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広がる?『ハンコレス社会』

櫻井 玲子  解説委員

新型コロナウィルスの影響で在宅勤務を経験する人も増える中、「書類にハンコを押す」という制度を見直そう、という動きがすすんでいます。
最新の動きや課題についてお伝えします。

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【これまでのハンコ社会】
Q ハンコを押すことって、私たちの生活に深く根ざしている感じがしますよね。

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A はい、ハンコが一般的に、広く、使われだしたのは明治時代からともいわれていますので、少なくとも100年以上の歴史がある、といえます。
そこで、どんなときにハンコが使われているか?というのをみていきますと、例えば、税金の申告や児童手当の申請といった行政手続き。ハンコを必要とするものが少なくとも1万件はあるといわれています。

Q 1万件!ずいぶん、多いですね。

A また、民間でも、銀行口座を開くといった個人と企業の間の取引から、会社同士の売買契約、さらには休暇届を出すといった社内の手続きにまで、広く、使われています。いずれもその書類が本人、あるいは会社のものであることを証明するのが目的です。
ただ、新型コロナウィルスの感染拡大をきっかけに、ハンコが本当に必要なのは、どこまでの範囲なのか?書類が偽造されたりしていないことの証明に、ほかに使える方法はないのか?といった見直しの議論が高まってきているんです。

【なぜ見直し?】
Q たしかに、外出を自粛しているときに、なぜハンコのためだけに会社や役所に足を運ばなければならないのか?といった不満の声も、聞かれましたよね。

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A そうですね。たとえば、学校が休校になって子供が家にいる間、保護者が有給休暇をとれるように申請をする「臨時休校休暇届」。あるいは、会社が、従業員の休業手当の支援をしてもらうための「雇用調整助成金」。新型コロナウィルスの影響でこうした申請をするのに、会社や役所にハンコのために出ていかなければならないというのはおかしい!本末転倒ではないか?といった声もありました。
そこで、政府・民間企業の両方で、制度を見直そうという動きがでているんです。
まず政府の動きですが、新しい規制改革実施計画をことし7月に決め、行政手続きの押印については、「本当に必要なもの以外は、年内に見直しをすすめる」方針を打ち出しています。

【政府の動きは】
Q となりますと今後は具体的にどういう時にハンコを使わなくてもよくなるんですか?

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Aはい。まず、感染症対策として、金融庁や内閣府では、年末を待たず、夏ごろから、ハンコを省略した申請や、書面ではなくメールでの申請、といったものを受け付けています。
また、今後は、家を借りるときや、銀行で融資を受けるときにも、ハンコを省くことが可能になるよう、法律の改正や制度の見直しがすすめられる見通しです。

Q 暮らしに身近なところでも見直しがすすめられているんですね。

A そうなんです。新型コロナウィルスへの対応に加えて、これからは国全体としてデジタル化をすすめよう。必要のない手続きはできるだけ省いていこう。という動きもありますので、その一環だともいえます。

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さらに、国は、全国各地の自治体にも、制度の見直しを働きかけています。
今、特に力を入れているのが、子供を保育園に預かってもらうために、保護者が自治体に提出する「就労証明書」の扱いです。
「就労証明書」は、保護者が仕事に就いていることを会社に証明してもらう書類で、会社にハンコを押してもらって提出するのが普通です。
ところが、このハンコ、実は法律上は、必要とされていません。このため、政府は自治体に対し、「就労証明書にハンコは必要ない」と呼びかけてきました。

Q 国がハンコを押すよう求めているんだとばかり、思っていました。

A 違うんです。こうした呼びかけに対し、たとえば川崎市は、今年度に限り会社のハンコは省略してもよい、としています。
ただ、多くの自治体は、今も、「申請書の内容が本物かを見極めるには、ハンコが必要だ」と主張しています。

Q たしかに、自治体からすると、不正は困る、というのも理解できる気がしますね。

A そこで、政府は、今週、自治体に新たな通知を出しました。「就労証明書を偽造した場合は、ハンコが押されていなくても、有印私文書偽造罪に問われます」ということを、申請者に、積極的に知らせてください、という内容です。ハンコがあろうがなかろうが、不正は罰せられる、ということを広く知ってもらう狙いです。

Q ハンコがなくても「『有印』私文書偽造罪」になるんですね?

A そうなんです。政府の規制改革推進会議の担当者は、就労証明書が必要となるのは、来年度に向けた保育園の入園申し込みが集中する冬が多いので、寒い時期の感染症予防の観点からも、ハンコは不要だという理解を今から徹底していきたいと話しています。

【民間企業でも変化が・・・】
Q なるほど。一方で、民間企業の動きはどうでしょうか?

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A はい、こちらも動きが加速しています。たとえば、
▼フリマアプリの「メルカリ」がハンコのかわりに、電子署名を使った契約に切り替え、
取引先にも理解を求めていく方針を出したり、
▼飲料大手のサントリーホールディングスがハンコを段階的に廃止すると発表したことが、話題を呼びました。
また、金融業界でも▼企業向けの融資をオンラインで承認する、とか
▼銀行口座を作るにあたって、申し込みをハンコなしでもできる、といったサービスを始めているところもあります。社員やお客さんにとっても、便利な方法を探っていこうという動きが、広がっています。

【今後の課題は】
Q ただ、これまでハンコというのは不正を防止する役割があったわけですよね。これを省いても大丈夫なんでしょうか?

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A はい、たしかにハンコを押す、という作業は、文書に書いてあることが自分の意思によるものであることを、その人が証明する、という「心理的なハードル」をもうけることで、不正を防ぐ、大事な役割を果たしてきたといえます。
一方で、政府関係者や専門家によりますと、
▼今は3Dプリンターなどでハンコを偽造するのも可能なこと。
▼電子メールの普及で、その送受信の記録によって内容を証明することもできること。
▼さらに新しいデジタル技術を使った電子署名もアメリカなどでは広く普及していることから、ハンコ以外のほかの手段についても、広く、検討すべきだとしています。
ですので、今後は利便性の向上と、改ざんを防ぐことの両面を、両立させる手段を見つけることが重要だと思います。

Q昔にくらべて、選択肢が多くなっているんですね。

A はい。ただ、課題もあるんです。たとえば、電子署名。これはコンピューター上のハンコのようなもので、電子文書がたしかに自分のものだと証明するものなんですが、この電子署名の規格が会社によってバラバラなため、企業同士が契約を交わすときに使い勝手が悪いという指摘もあります。
そこで、先週には、NECや富士通など11の企業が、新たな協議会を発足させました。バラバラな電子署名の規格を共通にし、使いやすくする狙いがあります。

Q ハンコに替わるほかの方法がこれから普及していくかどうかということですね。

A さらにこれからは、ハンコの見直しにとどまらず、書面での手続きをなくす、ペーパーレス化を促進すること。オンライン手続きで済ませられるものを増やすことが、重要です。
新型コロナウィルスをきっかけに、働き方改革やデジタル化の進め方が一層、注目されています。今回の見直しでこうした動きを前にすすめていくことかできるか、見守っていきたいと思います。

(櫻井 玲子 解説委員)


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