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熊本城の天守閣公開へ 復旧はどこまで進んだの?

名越 章浩  解説委員

2016年4月の熊本地震で大きな被害を受けた熊本城。あれから5年。いま、復旧の状況はどうなっているのでしょうか?
名越章浩解説委員が解説します。

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【熊本地震での被害】
5年前の地震では、天守閣の屋根瓦や、てっぺんにあった2つのしゃちほこが落下して、砕けました。また、至る所で石垣が崩れたほか、櫓(やぐら)や門など、国の重要文化財に指定されている13の建築物すべてに深刻な被害が出ました。

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【天守閣内部は26日から公開】
では、今は、どうなっているのでしょうか。
復旧はまだ一部にとどまっているのです。

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ただ、熊本城の顔となっている天守閣については復旧工事が完了し、ついに4月26日から内部の一般公開が始まります。
もともとの天守閣は西南戦争の際に焼けてしまったので、今ある天守閣は鉄筋コンクリートで再建されたものです。今回、地震対策も取り入れながら、復旧が進められました。
どのように変わったのか、具体的に解説したいと思います。
熊本城は、大小2つの天守があり、外観については、去年の夏までにほぼ復旧。軽量化した瓦を使うなどして耐震性を高めました。
そして内部の工事がことし3月、完了しました。

新しい天守閣では、「天守」の歴史がクローズアップされた展示内容に大きく見直されていて、400年ほど前の築城から、西南戦争の際の焼失、そして昭和35年、1960年に天守が再建されたことなどが、時代ごとに分かるようになっています。
そして、これまでと違って、新たな役割が備わっているのが特徴です。
それが「みみよりポイント」。
「地震の歴史や震災の教訓を伝える」です。
地震関連の展示内容が新たに加わったのです。
5年前の熊本地震だけでなく、熊本は、明治22年にも、同じ規模の大きな地震に襲われていて、その2つの地震に関する展示内容となっています。
そして、お城としては珍しいものが見られるようになっています。
「ダンパー」を組み込んだ装置が、お城を支えているのです。
地震発生のときは、揺れにともなって繰り返し伸縮することで、地震のエネルギーを軽減することができます。
超高層ビルでも使われる「制振」という工法で、あえて見える形で設置していて、そこを見学コースの一部にしています。
いわば、「地震対策の見える化」です。

【今も多くの場所が立ち入り規制区域】
では、天守閣以外の復旧はどうなっているのでしょうか。
天守閣の復旧が最優先でしたので、そのほかの多くは「まだこれから」という段階です。
熊本城の敷地は、二の丸、三の丸などを合わせ、実に東京ドーム21個分の広さがあるのですが、その多くの区域は、今も立ち入りが規制されています。
天守閣に通じる見学用の通路はあるものの、そのほかは工事車両が通ったり、石垣が崩れたままになっていたりするため、規制が続けられているのです。
13ある国指定の重要文化財も、この中にあり、すぐ近くで見ることはできません。

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このうちの1つ「長塀」は、直線で残る文化財の塀としては日本で最も長いとされている貴重な塀ですが、地震で倒壊しました。それが、ことし1月には復元が終わりました。
熊本城の国指定の重要文化財で、地震後に復元されたのは、この長塀が初めてです。

次に、同じく国の重要文化財の「平櫓」は、どうなったのでしょうか。
1860年頃、江戸時代の末期に建てられた櫓で、地震による倒壊は免れましたが損傷がはげしく、3年前に取材に行ったときはいつ倒れても不思議でない状態でした。
それが、今回取材に行くと、石垣の上の櫓が無くなっていました。
昨年度解体されたということです。そして、新たに、石垣の横に巨大な鉄の構造物が立っていました。
取材すると、石垣が崩れそうになっていたので、これ以上、崩れないように押さえているということでした。
今後、石垣を積み直して、その後、櫓の復元に取り掛かることになります。
ほかの重要文化財も同じような状況で、復元できるのは当分先になりそうです。

【石垣の積み直し作業が始まるところも】
一方、今年度から石垣の積み直しの作業が始まるところもあります。
飯田丸五階櫓です。
かつて熊本城本丸の南西側の防衛の要所だった所です。

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地震発生1年後の飯田丸五階櫓

地震発生当時は、角にある石垣が1本だけ崩れずに残って建物を支えていたので、ヒヤヒヤしながら見守ったという人も多いのではないでしょうか。

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 現在の飯田丸五階櫓

今回取材に行くと、櫓がすでに解体されていました。部材は別の場所に保管されているそうです。
土台となっている石垣を積み直す作業は、今年度から始まります。

【ほぼ手つかずの場所も】
一方、この5年間、ほぼ手つかずのところもあります。
天守閣から歩いて数分のところにある「戌亥櫓」です。

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地震発生1年後の戌亥櫓

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今月撮影した戌亥櫓

震災から1年たったときに私が撮った写真と、今月、取材したときの写真を比べてみると、雑草が増えただけで、そのほかはほぼ変化が無いことがわかると思います。

この櫓は平成15年に復元された建物なので、優先順位としては後回しになっていました。
しかし、今年度、この櫓も解体する予定になっています。

【全体の復旧は2037年度予定】
少しずつではありますが、復旧が進んでいる印象です。
ただ、熊本城は至るところで石垣が崩れましたので、このあとの石垣の積み直しが大変です。
というのも、石垣が文化財指定を受けているからです。

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単純に石を積み重ねるだけでなく、崩れた石1つ、1つに番号を振って、被災前の写真と照らし合わせながら積み戻すことになり、時間がかかるんです。
崩れたときに割れてしまった石があった場合も、同じ形の石を作り、元通りにしなければなりません。
石垣も含めた、すべての復旧工事が終わるのは、熊本市の計画では、16年後の2037年度の予定です。
熊本城の復活は、地元が復興のシンボルと位置付けていますから、被災者を勇気づけるためにも1日も早い全面復旧を期待したいと思います。

(名越 章浩 解説委員)


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