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「東日本大震災10年 どうなる郷土芸能の復活」(くらし☆解説)

名越 章浩  解説委員

東日本大震災では、地域に伝わる郷土芸能にも、大きな被害が出ました。

名越章浩解説委員が解説します。

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【郷土芸能とは】

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郷土芸能は、地元のお祭りなどで披露される伝統的な舞や歌などの無形民俗文化財で、地域のくらしとも密接に関わりながら、独自のスタイルで根付いている文化です。
東日本大震災で特に被害が大きかった岩手・宮城・福島の3県の沿岸の地域には、震災前、分かっているだけで1000以上もあったといわれています。
多くの場合、文化財指定はされていないものの、地域で受け継がれてきた貴重な文化です。
例えば、宮城県女川町に伝わる「獅子振り」も、その1つです。
女川町には町内の地区ごとに、この獅子振りの郷土芸能が受け継がれています。
毎年、正月になると、笛や太鼓にあわせて、獅子が地区の家々をまわりながら悪い魔を払う郷土芸能で、この地域には欠かせない文化です。

【郷土芸能 被災後の活動再開】 
では、この獅子振りはあの大震災でどうなったのでしょうか。
具体的に、女川町の竹浦地区の事例を紹介します。

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竹浦地区は、震災前、60世帯あまり、180人ほどが暮らす小さな港町でした。

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しかし10年前、この地区は高さ15メートルを超える津波に襲われて多くの命が奪われました。
獅子振りの道具も津波で流されてしまいました。
ところが、地区の人たちが身を寄せていた避難先で、震災のあった年に獅子振りを復活させたことで、当時、ニュースになりました。

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年配の女性たちが、座布団やスリッパなど身の回りのもので獅子頭を手作りし、その場で獅子振りを披露したのです。長引く避難生活で疲れ切っていた被災者ですが、子供の頃から親しんできた獅子振りを見て、表情が一気に明るくなりました。

東日本大震災では、多くの人が分散して避難したため、それまでの地域のコミュニティーが維持できなくなるケースが各地でありました。
ところが、先ほどの獅子振りのように、地元で親しまれてきた郷土芸能を復活させたところ、再び地域の絆を確かめ合うことができたという被災地が少なくないのです。

【どう受け継ぐのかが課題】
あの大震災から10年。
東北地方の多くの地域で郷土芸能の活動は再開されています。ただ、この10年で町を移住した人も多く、郷土芸能をどう受け継いでいくのかが大きな課題になっています。
私は、先ほどの女川町竹浦地区の現状を取材してきました。
竹浦地区は、裏山に造成された高台への移転が完了していました。

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地区の集会所にお邪魔すると、獅子振りの保存会の方々が、震災後に作り直したという「獅子頭」を見せてくれました。
そこには、あの避難先で復活させたときの獅子頭も大切に保管されていました。

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竹浦獅子振り保存会の阿部貞会長は、「これが私たちの復興の原点。宝物なんです」と語っていました。

正月や神社のお祭りのときには、震災前と同じように獅子が各家庭を回っていると言います。
しかし、地区に元いた住民のうち、戻ってきたのは半数のおよそ30世帯。
後継者をいかに育てるかが課題です。

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新築したこの集会所で、地区の子供たちを集めて、月に1回、獅子振りの練習を行ってきましたが、この1年は、新型コロナの影響で一度も開けていません。
女川町では、震災前は、毎年、夏に「女川みなと祭り」という大きな祭りが開かれ、その中で、女川町内の各地の獅子が勢ぞろいする催しが町民の楽しみの1つですが、この祭りは震災後、一度も開かれていません。
竹浦地区の保存会の人たちは、「この祭りで各地の獅子がそろって初めて本当の意味で復活したといえる」と語っています。今年8月に、この祭りの復活が予定されていて、関係者は待ち望んでいます。

【福島県浪江町の郷土芸能 遠い復活の道筋】

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一方で、福島県の原発事故の影響が重なった地域では、郷土芸能の復活の道筋が今もなかなか見えていません。
具体的に、浪江町の苅宿地区の現状を取材しました。
浪江町は、全域に出ていた避難指示が4年前に解除され、今は、帰還困難区域を除いた地域では住民が暮らせるようになっています。
このうち、苅宿地区で受け継がれてきたのが「鹿舞」という郷土芸能です。
地元の神社では、毎年11月のお祭りで「鹿舞」が奉納されてきました。

その神社。私が5年前に取材でお邪魔したときは、除染作業が続けられていて、そこらじゅうに汚染された土を詰めた黒い袋が置かれていました。神社の狛犬なども、地震でズレたり、倒れたりしていました。
それが、今月お邪魔したときは、きれいに修復されていました。

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ところが、肝心の住民が元のようには戻ってきていません。
浪江町で現在暮らしている住民は、町全体で、およそ1500人ですが、これは、震災前の人口の7%ほどです。
鹿舞の保存会のメンバーも、埼玉県や千葉県など、県内外にバラバラに避難し、避難先で就職口を見つけ、そのまま定住するケースが多くなっています。

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このため、避難指示が解除されても、鹿舞を披露できたのは3年前の1回だけ。演じる時間も大幅に短くしたそうで、それを最後に、一度も活動できていないということです。

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住民が戻らないことには復活は厳しい状況です。町が去年9月に行った住民意向調査でも、町に「戻りたいと考えている」人は1割程で、半数以上は「戻らないと決めている」と回答しています。

原発事故による先の見えない不安に加え、10年という年月が避難先での定着をうながし、後継者不足に拍車をかけているのです。
そもそも郷土芸能は、少子高齢化や地方の過疎化の影響などで、被災地に限らず、全国的に後継者不足が大きな課題だったのですが、東日本大震災の被災地の場合は、急速にその深刻さが増した格好です。

【郷土芸能の存在を知ってもらいたい】

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東北の被災地の保存会の人たちからは、「地元の人でなくてもいので、興味のある人がいれば是非参加してほしい」といった苦肉の策を訴える声も、各地で聞かれました。
実際に、関東や関西の都市部の人が被災地と交流する中で、郷土芸能の担い手として定着しつつあるケースもあります。
地域の絆を守り、心の復興を後押しする力がある郷土芸能だからこそ、多くの人にその存在を知ってもらい、受け継がれていってほしいと思います。

(名越 章浩 解説委員)

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