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「文字の歴史がさかのぼる?」(くらし☆解説)

高橋 俊雄  解説委員

最近、日本列島でいつから文字が使われていたのかを探るうえで、新たな資料となる「発見」が相次いでいます。
発見といっても、文字そのものではありません。弥生時代や古墳時代の石の板の中に、「すずり」と判断されるものが多くあることが、分かってきたのです。

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【平たい石が「すずり」に?】

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すずりと判断されている石は、細長く平たい形をしています。中国や朝鮮半島の例をもとに再現すると、この平たい石は、専用の台にはめ込まれて使われていたと考えられます。

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当時の墨は粒状で、今のすずりのように、墨汁をためる部分はありません。この墨の粒をすずりの上に置いて、「研石」という別の石ですり潰していきます。

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水を加えながらこの作業を続け、液状になった墨を筆に含ませていたと考えられています。

【「砥石」の再調査で事例が増加】
このような石の板、発掘調査で新たに見つかることもありますが、多いのは、これまでの発掘調査で刃物などを研ぐ「砥石」と判断された石を、再調査するケースです。中国や朝鮮半島ですずりと見なされている細長くて平たい石と同じものが、北部九州などにもあるのではないかと、主に福岡県の研究者が、ここ数年、力を入れて調べています。
再調査は、各地の発掘調査の報告書を読み返すところから始めます。「砥石」と報告されている石の図面や写真を見ていくと、石のすり減り方や加工の仕方が、砥石とは異なる特徴をしているものがあるといいます。こうした石を実際に細かく観察したり、実測したりすることで、すずりかどうかを判断していきます。
福岡市埋蔵文化財課の久住猛雄さんは、「すずりの特徴を頭に入れて砥石の図面を見ていくと、5割以上、場合によっては10割の確率ですずりとなる」と指摘しています。

【西日本の各地に分布】
このような再調査によって、砥石ではなく、すずりだと判断できる事例が急増しました。弥生時代や古墳時代のすずりと判断されたのは、研石も含め、これまでにおよそ130点にのぼっています。
その地域的な広がりですが、北部九州を中心に西日本の各地に及んでいます。

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例えば、8点が確認された福岡県糸島市の三雲・井原遺跡は、弥生時代の「伊都国」の中心部とされ、朝鮮半島と密接な関わりを持っていました。渡来系の人々も多く住んでいたと考えられています。
一方、奈良県天理市の布留遺跡では、刀を作る古墳時代の工房の近くから13点が見つかっています。刀の管理などに文字が使われていた可能性があるということです。

【文字の歴史にも影響?】
墨で化粧をしたり、模様を描いていたりした可能性もあるので、すずりが出たからといって、それで文字を書いていたと断定することはできません。ただ、これほど多く見つかるとなると、これまでに想定されているよりも早い段階から広い範囲で文字が使われていたと考えたほうがいいのではないかと、調査に当たっている研究者はみています。

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日本列島で文字が広く普及したのは、飛鳥時代以降のことです。官僚機構や法律が次第に整備され、行政には文書が欠かせなくなりました。
そこからさかのぼって巨大古墳が作られた古墳時代を見てみますと、5世紀ごろには文字が確実に使われていたことが分かります。古墳から出土した鉄剣や大刀(たち)に銘文が刻まれた例があるからです。
ところが、これより前になると、解釈が難しくなってきます。

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三重県で見つかった4世紀前半の土器は、口のへりの部分に墨書があり、田んぼの「田」と読めます。また、長野県で見つかった3世紀後半の土器には「大」と読める線が刻まれています。ただ、「大」だとすると書き順が違っていて、最初に書くはずの横棒が最後に刻まれています。
このような資料は、弥生時代から古墳時代にかけてほかにも見られ、文字とみる研究者もいます。ただ、ひと文字の場合が多く、何が書かれたのか、そして何のために書かれたのか、なかなか明確にならないのが現状です。
弥生時代の文字資料としては、このほか金印の文字がありますが、西暦57年に中国の王朝から贈られたものと考えられています。そうなると、日本列島の人が書いた文字とは言えません。

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こうしたなか、まさにこの空白を埋めるかのように、すずりと判断されている石の事例が増えているのです。現在この中で最も古いのは、紀元前100年ごろのものです。卑弥呼が治めた邪馬台国の時期よりも、300年も前のことです。
調査に当たっている柳田康雄さんによりますと、福岡県と佐賀県の遺跡から出土した5点が、この時期にあてはまるということです。
柳田さんは、弥生時代から文字が使われていた可能性が高いと考え、「文字は政治だけでなく、地域間の貿易、交流にも使われていた。原始時代ではなく、文字を持った文化、文明があったと言っていい」とその意義を強調します。

【文字は何のために使われたか】
文字は、古墳時代や飛鳥時代には、主に外交や行政のために使われたと考えられます。
ところが、それよりも前から文字が広い範囲で使われていたとなると、これだけでなく、取り引きの記録や品物の目録など、「交易」のために使われていたケースもありうるということです。
すずりに着目することによって、文字の歴史が大幅にさかのぼる可能性が出てきただけでなく、文字の使われ方についても、新たな解釈が可能になってきています。

【決め手は見つかるか】

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文字が使われていたことを証明するためには、文字そのものが見つかることが一番ですが、ほかの筆記用具も見つかってくると、可能性はさらに高まります。筆のほか、木簡や竹簡、さらには木簡の書き損じをうすく削った「削りくず」などが考えられますが、いずれも非常に小さな木製品なので、発掘調査で見落としてしまうおそれがあります。今後、発掘現場では、紀元前であっても文字が出てくるかもしれないという前提に立って、丁寧な調査をこころがけてほしいと思います。
考古学では、発掘調査中に大きな発見があって歴史を塗り替えるということが時折ありますが、今回のすずりは、すでに調査が終わった遺跡の出土品を改めて調べることで、事例を積み上げてきました。過去の調査結果を見直すことによって新たな歴史像が描けるかもしれないという点でも、この調査の意義は大きいと言えます。

(高橋 俊雄 解説委員)

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