滋賀県多賀町で発掘されたアケボノゾウの化石が、全身の骨の保存状態が良いことなどから、国の天然記念物に指定されることになりました。
「どんなゾウだったの? 日本だけの化石」をテーマに解説します。
【アケボノゾウとは?】
日本にいたゾウの化石というと、ナウマンゾウが有名ですが、そのナウマンゾウよりも、はるか昔、今から200万年ほど前の日本に生息していたのがアケボノゾウです。
アケボノゾウの化石は全国およそ50か所で確認されています。
このうち、天然記念物に指定される滋賀県多賀町の化石は1993年に発掘されました。
陸上の大型哺乳類の化石としては、このアケボノゾウが初めての指定です。
では、一体どんなゾウだったのか、イチから解説したいと思います。
化石が展示されているのは、滋賀県の多賀町立博物館です。
このケースに入っているのは、すべて今からおよそ180万年前の地層から見つかった、本物の化石です。
牙や下あご、胸など全身のおよそ7割の骨が出土しています。
この化石をもとに、全身を再現したものがこちら。
体の割に長くて太い牙を持っていました。
多賀町立博物館の小早川隆館長は、「注目してもらいたいのは、右の前脚。完璧な状態で発見されました。通常、バラバラになってしまいますが、前脚が完全につながった状態で見つかりました」と語り、保存状態の良いことを強調します。
このようなつながった状態での発見は世界的にも珍しいそうです。
【アケボノゾウは“小型ゾウ”】
それにしても、ゾウだけに大きいと思いませんか?
肩までの高さは、推定で2メートル弱。牙の先からお尻までの体長はおよそ4、5メートルあります。
ただ、これでもゾウにしては小型なんです。
例えば、アフリカゾウとアジアゾウ。どちらも肩までの高さがだいたい2、5メートルを超える大きさ、アフリカゾウのオスは3メートルを超える大きさです。
ですから、2メートル弱のアケボノゾウは比較的小型のゾウなのです。
しかし、大昔のゾウがみんな小型だったのかというと、そうではありません。
アケボノゾウの2倍の大きさのゾウもいました。
世界では、過去、150種類以上ものゾウの化石が見つかっているのですが、日本では、そのなかの10種類ほどのゾウが、およそ1900万年前から、入れかわり立ち代わり生息していたと考えられています。
このうちアケボノゾウは、他のゾウと違って、化石が日本でしか見つかっていません。
大陸では発見例がなく、日本で独自に進化した固有のゾウだと考えられています。
アケボノゾウの祖先にあたるゾウは、およそ450万年前に中国大陸から渡ってきたと考えられています。
このゾウは肩の高さが4メートルもある巨大なゾウで、その化石は三重県でも発見されています。
では祖先は大きいのに、なぜアケボノゾウは小型になったのでしょうか。
それは、日本が大陸から離れ、島国になっていったからです。
大型の動物が島に取り残されて進化を続けていくと小型化するといわれています。
これは、土地が狭く食料が乏しいため、効率よく子孫を残していくうえで、大型哺乳類では必ず見られる進化の過程だそうで、専門家はこれを「島しょ化」といっています。
小型化は種を残すための知恵だったのです。
【全身骨格の7割出土】
では、アケボノゾウの化石は全国各地で発見されているのに、なぜ、滋賀県の化石だけが天然記念物に指定されるのでしょうか。
それは、アケボノゾウの骨の一部ではなく、全身骨格のおよそ7割もの化石が出土しているからです。
古代の大型動物は、死んだあと、多くの場合、風化したり、バラバラに散らばってしまったりして、その場に全身が分かる状態で残ることが少ないのです。
このため、7割という割合は、国内で発見されたゾウの化石の中では群を抜いて多いのです。
【なぜ多賀町の化石は残ったの?】
では、なぜ多賀町のアケボノゾウの化石は残ったのでしょうか。
それは偶然が重なったからです。
1つは、巨大な体を一気に土の中に埋めるような自然環境があったという偶然です。
化石が見つかった地層は分厚い粘土層でした。
実は、発掘された多賀町は、今は少し琵琶湖から山の方へ離れていますが、180万年前は、当時の琵琶湖のほとりにありました。ただ、今の琵琶湖のような深い湖では無く、多賀町周辺は湿地や沼が広がっている地域であったと考えられています。
見つかったゾウの化石は、歯の状態などから高齢のゾウだったと考えられていて、この湿地帯で行き倒れになるなどして、沼地の中に沈み込み、短時間のうちに空気から遮断される状態になったのではないかと考えられています。
でも、たとえ全身が短時間のうちに埋まって化石になったとしても、ちょうど、そこを掘り出さないと見つかることはありません。
まさにそれも偶然でした。
およそ30年前、たまたま工業団地の造成工事中に化石は見つかりました。
現場は、かなり広い敷地の中で、たまたま排水のために1か所だけ4メートルほど深く溝を掘って水路を作っていました。すると、ちょうどそこから骨らしきものがあるのを作業員が見つけたということです。
そして、たまたま地元の地学の先生にこれを話したら、「ゾウの化石かもしれない」ということになり、調査をしたら、次々に骨が出てきたという経緯があります。
化石は一見、黒ずんだ古い木のようにも見えるので、作業員が骨かな?とか、化石かな?と思いつくこと自体がまず稀だと思います。
また、地学の教員に作業員が話さなければ、そもそもこの発見はなかったと思います。
気付かずにそのまま工事が進んでいたら、化石はバラバラになっていたかもしれません。
発見当時、発掘にあたった多賀町立博物館の小早川隆館長は、偶然の重なりを大切にし、地元の人たちがしっかり化石を守ってきた成果が天然記念物指定につながったと語ったうえで、「化石は、かつての日本がどんな環境だったのかを教えてくれる地元の宝物。保存状態が良いので進化の過程の研究や、なぜ絶滅したのかなど、日本固有のゾウの謎の解明が進むことを期待したい」と話していました。
天然記念物の制度は、国宝などと同じように、文化財保護法で指定された文化財のひとつです。
これからは地元だけでなく、国民の宝物として、その価値を多くの人に知ってもらい、保存活動がより一層進むことを期待したいと思います。
(名越 章浩 解説委員)
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