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「北方領土 島の記憶をどう引き継ぐか」(くらし☆解説)

石川 一洋  解説委員

元島民が記憶をもとに島での暮らしを描いた絵、母の仏壇の奥から見つかった一枚の写真。
先月29日富山県の黒部市コミュニティーセンターに北方領土史料室が開設されました。戦後75年が経ち北方領土の返還は実現していません。元島民の高齢化が進む中で、北方領土の歴史と記憶をどのように伝えていくのか、考えてみます。

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Q富山県、とくに黒部市と北方4島はどのようなかかわりがあるのですか?

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歯舞群島の元島民の多い黒部市生地地区

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A北方領土の4つの島、合わせて1万7291人の日本人が住んでいました。そのうち歯舞群島には5000人余りの人が住んでいたのですが、実はその多くが富山出身だったのです。

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もともと北前船の航路を通じて北方4島とつながりが深く、明治に入ってとくに今の黒部市の周辺の貧しい漁民の次男、三男が新天地を求めて歯舞群島に働きに出て主にコンブ漁に携わりました。こうした関係があり北方領土史料室ができたのです。

Q北方領土とかかわりの深い土地なのですね?

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A私が取材に行った日も、地元の生地小学校で、元島民二人を招いて、6年生の特別授業が行われました。黒部でも親が元島民の関係者という子供はクラスに2,3人、学校で教えなければ北方領土について知ることは少ないといいます。郷土の歴史の一環として、黒部と北方領土のつながりを教えているのです。
「一番の楽しみは何ですか」
中陣さつこさん「近所で野原に言ってフレップというもの摘んだりして」
吉田義久さん「島というのは隣近所助け合わないと生活できないのですよ。お餅造ったら一つ食べなさい」

Qなぜ今、黒部に北方領土資料室はなぜできたのですか
北方領土に対する関心が低くなっていることを元島民の方々は懸念し、こうした施設を長年求めていました。

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中陣さん、東狐さんら元島民関係者の方々

元島民 中陣さつ子さん(84歳)
「ここでも知らない人が増えています。北方というところに言っていたのと言われることもあります。中学校に行って話をしたら、お兄ちゃんからありがとう、関心持ったわといわれ、とても嬉しかったです」
記憶を伝承したい。その中には、終戦のあと、突然ソビエト軍がやってきて島が占領された時の恐怖も含まれます。

元島民 東狐百合子さん(80歳)
「私が五歳だから、母が妹をおんぶして、その時は父もいて隣のお姉ちゃんたちもいて(ソビエト兵に)囲まれた時は母が泣いたら殺される、泣いたら殺されるというからそういうのは身に染みて怖かった、それを覚えているのです」
黒部市の大野市長はこの啓発施設で北方領土返還運動を継承してほしいと願っています。
「戦後75年一つの節目ですよ。富山県にそうした施設ができた、一つ一回見に行こう、そこから改めて返還運動を続けよう」

Q北方領土史料室に行けば何を知ることができるのですか?

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自分の住んでいた場所を指す水晶島元島民吉田義久さん

A全国各地の北方領土の元島民の証言や歯舞群島や国後島を望むライブ映像を見ることができます。
また歯舞群島の居住地図も展示されています。自分たちがどこに住んでいたのか、しっかりと記録しておこうと、戦後元島民の方々が作ったものです。
吉田さん 「ここです。吉田栄次郎これです」 お父さんの名前がありました。

Q若い人にどのように伝えるのかは課題ですね

Aどのような島なのか身近に感じてもらう工夫もあります。空から4島をめぐるバーチャル映像です。こうした映像も見ますと、実際にはなかなか行くことができない4島の一つ一つが如何に大きく、豊かな自然に恵まれているのか、日本の島としての歴史が映像として分かりやすくまとめられています。

Q当時の暮らしぶりなどを伝える写真などはあるのでしょうか?

A写真は少ないです。強制的に送還されるときに持ち出しが許されなかったという事情があります。

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資料室には漁民一家の暮らしを伝える絵が展示されています。春に富山から歯舞群島の多楽島に行く道中、島でのコンブ漁や暮らしの様子を子供の視点から一枚一枚丁寧に描かれています。

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富山県、朝日町に住む元島民の山口千鶴子さん、84歳が自ら描いたものです。
山口さんは、歯舞群島の多楽島に生まれ、9歳まで過ごしました。2002年、島を去ってから初めて自由訪問で島を訪れたときに、島の姿がすっかり変わり、日本人が住んでいたあとが全く残っていなかったことにショックを受けたといいます。

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「行ってみたら昔の面影全然なくて、悲しいくらいないんです。これじゃ草だけの島で将来はほんにここに人が住んでいたということは分からなくなる。私のできることと言ったら、単なる記憶として、記憶だけで書いたんです。それだけ鮮明に、やはり小さい子供の時って」「あの絵に描かれたのは鮮明に覚えている」「覚えています」
70歳になってから昔の記憶をもとに書いたのが、島の暮らしを伝える絵だったのです。

Q70歳になってもそれだけ記憶が鮮明だということは島への思いが強いのですね

A山口さんは自由訪問で島を訪問した時にみた島の状況や、戦前の開拓の歴史などを調べて、ノートにつけて、できるだけ正確に描こうとしたということです。

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山口さんの絵です。
これは取れたコンブを運ぶ母親など大人の姿です。濡れたコンブは重く、海岸まで運んですぐに干さねばならず、大変な重労働だったそうです。

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千鶴子さんら子供も水運びなど大人の手伝いをして家族全員で働いたそうです。ただ網をかけるとカニや魚が面白いように取れて、島の豊かな自然は忘れられないといいます。

Q島の記憶を伝えるのは大変なことなのですね

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A取材の中で思いがけないこともありました。元島民2世 村椿則子さんが亡くなった母親の遺品の中から写真を見つけました。仏壇から見つかったということです。昭和10年ごろの歯舞群島志発島の小学校の遠足の写真ということです。

Qこんなにたくさん子供がいらっしゃったのですか。

Aそうですね。一人一人の顔がまだ鮮明に映っています。島にこれだけの子供がいて、学校もあって、様々な行事が行われていたこと、そして一人一人の顔が私たちに訴えかけてくるものがあります。黒部市ではこの写真も拡大して北方領土史料室に飾ることにしました。

北方領土交渉を含む平和条約交渉が動かない中で、元島民の心も揺れ動いています。何年かかっても領土を取り戻してほしいという気持ちが強いといいます。その一方、元島民には交渉が一歩でも二歩でも進んでほしいとも思う人も多いのです。
ふるさと歯舞群島は無人島です。人が住んでいないと、島の海岸線がどんどん浸食され小さくなっていき、また人が経済活動した跡も残っていません。しかし元島民の方々は何もない島とは思わないでほしい。価値のある島だと知ってほしいと思っています。

(石川 一洋 解説委員)

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