阪中之島美術館で始まった「展覧会 岡本太郎」で、初公開されています。
展覧会にはおよそ300点が展示され、岡本太郎の多彩な業績を年代順にたどることができます。
新たに確認された3点は、展示の冒頭、「パリ時代」の作品を紹介するコーナーで目にすることができます。
展覧会は10月2日まで開かれたあと、東京と名古屋に巡回する予定です。
若き日の岡本太郎に思いをめぐらせながら後の作品を見ていくと、岡本芸術への理解がいっそう深まるのではないかと思います。

(高橋 俊雄 解説委員)

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