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偉業達成!車いすテニス 国枝選手がひらく道

竹内 哲哉  解説委員

テニスの四大大会の一つ。
ウィンブルドン選手権・車いすの部、男子シングルス決勝。
国枝慎吾選手は3時間20分に及ぶ死闘を大逆転で制し、38歳にして悲願の初優勝。
車いすテニス・男子シングルスで初めて「生涯ゴールデンスラム」を達成しました。

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【偉業達成!生涯ゴールデンスラム】
Q.国枝選手、素晴らしい勝利でしたね!

A.もう、見事としか言いようがありません。第一セットを奪われ、第二、第三セットもあと1ゲーム落とすと負けるというところまで追い込まれましたが、そこからが真骨頂。攻撃的なプレーを貫いて大逆転につなげました。
「俺は最強だ」と自分を鼓舞し続けて築き上げた「強靭な精神力」を発揮しての勝利だと思います。

【ゴールデンスラムとは?】
Q.これで「生涯ゴールデンスラム」達成ということですが、これはどういったものなのでしょうか?

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A.生涯ゴールデンスラムは、テニス選手がキャリアを通じて、テニスの四大大会である、全豪オープン、全仏オープン、ウィンブルドン選手権、全米オープンをすべて制し、かつ、オリンピックやパラリンピック、国枝選手の場合はパラリンピックですが、その金メダルを獲得することを言います。
どのくらい難しいかというと、シングルスだとこれまで世界に6人しかいません。
男子はアンドレ・アガシとラファエル・ナダル。女子はシュテフィ・グラフとセリーナ・ウイリアムズ。
車いすテニスでは女子シングルスのディーデ・デ フロートとクアードシングルス、クアードとは足だけでなく手にも障害のある選手のクラスですが、そのディラン・アルコットです。
女子ダブルス元世界ランキング1位で、全米・全仏・ウィンブルドンをダブルスで制覇している杉山愛さんに伺ったところ「コートの表面の材質が違うので、それぞれを極めるのは本当に難しい。誰もが成し遂げられるものではなく、本当に尊敬する」と、賞賛していました。

【国枝選手のキャリア】
Q.ただ、これまで数々のキャリアを積み重ねている国枝選手がウィンブルドンで優勝していなかったというのは、意外でした

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A.そうですよね。国枝選手は11歳で車いすテニスを始め、その後23歳で世界ランキング1位になりました。そして四大大会での成績は、国枝慎吾選手の公式ホームページによると、現在の車いすテニスの四大大会を初めて制したのは、2007年、22歳の時の全豪オープンが最初です。その後、2009年に全仏オープン、同じ年に全米オープンを制します。
そしてパラリンピックでは、記憶に新しい東京大会を含め、3度金メダルを獲得しています。
そして、ようやく今回ウィンブルドンでも、優勝することができました。

【なぜ?ウィンブルドンだけ勝てなかった?】
Q.これほどの実績があるのに、なぜウィンブルドンだけ勝てなかったのでしょうか?

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A.理由の一つ目は、ウィンブルドンでは2016年まで車いすのシングルスが開催されてこなかったということがあります。
そして2つ目。これは、国枝選手のプレースタイルと大きく関係がするのですが、ウィンブルドンの「芝」の攻略に時間がかかったということです。
芝だと車いすの前輪が取られやすく、操作に力が必要です。また、芝のコートはバウンドすると球足が速くなるんですが、球が弾まないという特性があります。
そうなると、車いすを巧みに操り、ラリーを得意とする国枝選手の持ち味は封じられてしまいます。つまり、一発でショットを決めるパワーを持った選手の方がやや有利なんです。
そして、もう一つは「若手の台頭」です。今大会で決勝を戦ったイギリスのヒューイット選手やリード選手、アルゼンチンのフェルナンデス選手など、国枝選手と10歳近く歳が離れた外国人選手たちです。
彼らは若くてパワーがあり、しかも、かつては国枝選手にしかできなかった技術、バックハンドのトップスピンも身に着けてきたんです。

Q.バックハンドのトップスピンですか?

A.素人なので許していただきたいんですが、このようにボールに対して、ラケット面がボールを下から上に擦るように当てて振り抜く。そうすると、強くてアウトになりにくく、かつ、バウンドしたときに加速して伸びるボールが打てるようになるんです。
これだけではありませんが、多くの選手の技術を磨いた結果、かつてのような『国枝一強』から『群雄割拠』に変わった結果です。
ほかにも右ひじの痛みに悩まされ、2016年に2度目の手術をしたのですが、その回復に時間がかかったことも要因だと思います。

【パイオニア 国枝慎吾】
Q.そうした数々の壁を打ち破って38歳での偉業達成。勇気を与えてくれますよね。

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A.国枝選手は、25歳のときに日本の車いすテニス選手として初めてプロに転向しました。車いすテニス一本で生活していく道を選びましたが、それは大いなる挑戦でもありました。
いまでも、四大大会の優勝賞金は大会を支えるスポンサーや放映権の違いもあって、関係者によると立ってプレーする優勝賞金の1割にも満たないと言われています。
それでも、国枝選手は長年にわたって車いすテニスの価値を高めようと自らのプレーを磨き続けてきました。杉山愛さんは国枝選手のプレーを「神技の連続」「本当に素晴らしい」とたたえています。
車いすテニスの競技力を押し上げ、世界中にファンを増やした功績は非常に大きいと思います。
そしてプロ・車いすテニスプレイヤーとしての価値を、所属会社から報奨金、東京パラリンピックの金メダルで1億円、今回のゴールデンスラム達成で2000万円を得られるほど高めました。
お金がすべてではありませんが、これは後輩たちにとって“夢の扉”を開いたということだと思います。

Q.こういった評価がほかのパラスポーツの選手にもつながると良いですよね。

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A.そう思います。国枝選手に憧れ、続く若者たち。東京パラリンピック銀メダリストの上地結衣選手や18歳以下の現在世界ランキング1位の小田凱人(ときと)選手などがそうです。
そして、国枝選手はコートの外では次世代の育成にも力を入れています。これも競技のレベルアップをするためです。
また、なかなか車いすだとスポーツをするのが難しいんですが、もっと気軽にスポーツを楽しんでほしいと、障害のある小さな子どもでも使えるスポーツ用の車いすの監修も手掛け、すそ野を広げる活動もしています。

【障害のあるなし関係なく】
Q.パラスポーツ界全体に与える影響も大きいですね。

A.改めていうまでもありませんが、国枝選手の功績は障害のあるとかないとか、そういうことを超えたところ学校の教科書にも載っています。
たとえば、小学5年生の道徳の教科書。「努力と強い意志」を学ぶ単元で国枝選手が掲載されています。国枝選手を選んだ理由を出版元に聞いたところ「スポーツ選手として国枝さんの姿を見て、自分の弱さや困難と向き合う子供たちが増えてくれれば」との思いを込めているということでした。
「勝ち続けることが仕事」と国枝選手は言っていますが、9月に開かれる全米オープンを勝つと、史上初の車いすシングルス年間グランドスラムの期待もかかります。38歳になったいまも進化し続ける国枝選手に今後も注目したいと思います。

(竹内 哲哉 解説委員)


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