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保坂修司「石油危機50年 日本と中東は」

日本エネルギー経済研究所 中東研究センター長 保坂 修司

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今から50年前の1973年10月6日、エジプトとシリアが突然、イスラエルに奇襲攻撃をかけ、第4次中東戦争が勃発しました。このとき、湾岸産油国は原油の公示価格を大幅に値上げ、さらにイスラエルを支援する国を敵対国として石油の輸出を禁止し、中立国にも、アラブ寄りに政策を変えるまで輸出を削減しつづけるという石油武器戦略を発動しました。これで中東の石油に依存していた国は一気にパニックに陥りました。世にいう第1次石油危機、オイルショックです。

この第1次石油危機のきっかけとなった第4次中東戦争からちょうど50年たった2023年10月7日、パレスチナのガザ地区を実効支配するハマースなどの武装勢力が突然、イスラエルを攻撃するという事件が発生しました。すでに世界はウクライナ紛争でエネルギー危機のさなかであり、事態がさらにエスカレートして、中東の産油産ガス国が巻き込まれるような事態になれば、第5次中東戦争、あるいは第3次石油危機になる可能性も指摘されています。

VTR(1973年の日本)
50年前の日本は「高度経済成長」という繁栄を謳歌していました。これは、中東から安定的に供給される安価な石油によって支えられていました。その石油がなくなるかもしれないということで、トイレットペーパーや洗剤がなくなったり、飲食店やデパートの営業時間が短縮される、ガソリンスタンドが日曜日休業になる、テレビの深夜放送が休止になるといった事態になりました。こうした騒動を覚えているかたも多いのではないでしょうか?さらに悪いことに、石油価格、燃料価格の高騰で、狂乱物価とも呼ばれたインフレも発生しました。
日本の高度経済成長はこの石油危機で終焉を迎えたといっていいでしょう。石油危機は日本の経済のかたちを変えてしまっただけでなく、いくつもの課題を突きつけました。一つはエネルギー安全保障という課題です。

当時、日本は、加工前の一次エネルギーの75%以上を石油に依存していました。そして、その8割近くを中東から輸入していました。単純計算ですが、日本は全エネルギーの6割近くを中東に頼っていたことになります。
石油危機の教訓から日本ははじめて本格的にエネルギー安全保障の検討をはじめ、たとえば、石油の消費を削減したり、エネルギー源を石油以外に多角化したり、石油の輸入元を中東以外に求めたり、危機が起きた場合の備えとして石油の備蓄を行ったりなどなどです。
もう一つは中東に対する認識をあらためたことです。大半の日本人にとって、中東は遠い世界でしたが、第4次中東戦争・石油危機をきっかけに、中東やアラブ、あるいはイスラームについて知らなければならないという機運が高まりました。
実は当時、ペルシア湾岸産油国のなかで日本が大使館をもっていたのはイラン、イラク、サウジアラビア、クウェートの4か国だけで、その大使のなかにアラビア語など現地の言葉のできる人はいませんでした。在クウェート大使館は、UAE、バハレーン、カタル、オマーンの4国も兼轄していたのですが、それを、大使を含めわずか5人の館員で見なければなりませんでした。また、外務省中近東局の幹部にも中東の専門家はいませんでした。
これは政府だけの問題ではありません。新聞やテレビなどメディアでも中東の言語をあやつれるジャーナリストはほとんどいませんでしたし、研究者でも、現代中東を専門的に研究する人は多くはありませんでした。
つまり、当時の日本では官民合わせて、中東情勢を分析する能力がきわめて限定的であったということになります。石油戦略が発動されたとき、日本は、アラブ諸国の友好国なのか敵対国なのか、中立国なのか、石油を売ってもらえるのか、売ってもらえないのか、最後の最後まで正確な情報をつかむことができませんでした。これは専門家の不在だけでなく、中東諸国の要人とのパイプが薄かったことも挙げられると思います。
結果的に見ると、第1次石油危機後の、エネルギー安全保障政策や対中東政策の見直し、専門家の育成で、1979年以降の第2次石油危機、湾岸危機・湾岸戦争、イラク戦争など中東で大きな事件が発生しても、日本や世界はパニックになることはありませんでした。しかし、その一方、とくに近年、中東や石油をめぐる状況が変化してきたため、日本では危機意識が共有されることが少なくなってきたと感じています。

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1987年には石油の中東依存度も60%代にまで減少しましたが、その後、中東依存度はふたたび上昇、気がついてみると、中東依存度は直近では約95%と過去最高を記録しています。
一方、一次エネルギーに占める石油の比率はその後も落ちていきますので、全エネルギーに占める中東依存度は低下し、現在は50年前の約半分、30%程度になっています。しかし、半減したとはいえ、依然エネルギーの3割、天然ガスを含めれば、もっと多くを中東に依存していることには変わりありません。
近年は地球温暖化の元凶として石油を含む化石燃料がやり玉に挙げられることが多く、長期的にみれば、石油の需要が減少していくのは明らかです。しかし、石油の使用がゼロになるわけではありませんし、ましてや中東の重要性が低下するわけでもありません。けれども、残念ながら、石油への関心が低下するのと比例して、中東における日本のプレゼンスや関心も下がってきています。
ロシアのウクライナ侵攻で、世界的なエネルギー危機が発生し、中東のエネルギーにふたたび世界の注目が集まっています。それにもかかわらず、日本の中東におけるプレゼンスは低いままで、中東のエネルギーに関するプロジェクトに関与できずにいます。
石油やガスに代わるエネルギー源として注目される水素やアンモニア、実はここでも中東は重要な役割を果たしていくといわれています。水素やアンモニアは化石燃料だけでなく、再生可能エネルギーによっても製造されます。そして、この両方で中東はきわめて高いポテンシャルを持っており、日本にとっては石油後を見据えても、中東は重要なパートナーでありつづけるはずです。脱炭素はけっして脱中東ではないのです。
もちろん、50年前と現在とでは大きく状況が異なります。50年前はアラブ諸国が一致団結してイスラエルと対峙していましたが、1993年のオスロ合意でパレスチナの自治がはじまり、エジプト、ヨルダンに加え、UAE、バハレーン、モロッコもイスラエルと国交を樹立しています。しかし、極右勢力を含む、現在のイスラエルのネタニヤフ政権は、ガザだけでなく、ヨルダン川西岸でもきわめて強硬な反パレスチナ政策を取っていました。もちろん、ハマースのイスラエル攻撃は決して容認できるものではありません。しかし、イスラエルが報復攻撃をしたからといって、問題が解決するわけでもありません。50年前、日本政府は石油危機のなか外交政策をアラブ寄りに転換、結果的に日本は米国追従ではない、独自外交で中東諸国に存在感を示しました。今回、奇しくも50年前と同じような状況のなかで、日本が中東の安定化でどのような役割を果たせるのか、50年間の経験や教訓を生かす必要があると思います。

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