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「祖先は丸木舟で? 3万年前の航海に迫る」(くらし☆解説)

土屋 敏之  解説委員

▼日本人の祖先が大陸からどのようにしてやってきたのか解明するため、およそ3万年前の航海を再現しようという取り組みが行われている。

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 私たち現生人類はおよそ20万年前にアフリカで誕生したとされていて、その後世界中に広がり、日本列島でも3万数千年前頃から多数の遺跡や人骨がのこされています。当時の海岸線は大体このあたりだったとされ、大きく3つのルートで祖先はやってきたと専門家は考えています。中でも沖縄ルートは当時でも100km以上海を渡る必要があり、最も困難だったと見られます。
  
▼3万年前の人にはそういう大航海が出来た?

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 そこが大きな謎です。最近縄文ブームですが縄文時代は1万数千年前頃からで、既に丸木舟があったことがわかっています。ところが3万年前というとさらに前の「旧石器時代」です。こちらのイラストはあくまで1つのイメージですが、当時は石器や動物の骨を加工した道具が主体で、骨を加工した針なども作られていたことは知られていますが、舟は見つかっていません。丸木舟などが仮にあったとしても、植物素材は3万年も経つとなかなか残らないのです。
  
▼どうやって海を越えたかはわからない?

 沖縄の遺跡でこの時代の人骨が多数発掘されているので、人が住み着いていたのは事実ですが、その移動手段を示す物証は見つかっていません。そこで、国立科学博物館の人類学者・海部陽介さんらが、この3万年前の航海を再現しようというプロジェクトを立ち上げ、「実験考古学」と呼ばれる手法で謎に挑んでいます。
 考古学では例えば遺跡から石器が発掘されたら他の地域や時代のものと形を比較したり含まれている成分を化学分析したり様々な手法がありますが、実験考古学というのは、その石器を実際に使ってみて性能や使い道を探ったり当時の様子を推定するなどの手法をとります。

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 グループでは3万年前に可能だったと考えられる技術で舟を作って、当時大陸と陸続きだった台湾から沖縄の島々に実際に渡れるか?検証しようとしています。そのため、科学者だけでなく、海洋探検家や古代の舟を製作できる大工さんなど幅広い分野の人たちが参加しています。
    
▼それで丸木舟で海を渡る実験をするということ?

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 最初は2年前に、まず与那国島に生えている草を束ねた簡単な舟で、70km離れた西表島までの実験航海を試みました。しかし、潮流でコースがそれてしまい途中で断念しました。去年は台湾に自生している太い竹を束ねて筏のような舟を作って海を渡ろうとしましたが、やはり思ったようにはいきませんでした。ですから、この航海を「冒険」として見れば、「失敗続き」ということになります。ただ、科学的な研究プロジェクトとして見れば、実はこの間も進展がありました。

▼どんな進展があった?

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 まず、なぜ渡れなかったか?がはっきりしました。一言で言えば、舟の速度が足りないということです。台湾から与那国島などへ渡ろうとすると、世界最大の海流の一つとされる黒潮を横切る方向への航海をする必要があります。プロジェクトのメンバーは、海底の堆積物の分析などから、3万年前も黒潮の流れは現在とほぼ同じだったと突き止めています。この黒潮の流れは時速5kmにも達しますが、草束舟も竹筏舟も熟練した人たちが漕いでも時速3kmから4km以下しか出せませんでした。すると与那国に行こうとしても流されて島からそれてしまい辿り着けません。
 プロジェクトでは台湾の山の上から与那国島が直接見えることも発見しています。そこから、当時の人たちは与那国島の存在を知っていて、どんな動機だったかは謎ですが意図的にめざしたと考えています。ただ、その大航海を成功させるには、黒潮の流れ以上の速度を出せる舟が必要でした。
 そこで、もう一つの発見がありました。それは、「丸木舟も当時の技術で作れる」ということです。丸木舟は軽くて水の抵抗も少なく速度が出ることはわかっていましたが、先ほど触れたように発掘されているのが縄文時代以降なので、これまで試していませんでした。しかし、3万年前の石器を復元したものを石斧として使うことで大木を切り倒して舟型に加工もできることを実際に確かめたのです。
     
▼どのように確かめた?

 去年、石川県能登半島でこの石器を使って直径1mもある杉の木を切り倒し、切った木の内側を石器で削って舟の形に加工していきました。作業の様子は今年の夏には東京・上野の国立科学博物館で公開され、子供たちの注目も集めました。
 先月には房総半島沖で、こうして出来た丸木舟を漕ぐ練習が行われました。漕ぎ手は、男女5人でシーカヤックのガイドさんなど手こぎ舟の熟練者ばかりです。日本人の祖先が沖縄に住み着いた航海の検証なので、一人の冒険者ではなく子孫が残る男女の集団が移住したと考えてこうしたメンバー編成にしました。そして、房総沖には黒潮の分流も流れていますが、実際にそこを横切れる速度が出せることも確かめられました。      

▼黒潮を超えられた?

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 はい。この日の潮流は時速5kmと台湾・与那国間の流速とほぼ同じでしたが、ここを丸木舟で約2時間で横切ることが出来ました。舟の速度は時速5、6kmは出ていて、台湾から与那国までの距離は100km以上ありますので丸一日以上かかると見られますが、計算上は渡れるめどが立ったと言います。
       
▼今後はどんな計画?

 来年夏、気象条件の良い時を待って台湾から与那国島までの実験航海の本番を行う予定です。こうした基礎科学は、直接何かの役に立ったり産業の創出に結びついたりはしないので最近はなかなか公的な研究費も得にくい風潮がありますが、こうした中、プロジェクトでは「クラウドファンディング」と言って、ネット上で一般の人たちから寄付を募る方法で資金を集めてきました。色々な課題もありますが、こうした言わば科学の現場と一般市民が直接つながって進めていく手法は、これからの科学研究のあり方を考えるきっかけのひとつにもなるように思います。

(土屋 敏之 解説委員)


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