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なぜ注目? 世界遺産目指す縄文遺跡群

名越 章浩  解説委員

独特な土器や土偶で知られる縄文時代。いま、縄文遺跡群が世界遺産登録に向けて注目されています。
「なぜ注目? 世界遺産目指す縄文遺跡群」というテーマで、名越章浩解説委員がお伝えします。

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【今年の世界遺産登録は?】
今年の世界遺産登録は、7月に開かれるユネスコの世界遺産委員会で審議される予定です。
日本からは、世界自然遺産と世界文化遺産にそれぞれ1件ずつ推薦されています。

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このうち、自然遺産については、ユネスコの諮問機関が、5月10日、世界遺産にふさわしいとする勧告をすでに出しています。
きょうの解説で注目するのは、もう1つの文化遺産の候補「北海道・ 北東北の縄文遺跡群」です。
こちらも近々、諮問機関の勧告が出る予定です。

【諮問機関の勧告への期待】
この勧告というのは、諮問機関が、世界遺産としてふさわしいかどうかを評価し、その結果を推薦した国に伝えることです。
勧告内容は、「記載」「情報照会」「記載延期」そして、「不記載」の4つあります。
かみ砕いていうと、「記載」というのは、世界遺産として登録がふさわしいという勧告です。
「情報照会」は、登録するにはまだ情報が不十分で書類を追加してくださいという勧告。
「記載延期」は、推薦書を根本から見直して、出直すべきという厳しい勧告です。
「不記載」は、そもそも世界遺産にふさわしくないという最も厳しい勧告です。

この諮問機関の勧告で登録がふさわしいと認められる、つまり「記載」の勧告だと、そのまま世界遺産委員会でもこの勧告が尊重されます。つまり、事実上、登録決定になるということで、地元の自治体や考古学ファンの関心が高まっているのです。

【北海道・北東北の縄文遺跡群とは】
では、「北海道・北東北の縄文遺跡群」とは、どんな縄文遺跡群なのでしょうか。

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地図をご覧ください。4つの道県に点在する17の縄文時代の遺跡群です。
北海道にある大規模な貝塚「北黄金貝塚」。
縄文時代を代表する土偶が発見された、青森県の「亀ヶ岡石器時代遺跡」。
それから、秋田県の「ストーンサークル」とも呼ばれる、石を円形などに並べた「大湯環状列石」。
岩手県の大規模な集落跡「御所野遺跡」など、今からおよそ1万5000年前から、およそ2400年前までの、暮らしや文化、精神性が分かる遺跡の数々です。

縄文時代の人たちは、狩猟・採集・漁労で生活する社会でしたが、それでいて「定住」して集落を作っていました。世界的にみると、多くの場合、稲作などの農耕生活とともに定住が始まるので、狩猟・採集社会でありながら定住するというのは、とても珍しいことなのです。しかも、その時代が1万年以上にわたって続いたという点も特徴です。それを一連で説明できる遺跡が、この4道県に集中しているということで、推薦されています。

【縄文時代の人々の暮らしや文化】
では、具体的にどのような暮らしだったんでしょう。
17の遺跡の中でも、「学術上の価値が特に高い」とされる「特別史跡」に指定されている、青森市の「三内丸山遺跡」を例に、具体的に解説したいと思います。

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三内丸山遺跡は、紀元前3900年から、1500年以上にわたって定住生活したと考えられている大規模な集落の跡です。広さは42ヘクタール。東京ドーム、9個分ほどの広さになります。
大きな建物跡や、およそ2000点の土偶などが出土していて、中でも、有名なのが1994年の発掘調査で見つかった、「大型掘立柱建物跡」です。

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【大型掘立柱建物跡 出典:JOMON ARCHIVES(青森県教育委員会 撮影)2011年】

大きな柱を立てていた直径2メートルの穴が6つ見つかり、そこには、実際、柱の一部も残っていました。調べると、それが直径1メートルの大きなクリの木でした。
クリの木は丈夫なので、柱として使っていたと考えられています。
しかもこれほど大きなクリの木があるということは、当時は、今より温暖な気候だった証拠で、定住しやすかったと考えられています。
そして、木の大きさや地面にかかっていた圧力などを計算すると、当時はかなり大きな建物が存在していた可能性が高いことがわかりました。
現在は、再現した建物が、実際に見つかった穴のすぐ近くに建てられています。

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高さはおよそ15メートル。ただ、紀元前のことですので、「おそらく、当時はこうだったのだろう」という想像の建物です。実際は屋根や壁があったかもしれません。逆に、柱のみで集落のシンボル的なものだったのかもしれません。
しかし、これほどの大きな柱を整然と並べて立てる技術が、すでに縄文時代にあったことは確かで、発掘された当時、驚きとともに大きなニュースになったのです。

実際に見つかった柱の跡は、現在、ドーム型の建物で覆われ、温度や湿度を管理しながら保存されています。私たちも見学できるようになっています。

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【縄文人の技術と自然とともに生きる知恵】
柱の跡を詳しく調べると、その建築技術の高さに驚かされます。
例えば、柱の穴の間隔がそれぞれ4.2メートルで統一されていました。
さらに、穴の幅、深さは、2メートル。
当時、すでに測量の技術が存在していたことを示すものと考えられています。
さらに、残っていた柱を調べると、表面が火で焦がされていました。
クリの木の腐食を防ぐため、表面をわざと焦がしていたと考えられています。
この方法は、現代の建築でも使われるのですが、4000年以上も前の三内丸山の縄文人が、すでにその技術を知っていたということになります。
また、集落には、大型の竪穴住居、高床式の倉庫などが計画的に配置されていたことも分かりました。
さらに、遺跡から出土したクリのDNAを調べたところ、それが栽培されていたものであることなども分かりました。クリの木を管理していたわけです。
ほかにも、マメ類の栽培植物、漆を使った器なども見つかりました。
三内丸山遺跡は、縄文時代の文化が従来考えられていたものよりも進んだものであることを示す大きな発見でした。
このように縄文の人々は、自然の恵みを最大限に生かしながら、定住生活を持続させていたのです。

【世界遺産登録の可能性は?】
では、世界遺産登録の可能性はどうなのでしょうか。

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諮問機関による現地調査が、去年、行われました。調査員の反応は良かったようですので、登録の可能性は充分あると私は思っています。
ただ、エジプトのピラミッドや、中国の万里の長城など、見た目で分かりやすい世界遺産と比べると、縄文遺跡の多くは発掘された後で保存のために埋め戻されているので、価値が分かりにくいという課題があるのは確かです。
また、全国に縄文時代の遺跡が点在する中で、なぜこの地域の遺跡だけなのか、という指摘も以前からあります。
場合によっては、17の遺跡のうち一部が世界遺産として認められないという、条件付きの「記載」勧告が出る可能性もゼロではありません。
勧告は、遅くとも6月4日までには出ます。どんな結果が出るのか、注目したいと思います。

(名越 章浩 解説委員)

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