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「『3万年前の航海』成功のカギ」(くらし☆解説)

土屋 敏之  解説委員

◆先週、台湾から与那国島へ5人の男女が丸木舟をこいで渡るのに成功した

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 これは国立科学博物館の人類学者・海部陽介さんたちが進めてきた「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」というものです。日本人のルーツには大きな謎があり、日本各地には3万数千年前頃から急に多くの遺跡などが見られるようになります。当時は氷河期で海岸線はこちらのように今と違っていたものの、それでも日本列島の多くは大陸とは海で隔てられていたと考えられています。

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 祖先はその海を越えて、こちらの3つのルートで渡ってきたことが考えられており、中でも当時大陸と陸続きだった台湾から沖縄へのルートは、海を渡る距離も長く最難関ルートだったと見られます。ただ、その手段を示す「舟」などは当時の遺跡から見つかっていません。そこで、海部さんら様々な分野の研究者と海洋冒険家や舟作りの専門家なども加わって、3万年前の技術で可能と見られる舟を実際に作って海を渡れるか検証することにしました。つまり、科学研究としての実験航海です。
 その費用は、ネット上で寄付を募る「クラウドファンディング」という手法で集めたのも新たな取り組みでした。

◆これまでは上手くいっていなかった

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 当時ありえた舟は草か竹か木で作られたものだろうということで、まず2016年に草の舟で与那国島から西表島まで、翌年は竹を束ねた舟で台湾の本島から離島へ渡ろうとしましたが、うまく行きませんでした。
 この辺りの海は黒潮が南北に流れていて、3万年前もこれを横切る必要があったと推定されていますが、草や竹の舟はあまり速度が出ず黒潮に流されてしまい横切るのは難しかったのです。そこで浮上したのが丸木舟です。プロジェクトでは3万年前の石器でも丸木舟を作れることを実際に確かめ、これを使うことにしたのです。

◆先週、最後の実験航海が行われた

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 台湾東岸の烏石鼻という所から与那国島まで200km以上の大航海です。人類の移住を再現しようということで漕ぎ手は男女混成チーム。シーカヤックのガイドさんなど手こぎ舟の経験豊富な5人が選ばれました。台湾の山の上からは条件が良ければ与那国島が見えるため、祖先は与那国島の存在を知っていて目指したと考えることはできますが、海上からは与那国島に約50km以内に近づかないと見えません。つまり、航海の大半は目的地は見えず太陽や星の位置などから方角を判断する必要がありました。3万年前の条件を想定し、こぎ手は方位磁針もGPSも使えないためです。ただし、安全確保のために動力付きの船が伴走し、海部さんたちが丸木舟を見守りました。

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 天気や海の状態が良い日を待ち、7月7日の午後2時半過ぎ(日本時間)に出航。黒潮で北に流されることを考慮して、東の方角に向けて丸木舟をこぎます。夕暮れに近づくにつれ、北風が強く吹いて海が荒れはじめ、視界も悪くなりました。しかしその後は天候も回復し、丸木舟は順調に進み続けたと言います。翌朝には行程の半分近い100kmまで進む快調なペースでした。
 ところがその後は大きくペースが落ちます。与那国島の南海上に丸木舟が姿を見せたのは翌々日の朝でした。そして、出航から45時間後、多くの島民や観光客が待ち受ける与那国島の浜辺についに丸木舟が辿り着きました。

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 GPSで丸木舟の航跡を見ると、潮流で北に流されながらも見事に与那国に向かい進んでいたことがわかります。しかし、こぎ手はこうした位置情報などは全く知らずにこいでいたわけですから不思議。なぜこうして正確に辿り着くことができたのでしょう。

◆成功のカギは「与那国への潮流のライン」?

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 こぎ手のキャプテン・原康司さんによると、カギは「与那国に向かう潮流のラインに乗る」という点にあったようです。
 黒潮の流れが一番速いのは島の間ですが、与那国付近にも北向きの流れがあるので、うまくこのラインの上流側に乗れればいずれは与那国に辿り着けるというわけです。そのためには、黒潮をまっすぐ横切る東向きに約100kmこぎ進むとラインに乗れるはずで、その間いくらか流されてもこのラインのどこかには乗るので与那国に向かえる。多少はずれたとしても島が直接見える範囲に入れれば後は見て目指せばいい、というわけです。
 そのためまず台湾が見えている間や、雲が晴れて太陽や星で方角が判断できた時間に一生懸命、東に向けてこいでこのラインを目指し、後半は無理に進まず、疲労もピークだったため交代で体を休めていたそうです。その結果、翌々日の朝にはちょうど与那国島が見えてきたとのことで、原さんは「率直に言ってできすぎ。ここら辺にあるかなと思った所に島が出てきて正直びっくりした。黒潮の海という大きな力が僕たちを運んでくれたという思いがある」と話していました。運もあったし、自然の力も味方してくれた、と言えるのではないでしょうか。

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 今回の実験で、古代の手こぎ舟でも沖縄の島々に渡れる可能性は実証できました。ただ、残された謎もあります。今回の方法は、与那国島の位置や黒潮の流れについて知識があったからできた面もありますが、3万年前に初めて渡った人たちはそこまで知らなかったはずです。そうすると、さらに成功率は低かったかもしれません。もしかしたら当時は大勢の人が挑んでその多くは犠牲になり、ごく一部の人だけが運良く辿り着けたのかもしれません。だとすると、なぜそこまでして祖先は挑んだのか?その動機も謎のままです。
 海部さんたちは今後、実験航海のデータを詳しく分析して論文を発表する予定で、航海は終わりましたが研究者たちにとってはむしろこれからが本番とも言えます。
 今回の実験航海の成功には、人類史の謎を解く手がかりを得るという科学的意義に加えて、クラウドファンディングで多くの市民の支援を受けたり、丸木舟の製作を公開した時には子供たちの注目も集めたりして、それに対しプロジェクトの成果を情報発信して交流するなど、科学研究の手法として可能性を広げることにもつながったのではないでしょうか。またこれを見た子供たちが、科学の面白さや自然の奥深さを感じて、それが将来につながっていくことも期待したいと思います。

(土屋 敏之 解説委員)


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