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「オリンピック・パラリンピック 選手と市民の交流は」(くらし☆解説)

二村 伸  解説委員

パラリンピックの開幕まであと1年となりました。新型コロナウイルスの世界的な流行を受けてオリンピックとパラリンピックが延期されましたが、今も大会に備えて日本で練習を続ける選手がいます。きょうは選手とその支援を続ける自治体の活動を通じてオリンピック・パラリンピックを開催する意味を考えます。

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Q.大会が延期されたのに日本に残っているのはどんな選手ですか?

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アフリカ、南スーダンの陸上の選手4人とコーチのあわせて5人です。
5人は去年11月来日し、群馬県前橋市で合宿生活を送っています。来日のきっかけはスポーツを通じた平和の実現に取り組んでいるJICA・国際協力機構の紹介で前橋市が受け入れを決めたためです。他の自治体ではことし3月以降選手の来日が取りやめとなり、すでに練習していた選手たちもいっせいに帰国しましたが、前橋市は南スーダンの選手を大会終了までサポートすることを決めたのです。

Q.オリンピック・パラリンピックでは自治体が選手を受け入れるのですね。

事前キャンプ、大会前の合宿に来てもらおうと全国の自治体が各国の選手団を誘致しました。

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これはその一部ですが、こうした選手の受け入れに加えて、大会中の応援や市民レベルの交流などを行うホストタウンの登録は400前後に上ります。東日本大震災を被災した3つの県では「復興ありがとうホストタウン」として復興した姿を見せるとともに支援への感謝を伝えることにしています。このように全国の自治体でアスリートとの交流や市民レベルの交流の準備が進められていたのですが、新型コロナウイルスによりどこも中止や延期を余儀なくされました。

Q. 前橋市のように選手が今も練習を続けているのは異例なのですね。

前橋市のサポートを受けながら南スーダンの選手たちは毎日、市内の陸上競技場で練習を続けています。30度をこえる暑さも1年を通して高温の南スーダンの選手には苦にならないということです。
身長190センチのアブラハム選手は1500メートルの選手で、将来が期待される21歳の若者です。女子100メートルと200メートルに出場予定のルシア選手と一緒に練習しているのはパラリンピックの100メートル出場をめざすマイケル選手です。マイケル選手は日本に来るまでは食が細く走れない日もあったそうですが、来日後、体もできて記録が順調に伸びているということです。日本人コーチのもとでスタートの練習を続けるアクーン選手は400メートルと400メートルハードルの選手です。

Q.選手たちは大会が延期になったのになぜ帰国しなかったのですか?

祖国には練習する環境がないからです。
南スーダンは人口1100万。2011年に独立した世界で最も若い国ですが、満足な練習場所がなく指導者もいません。選手の中には練習場まで片道3時間歩かなくてはならない人もいるということです。9年前私は現地で独立の瞬間を取材したのですが、半世紀以上におよぶ内戦の末、分離独立を勝ち取った高揚感の一方で、将来への不安も強く感じました。当時は舗装道路が数キロしかなく、総合病院は1つ、国を南北に流れるナイル川にかかる橋も1本だけの貧しい国で、国造りには国民の結束が何よりも必要ですが、部族間の対立が根深かったのです。その後の内戦で難民として国を出た人は200万をこえました。その南スーダンに日本は独立当初から支援を続けてきました。それだけに東京で開催される平和の祭典は選手たちにとっても大きな意味を持っています。
アブラハム選手は、日本語で自己紹介できるようになりました。また、「生活はとても厳しく、食べ物を得るのも容易でなくまともな家もない。オリンピックで状況が変わることを母親は期待しています」と話していました。父親を亡くし母親から家族を養うために働いてほしいと言われましたが、オリンピックで活躍すれば家族が貧しい生活から抜け出せると考え、事前合宿への参加を決心したと言います。祖国で新型コロナウイルスの感染が拡大したことも日本にとどまった理由の一つです。

Q.日本語も上手になったのですね。
選手たちは日本の生活に慣れるために、市内の日本語学校で勉強を続けています。授業は午前8時半から10時15分まで。来日当初は言葉が分からず、祖国とまったく異なる日本の習慣にとまどうことばかりだったそうですが、今は笑顔が絶えず、落ち着いて練習にも打ち込めるようになりました。ここまで面倒を見る自治体は少ないですね。

Q.選手たちをもう1年受け入れることになった前橋市もたいへんですね?

前橋市は先月22日に1年後の大会終了まで選手の受け入れを続けることを決めました。選手たちが来て以来、南スーダンについて市民の関心が高まり多様性への理解も深まったということです。選手たちの練習をまじかに見ることで子どもたちも刺激を受けているようです。取材した日は市民から選手たちに激励の言葉が書かれたうちわが贈られました。前橋市は選手たちが将来祖国で指導者となって多くの若者を育てるとともに、日本との懸け橋になってほしいと期待しています。前橋市スポーツ課の桑原和彦課長は、「市民と交流することで平和について考える機会になると考えた。コロナでスポーツ施設が使えないことがあったが、日常生活を普通に送れることが平和と感じるようになり彼らから教わることが多い」と話していました。
ただ、メリットばかりではありません。通訳と陸上の技術的な指導は市民がボランティアとして参加していますが、5人分の住まいと毎日の食事など生活費の確保は簡単ではありません。前橋市はふるさと納税で選手たちの受け入れ費用をねん出してきましたが、延期によってさらに1年分必要となり、あらためて全国の人たちに協力を呼び掛けています。

Q. オリンピック・パラリンピックを機に選手と市民の交流が深まると良いですね。

かつて長野オリンピックで学校の子どもたちが1つの国を応援する一校一国運動が行われ、市民レベルの交流に広がりました。また、すでに長年にわたって続いている海外との交流が東京大会でより深まろうとしています。

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鹿児島県の離島・三島村は26年前から西アフリカのギニアとジャンベという打楽器を通じて交流を続けてきました。オリンピック・パラリンピックでは応援団をつとめ、大会後選手たちを招いて交流を深める計画です。また、福島県飯館村は震災以前から交流を続けてきたラオス選手団を村を挙げて応援する計画です。
オリンピック・パラリンピックの本来の目的はメダル争いよりも、友情や連帯の精神をもってお互いを理解しあい平和でより良い世界をめざすことです。東京大会は様々な国の選手や市民との交流を通じて相互理解を深める絶好の機会です。開幕までまだ1年ありますが、市民の交流は始まっています。子どもたちの代につなげられるよう息の長い交流にしてほしいと思います。

(二村 伸 解説委員)

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