◆フランスで行われた「世界最小のカーレース」で日本のチームが初優勝
これは世界各国の科学者が競い合った「ナノカーレース」という大会ですが、そこに出場したナノカーがこちらです。
この紫色の粉がナノカーの実物になります。これだけでナノカー何兆台分、いやよりはるかに多い台数になるはずです。
ナノというのは「10億分の1」を表す単位で、ナノカーは1メートルの10億分の1といったスケールの、つまり肉眼では見分けられないほど小さなものです。
このナノカーがどんな形をしているのか、すごく拡大してみたのがこちらのCGです。
粒々が集まっていますが、この粒1つは原子1個を表していて、黒が炭素、まわりの白っぽいのは水素、青が窒素など、109個の原子からなる人工の化学物質です。
こうしたナノカーの技術を競い合う国際レースが、コロナ禍で2度延期された末に先月開催されました。
◆レースと言うからにはこれが動く?
もちろんこのままで勝手に動いたりはしませんが、ナノカー、あるいは分子マシンといった呼び方もありますが、これらは外部からなんらかの刺激やエネルギーを与えることで動くような性質を持った分子です。
今回のナノカーレースではこうした物質を「走査型トンネル顕微鏡」という特別な装置の中に入れて電気を与えることで走らせます。
この顕微鏡はごく小さな物の表面を言わば電気を使ってスキャンして調べることができる装置です。これを使ってナノカーに電気を与えて動かすわけです。
◆なんのためにそんな小さな物を苦労して動かそうとしている?
こうした技術は今世界的に注目されていて、2016年のノーベル化学賞にもこの分野の先駆けとなった研究者が選ばれています。なぜなら、こうしたナノサイズの物質を自在に動かせれば、例えば、体の中の必要なところにだけ薬の成分を届けられる画期的な治療薬にもつながります。他にも超小型コンピューターや極めて高感度のセンサー、コンパクトなエネルギー貯蔵システムなど、様々な分野にブレークスルーをもたらすかもしれない、と期待されているためです。この大会にはトヨタやフォルクスワーゲンなど世界的な企業も各チームのスポンサーになっています。
◆どんなレース?
こうした分野の技術を競い合い交流も進めようと5年前に初めて国際的なナノカーレースが開かれ、今回は2回目になります。
今回は24時間でどれだけの距離を走れるか?などを競う内容で、世界各国の大学などから8チームが出場しました。ナノ「カー」と呼んではいますが、車の形をしているわけではなく色々な形のものがあって、動かし方も様々です。また、レースと言っても同じコースを一緒に走るわけではなく、それぞれのチームの顕微鏡の中で条件をそろえたコースでナノカーを走らせ、その距離を比べる方式です。
今回日本からは、茨城県つくば市にある物質・材料研究機構のチーム、そして奈良先端科学技術大学院大学もフランスの大学と共同で参加しました。物質・材料研究機構は5年前の大会にも参加しましたが、その時はコンピューターのトラブルで無念の途中棄権となっていて、今回雪辱を期していました。
◆レースの結果は?
物質・材料研究機構のナノカーが全チーム中最長となる1054ナノメートル=およそ1ミリの千分の一を走り、スペインのチームと共に初優勝に輝きました。このナノカーは、ごく小さな世界で物と物の摩擦がほとんどなくなる「超潤滑現象」を上手く利用し、言わばコース上をつるつる滑って動きやすい分子を設計したということで、こうした工夫や優れた操作技術なども加わって好記録につながったと見られます。
奈良先端大などのチームも6位でしたが、前回の大会なら2位に相当する走行距離で、それだけこの5年間で全体のレベルが上がったと言えるかもしれません。
◆レースは世界に生中継された
大会の模様は主催者側がインターネットで生中継したのに加えて、日本でも専門家が日本語で解説を加えるなどして生配信。のべ4万人が視聴しました。
カーレースと言っても車同士が抜きつ抜かれつするのが見えるわけではなく、多くの時間は各国の研究者たちがパソコン画面に向かっていたり、顕微鏡で撮ったナノカーの画像が時々見える程度で、一般の人にはよくわからない内容だったと思いますが、それにもかかわらず、未知の世界への関心の高さや生配信したスタッフができるだけわかりやすく伝えようと工夫していたこともあって、ネット上では相当な盛り上がりでした。
こうしたナノテクノロジーはまだまだすぐに実用化するという段階ではありませんが、大会を通じ各国の科学者が競い合ったり交流も進んで、今後に向けた大きなステップになったのではないかと思います。また生配信を通じて若年層や多くの人が関心を持ち、そこから社会の理解や将来の研究の裾野が広がることにもつながるかもしれません。
画期的な科学技術は、最初は何の役に立つかわからない科学者の好奇心などから生まれたものが多いので、こうした新しい技術へのチャレンジを長い目で見守りたいと思います。
(土屋 敏之 解説委員)
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