「震災9年 原発避難にいま求められるのは」(くらし☆解説)
2020年03月11日 (水)
西川 龍一 解説委員
東日本大震災の発生からきょうで9年を迎えました。原発事故の影響でふるさとを離れて避難した人たちは、どんな思いでくらしているのでしょうか。
Q1.震災の発生から9年となる今年は新型コロナウイルスの影響で国の追悼式も中止になる事態となりましたね?
A1.そうした状況を含め、被災した人たちにとっては全国的に記憶が薄れることは耐えられないことだと思います。影響は今も続いているからです。実際、関東地方や福島県に隣接する県を中心に避難先で暮らしている多くの人たちがいます。復興庁によりますと福島県から県外に避難して生活している人は、この1年で1700人ほど減りましたが、先月10日現在で30914人います。
Q2.福島から県外に避難しているのは、どういう方が多いんですか?
A2.福島県で避難指示が出ている区域は徐々に減っているものの、まだこうした区域に自宅があって帰れない人、長く住めない状態だったため自宅が荒れて戻れない人がいます。さらには放射線への不安などから避難指示が解除されたといっても帰ることができない人や、避難指示の有無に関係なく自主的に避難した人たちもいます。
Q3.やはり原発事故の影響が大きいんですね?
A3.その通りです。避難先の都道府県のうち、震災直後に福島県から全国で最も多くの人たちが避難したのが新潟県です。今も全国で6番目に多い2300人あまりが暮らしていますが、新潟県によりますと、このうちおよそ1300人と半分以上は自主的に避難している人たちです。
NHKは、震災9年を前にこれまでに避難先の新潟でお話を聞かせていただいた同じ方々に民間の「311被災者支援研究会」とともに聞き取り調査を行いました。この聞き取り調査は、震災の2週間後から継続して行っていて、今回が21回目となります。先月半ばから今月初めにかけて面接と電話の2つの方法でお話をうかがいました。今回はお話を聞かせていただけたのは73人でした。いずれも原発事故のあと、新潟県に避難した人たちで、このうち18人は福島県内の元の自宅に戻っていましたが、別の18人は福島県内で元の自宅以外に暮らしていました。そして半数以上の37人が県外に避難したままの形です。
Q4.新潟から福島に戻っても自宅に戻れない方もいるということですね。どんなことが浮かび上がってきましたか?
A4.3つあげたいと思います。「割れる福島県の帰還政策への評価」「多様化する生活上のニーズ」「厳しい廃炉計画への反応」です。
Q5.まず、「割れる福島県の帰還政策への評価」ですね?
A5.福島県は避難した人たちが元いた場所に戻れるように除染やインフラを整備するなど帰還政策を進め、双葉町や大熊町では帰還困難区域の一部でも避難指示が解除されました。こうした帰還政策について進み具合をどう受け止めているか聞きました。「遅すぎる」が22%、「急ぎすぎだ」は27%、「どちらとも言えない」は38%で、「適度なペースだ」は12%でした。この質問は3年前から同じことを聞いていますが、適度なペースだと答える人が最も少ない状態が続いているほかは、残る3つの答えに割れる傾向が続いています。「遅すぎる」という人の中には、「インフラは整備しても人が戻らないことへの対応が考えられていない」という意見がある一方、「早すぎる」という人の中には、「帰りたくないのに支援を打ち切るような政策で追い込む形になるのはおかしい」と話す人もいます。また、「帰りたい人や帰っても大丈夫と思っている人にとっては、県の帰還政策は遅いと感じるだろうが、原発立地地域などには急いで帰そうとし過ぎではないか」と疑問を呈する人もいます。「本当に帰って大丈夫なのかという問いには行政は答えてくれない。個人の判断にお任せの状態」という声もあり、地域の実情と個人の受け止め方の複雑さを示しています。
Q6.次は「多様化する生活上のニーズ」ですか?
A6.今の生活に不足を感じていることは何か、複数回答であげてもらいました。「健康面への支援」が23%と最も多く、「元住んでいた地域の復興」と「損害の賠償」が21%、「住宅支援」と「周囲の人の理解」が16%となっています。この質問では、震災から4年目ごろまでは「住宅支援」や「除染」を求める人が4割近くと突出していましたが、ここ2年の調査では不足を感じることが分散する傾向で、生活上のニーズが多様化していることがうかがわれます。それでも「健康面への支援」を求める人が多いのは、9年という年月が経ち、健康を損ねる人が増えていることや、元いた地域に帰ったものの医療機関の整備が不十分で、遠く離れたところに通わなければならないケースが相次いでいることの表れと見られます。
Q7.地元に帰ってもいろいろ不足があるわけですね?最後は「厳しい廃炉計画への反応」ですね?
A7.去年、東京電力は、柏崎刈羽原発のいわゆる「廃炉計画」を公表しました。この中で、6号機と7号機が実際に再稼働してから5年以内に残りの1基以上の廃炉を検討するとし、再稼働した上での条件付きの廃炉について検討することを明らかにしました。この内容についての評価を聞きました。「評価できる」は7%に対し、「評価できない」は63%でした。「再稼働を前提とした廃炉計画など認められない」という意見や、「そもそも東京電力という会社自体が信用できない」と不信感をあらわにする人もいます。今回お話をうかがった人たちの多くは、原発事故で見えない放射線に戸惑いながら各地を転々と避難して新潟県にたどり着いたり、原発事故による放射線の影響を心配してやむなく新潟県に母子だけで避難することを決めたりした人が多いこともあり、厳しい評価が示された形です。
Q8.被災から9年目の今回、お話を聞いてどんなことが印象に残りましたか?
A8.この調査は、普通のアンケート調査のように単に回答を集めて統計的にまとめるのではなく、避難を経験した人たちの気持ちを記録として残すため、質問項目以外にも聞いた話を書き留めています。今回最も印象に残ったのは、私が直接話を聞いた複数の方が、新型コロナウイルスの感染が広がる問題を自分たちの被災に重ね合わせて見てしまうと話していたことです。
実際原発事故では、見えない放射線から逃れようと避難したものの、国の情報の伝達や対応が後手後手に回った結果、放射線量が高い方に向かって避難をして本来必要のない被爆をした多くの方がいました。今回もウイルスの存在は見えないだけに、国がしっかりとした情報を伝えて自分たちを守ってくれるか不安だと話す人もいます。
9年が経過し、言いたいことが行政に伝わらない、行政とのやり取りがしづらくなったという声も聞かれます。新たな不安の解消も含め、こうした思いを受け止めながら復興政策を進めることが避難した人たちにとって不可欠なように思います。
(西川 龍一 解説委員)
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