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「熊本地震被災地に学ぶ共助のヒント」(みみより!くらし解説)

二宮 徹  解説委員

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先月、熊本地震から5年が過ぎました。災害時の助け合い、「共助」について、二宮解説委員がお伝えします。

熊本地震は、観測史上初めて震度7を2度観測するなど激しい揺れが相次ぎ、多くの住宅が倒壊しました。
私は最初の震度7の地震の後、被災地に入りましたが、先月、あらためて西原村などを取材してきました。

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西原村は、熊本空港の近くにあり、人口は6700人ほどです。4月16日の本震で震度7、建物の約8割が全半壊し、揺れによる直接の死者は5人でした。当時、河原地区と大切畑地区で行われた共助と今をご紹介します。

<みんなで役割を分担した避難所>
当時、地区の避難所となった河原小学校には、多い時で700人以上が避難する中、子どもからお年寄りまで役割を分担していました。私は当時、その活気ある様子に驚き、何度か密着取材させていただいたのですが、被災直後から米や野菜、プロパンガスまで持ち寄り、温かい食事を食べていました。

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調理は小学校の給食の調理師がリーダー、元自衛官の男性が配給の仕方を考え、一列でスムーズに受け取れるようにしていました。中学生は小さい子どもの遊び相手を務めました。
避難所というと、たいてい元気がないように見えるのに、ここはとても明るい避難所でした。
当時、村役場に勤め、この避難所の運営リーダーだった堀田直孝さんです。以前から大地震が起きれば県や村の支援はしばらく来ないと覚悟していて、最初から皆で支え合おうと呼びかけたのです。

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<共助が進んだ理由>
そして、助け合いが広がっていったのには、ある合言葉の力も大きかったと思います。

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「うちは助けを待つだけの避難所じゃなか」です。
看護師の資格を持つ人を救護班、炊き出しに名乗り出てくれた人を調理班などと決めるにつれて、自分も何かしたいという人がどんどん増えていき、結果的に多くの人に役割ができたと言います。
小学生が床の掃除をしたり、荷物運びを手伝ったりしました。「がんばろう!河原!」と寄せ書きをした横断幕は高校生が思いつきました。
それだけではありません。お年寄りはみんなに「ありがとう」と言葉をかける、赤ちゃんは「泣いて元気だと知らせる」のが役割ということにしたのです。
取材に行くたびに、玄関にあるたくさんの靴をいつも誰か揃えていて、きれいだったのも印象的でした。
そして、5年たった先月、久しぶりにお会いした堀田さんは、次の災害に備えた活動をしていました。

<経験や思いを次の世代に継承>
堀田さんは、先月15日、河原小学校で当時のことを話す特別授業をしました。

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当時をあまり覚えていない子どもたちを前に、「あの時は中学生も何か役に立ちたいと言って、小さかったみんなのお世話をしてくれました。次の災害が起きた時、自分は何ができるか考えてみよう」などと話しました。
堀田さんは「明日か10年後かわからない災害に備えて準備することが大切だとを伝えたい。備えには知識の備え、モノの備えがあり、そうした備えの大事さをわかってほしい」と話していました。

今では、この河原小避難所の共助は、熊本県の防災教材に「明るいひなん所」として掲載されています。

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今、災害が起きれば3密回避のため避難所を増やさなければならず、運営にあたる行政の人手も足りなくなるので、こうした避難所が全国に増えてほしいと思います。

<大切畑地区の全員救助>
続いて、西原村で実際に命を救った共助を紹介します。

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当時の住民およそ80人の小さな集落・大切畑地区です。9割近い住宅が全壊し、9人が下敷きになりましたが、
全員が近所の人たちに救助され、犠牲者は一人もいませんでした。
このうち、大工の男性は崩れた家の梁に頭を挟まれて動けなかったところを、駆け付けた住民たちに救出されました。助けが来る前は「意識がもうろうとして、『子どもたちを頼む』と妻に伝えた」と話していました。

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事前の備えや訓練がこの全員救助につながりました。
まず事前に決めた集合場所に、誰が来ていないかを確認し、直ちに救助に向かいました。
しかも、前の年の防災訓練で、屋根に穴を開けて救助する方法を習っていました。
日頃から消防団の活動に熱心で、チェーンソーやジャッキなどを揃え、役割分担も決めていました。
そして、小さな集落だからかもしれませんが、互いにどこで寝ているか、日頃の付き合いで知っていたことも迅速な救助につながりました。

屋根に穴を開ける方法まで習った訓練は、消防の救助が間に合わないことを想定して村役場が開いた訓練でした。特に古い木造住宅が多い地区では、ここまで備えておく必要があると思います。

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先月、大切畑地区に伺ったところ、5年に及んだ復興工事が完了し、記念碑が建てられていました。そこには「奇跡の集落」と記されています。河原小学校も「奇跡の避難所」と呼ばれたことがありますが、いずれも偶然、奇跡が起きたわけではありません。
救助や支援を待つだけではなく、自分たちの命や暮らしを守ろうという強い意志と具体的な備えがあったからです。

<都会やマンションの共助は?>
まさに理想の共助ですが、都会やマンションでここまでできるかというと、難しい面もあります。最近はコロナ禍で買い置きを増やすなど、在宅避難につながるような自分の備えをする人も増えていますが、近所付き合いが少ないと、共助はハードルが高く感じるかと思います。
そこで、みみよりポイントです。まずは近所どうしやマンションで話し合ってみるのはいかがでしょうか。
集合場所や安否確認の方法を決めておくことはできると思います。例えば、家具の下敷きになって手元にスマホがないだけで誰にも気付いてもらえないなんてこともありえます。何人かで確認しあうように決めておくといいと思います。
町内会やマンション単位で防災や救助用具の補助をしている自治体もあるので、行政にも相談してみてください。
今回、ご紹介した西原村の共助は「村だからできたこと」ばかりではありません。いざという時の助け合い。できることから一歩、踏み出してほしいと思います。

(二宮 徹 解説委員)

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