くらし☆解説、きょうは「仁徳天皇陵」で行われている初めての共同調査について。
Q)「仁徳天皇陵」というと、教科書にも出てくる有名な古墳ですね。
A)
大阪・堺市にある国内最大の前方後円墳です。仁徳天皇が埋葬されているとして宮内庁が管理していますが、研究者の間では、学問上は誰の墓なのか確定していないとして、地名や古文書の表記をもとに「大山(だいせん)古墳」などと呼ばれています。
この古墳、今から1600年ほど前、5世紀に造られたと考えられています。墳丘の全長は486メートル、高さは35メートルもあり、古代国家の成り立ちを考えるうえで、きわめて重要な古墳といえます。
Q)このなかで、調査が行われているのですね。
A)
調査は宮内庁が堺市と共同で行っています。堺市の専門職員1人が参加して、巨大な墳丘を取り囲む堤の部分で、先月23日から続けられています。
古墳には、墳丘の周りに3つの濠があり、その間に2つの堤が築かれています。調査が行われているのは、そのうちの内側の堤の南東部です。
堤を横断するように、3箇所に幅2メートルほどの調査用の溝を設け、少しずつ掘り進めていきました。
その結果、まず、堤には握り拳ほどの大きさの石が敷かれていることがわかりました。
古墳の墳丘の斜面に石をふくことはよくありますが、堤の部分の石敷きは、周辺の古墳では今のところ確認されていないということです。古墳を装飾する目的などが考えられます。
埴輪の下の部分も残っていました。人や動物をかたどったものではなく、「円筒埴輪」という、直径35センチほどの筒型の埴輪です。外側の濠に沿って隙間なく並べられていました。
円筒埴輪は古墳の墳丘や堤の上に、ずらりと並べられていたと想定されています。神聖な部分を守るという意味合いがあったと考えられています。
Q)今は木が茂っていますが、古墳が造られた当初は全然違う姿だったのですね。
A)
当初は石と埴輪に覆われていたと考えられます。この古墳を造るには、1日に2000人が働いても15年以上かかったという試算もあります。海の近くにあるので、舟でやってきた外国の使節なども、その大きさに驚いたにちがいありません。
Q)今回の調査は堺市と共同で行っているということですが、これはどういう理由からですか。
A)
周辺の遺跡に詳しい地元自治体の専門職員と一緒に調査を行うことで、成果を高めたいというのが理由です。天皇や皇族が埋葬されているとして宮内庁が管理している古墳や墓地などは「陵墓」と呼ばれ、宮内庁が自分たちの手で必要な調査を行っています。
自治体と共同調査を行うのは、初めてのことです。
実際にどんなメリットがあったのかについて、宮内庁の担当者は、「例えば石敷きの石がどこのものか、その場で話を聞くことができ、調査の質を高めることができた」と説明しています。
宮内庁はこのあとも堺市の協力を得ながら、堤のほかの場所でも調査を続ける方針です。
Q)そもそもどうして今回の調査は行われているのですか。墳丘ではなく、堤を掘っているのはなぜでしょう。
A)
今回の調査の目的は、古墳の保全整備に向けた基礎的な情報収集です。
この古墳では、濠の水が墳丘の裾を浸食していて、これを食い止める工事が必要となっています。その際に、例えば工事用の仮設通路をどこに設けるのかといったことを検討するために、埴輪などの場所や深さを把握する必要が生じたということです。
宮内庁は今後、墳丘を取り囲む堤の全体的な状況を調べたうえで、工事の計画を立てていくことにしています。
Q)そうしますと、古墳の中心部分の調査は行わないのですね。調査すれば、新たな発見があるようにも思うのですが。
A)
宮内庁が行う調査は、陵墓の保全のためというのが大前提です。学術的な目的での調査は行われていません。
陵墓は現在、すべて合わせると899あります。江戸時代から明治時代にかけて指定が進められ、その後、宮内庁は「静安と尊厳の保持」が重要だとして、立ち入りを厳しく制限しています。同じ理由から、調査についても必要最低限にとどめています。
今回は堤の一部を調べただけですが、そもそもこの古墳で調査が行われること自体、そうあることではないので、巨大古墳が造られた当初の具体的な姿を知るうえで貴重な成果が得られたと言えると思います。
Q)陵墓の調査や公開は、今後さらに進むのでしょうか。
A)
陵墓の公開については、歴史学や考古学の研究者たちが長年にわたって宮内庁に要望を重ね、少しずつ実現してきたいきさつがあります。
まずは昭和54年から、研究者の団体に調査現場が公開されるようになりました。
そして平成20年、こちらの奈良市にある陵墓の1つ、神功皇后陵に指定されている五社神(ごさし)古墳で、研究者の「立ち入り」が初めて実現しました。
土器の採集や測量などはできず、墳丘の一番下の段からの見学に限られていますが、年に1、2か所、中に入って現状を観察することができるようになりました。
そして今回、さらに一歩進んで、仁徳天皇陵で地元自治体との共同調査が実現し、研究者も現場を見学しました。
Q)私たち一般市民も、調査現場を見ることはできるのでしょうか。
A)
一般公開については、今回の調査現場では予定されていません。ただ、過去の調査のなかで、1つ参考になる事例があります。
堺市の御廟山古墳では、10年前に堺市が調査現場を公開しました。見に来た人たちは、宮内庁が行った調査現場も目にすることができたのです。
Q)どういうことでしょう。
A)
この古墳、墳丘の部分は「百舌鳥陵墓参考地」として、宮内庁が管理しています。
したがって、墳丘の調査は宮内庁が行いましたが、そのすぐ外側の裾や濠の部分で、堺市が同時に調査を行ったのです。
どういうことかと言いますと、宮内庁が墳丘に設けた15か所の調査区域に隣り合う場所に、堺市が調査区域を設けて、同じタイミングで調査を行いました。
現場としてはひとつながりになっているため、堺市が現地説明会を開いたときに、宮内庁側の現場も見ることができたのです。
一般向けの現地説明会には、2日間で6000人以上の見学者が訪れたということです。
Q)こうした反響の大きさを見ますと、多くの人が納得できる管理や公開のあり方が大切だと感じます。
A)
堺市や周辺には、ほかにも巨大な古墳が点在し、「百舌鳥・古市古墳群」として、世界文化遺産への登録を目指しています。この中には49の古墳がありますが、このうち半数を超える29基は「陵墓」で、現状では公開に大きな制約があります。
研究者の団体は、こうした陵墓について、「国民共有の重要な歴史文化遺産である」として、公開を原則とした活用を求めています。
一方で、国民の中には、「皇室の祈りの場でもあり、発掘調査や公開は安易に行うべきではない」という意見もあると思います。
今回の共同調査で実現した堺市との協力関係を「公開」にも生かすことで、「静安と尊厳の保持」に配慮しながらも、調査の成果を多くの人たちに知ってもらう道を探ってほしいと思います。
(高橋 俊雄 解説委員)
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