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水島新司さん 野球漫画で伝えたかったことは?

小澤 正修  解説委員

漫画家の水島新司さんが1月、82歳で亡くなりました。「ドカベン」や「あぶさん」に代表される野球漫画の第一人者として、野球界に大きな影響を与えた水島さん。作品を通して伝えたかったものはなにか、考えたいと思います。小澤正修解説委員です。

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【多くの人を魅了した水島さんの作品】

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野球漫画の第一人者、水島新司さんは、野球を題材とした作品で、多くの人たちを楽しませました。このうち代表作のひとつ、「ドカベン」は主人公の4番キャッチャー、山田太郎をはじめ、悪球打ちの岩鬼ら個性的なチームメイトをそろえた明訓高校が、「打倒山田・打倒明訓」をかかげるライバルたちと激しく争う物語です。山田は打つだけではなく、優れたキャッチャーでもあり、なにを考えてサインを出し、どうゲームを作るのか、心理描写がふんだんに盛り込まれていました。ライバルを含め、選手1人1人の背景も丁寧に描かれ、エースが主人公となることが多かった当時の野球漫画で、キャッチャーを中心に、選手それぞれが役割を果たして活躍するという、珍しい設定だったと言われています。プロ野球での活躍を含めて、一連の連載の終了まで40年以上続きました。

【長期連載の人気のわけは】

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なぜドカベンはこれほどまでの人気があったのか。その理由は、漫画ならではのイマジネーションを加えながらも、リアルさを追求した野球漫画の先駆けであったことが、大きかったのではないかと思います。「ドカベン」で野球のルールを覚えたという人も多くいます。例えばワンアウト満塁から、スクイズがフライになってしまったケース。塁を飛び出したランナーが複数いた場合に、守備側はどの塁に送球してダブルプレーをとらなければならないか。これを誤ると攻撃側に得点が入ってしまうケースがある、野球の複雑なルールを取り上げた有名なシーンですが、のちに現実の甲子園で同じようなプレーが起きました。元西武の松坂大輔さんは「こんなルールがあったんだと勉強させてもらったこともある。今だからこそ子供たち、指導者の方に読んでほしい」としています。

【“野球の未来を予見”】

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水島さんの作品には、奇想天外に見えても、野球の未来を予見していたかのように、のちに現実となった場面も多いのです。代表作のひとつ「野球狂の詩」の主人公は、50歳をこえた岩田鉄五郎ですが、その後現実のプロ野球でも元中日の山本昌さんが、50代で登板しました。また「ドカベン」、山田太郎の5打席連続敬遠は、のちの甲子園で松井秀喜さんが経験。さらに「ストッパー」という作品には、二刀流の選手が登場。こちらは大谷翔平選手が大リーグの舞台で実現しています。今、野球界では女子野球の存在感が大きくなっていますが「野球狂の詩」で描かれたプロ初の女性投手、水原勇気も近い将来、現実の12球団に誕生するかもしれません。

【あぶさんで見える野球観】

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酒豪の強打者、景浦安武が現実のプロ野球で活躍する物語で、単行本で107巻まで続いた長寿作品でした。連載が始まった昭和40年代、パ・リーグはなかなか観客が集まらず、メディアに取り上げられることも少なかったので、選手が実名で登場するこの作品は、パ・リーグの知名度アップに大いに貢献したとされています。当初、景浦は代打という珍しい設定で、のちに三冠王を獲得し、60歳をこえてもプレーしますが、私はレギュラーになる前のエピソードを中心に、水島さんの野球観があらわれている作品だと思います。

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例えば、普段は代打の景浦が代走で起用されたエピソードがあります。さして足は速くないのに、独断でスタートを切った景浦。

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結果、バッターがヒットを打ち、チャンスは広がるのですが、ノーサインでのプレーに驚いた味方からも「打たなかったら盗塁失敗でアウトだった」と指摘されます。

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試合後、他球団の選手が、なぜ走ったのか、景浦に理由を聞きにきます。

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景浦は、はっきり答えませんが、そこに野村克也さんがホームスチールでチームを勝利に導いたというニュースが飛び込んでくるのです。そして野村さんは漫画の中で「頭を使えば誰でも俊足だ」という趣旨の話をします。

【“代走”あぶさんはなぜ走ったのか】

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景浦が走ったのは、投球がアウトコースであり、右狙いがうまいバッターは「見逃さずに打つ」判断したこと、スタートすればセカンドがベースカバーに入るため、一二塁間が広く空いて、打球がヒットになる確率があがると考えたことが理由だと明らかにされるのです。水島さんの取材は徹底していて、親交がある選手や球団関係者も多く、時には移動する車に同乗して会話を重ねたと言われています。

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こうして身に付いた野球観のもと、水島さんは作品の中で、何気ないプレーを深く掘り下げ、野球は能力にまかせて投げる、打つだけではなく、考えることが大切なスポーツだということを、伝えたかったのではないかと思います。

【作品の背景にあるもの】

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新潟県出身の水島さんは、家庭の事情で高校進学を断念しました。18歳で漫画家となりましたが、その後取材には「野球選手になりたかったが果たせなかった。その夢を漫画で果たそうとした」と話しています。こうした背景もあって、水島さんは、いわゆる「すごい選手」だけを取り上げるわけではありませんでした。実績を残せず戦力外通告を受けた選手、選手以外でもスカウトや、審判、公式記録員、新聞記者、ファンに至るまで、様々な立場の人がどのような思いで野球に携わっているのか、その人間模様を数多く題材としたのも大きな特徴です。「平成野球草子」という作品には、木製バットを作る職人をとりあげたエピソードがあります。

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地元の公立高校で一緒に甲子園を目指すつもりだった幼馴染のバッテリー。

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しかし入学直前、ピッチャーの少年の父親が交通事故で亡くなってしまいます。

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少年は進学をあきらめ、それでも野球に関わることがしたいと、バット作りの職人となります。3年目、進学予定だった高校は甲子園出場を決め、職人は幼馴染から、お祝いに一本、バットを作ってほしいと頼まれます。甲子園は金属バットなのになぜ、と思いましたが、開会式で理由がわかります。

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キャプテンになっていた幼馴染は、地方大会の優勝旗に職人の作ったバットをくくりつけて行進したのです。

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水島さんは、選手だけでなく、野球に関わるすべての人たちの思いを大切にし、そこから野球の素晴らしさを感じてもらおうとしていたのだと思います。

【水島さんの野球界への貢献】
水島さんは野球ファンだけでなく、野球にはさほど関心がなかった人の興味も漫画で引き付けました。野球殿堂入りの候補は、亡くなる前に辞退しましたが、水島さんは作品を通して野球の普及と日本の野球文化の確立に大きく貢献し、いつまでも称えられるのにふさわしい功績を残したのではないかと思います。

(小澤 正修 解説委員)


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