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斎藤幸平「「コモン」とは何か」

東京大学 准教授 斎藤 幸平

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今、行きすぎた資本主義が問題視されるようになっています。コロナ禍では、広がりすぎた経済格差とエッセンシャルワーカーの軽視が浮かび上がりました。また、気候変動に代表される惑星規模の環境危機には、持続可能性よりも無限の利潤追求を優先する経済システムの矛盾が現れています。

「人新世」と呼ばれる、人間の経済活動が地球のありかたさえも、根本から変えほど力をもつようになった時代に、私たちの世界は突入しているのです。

かつてドイツの思想家カール・マルクスは、資本主義が人間と自然の関係を歪め、人間と自然のあいだに「修復不可能な亀裂」を生むと警告しましたが、人新世において、亀裂が私たちの暮らしを脅かすようになっているのです。
目先の利益だけを追求する資本主義は、労働者たちの賃金を削り、必要な公的サービスを削ってきました。さらに、これまでは、商品として扱われてこなかった公共財を、民営化、規制緩和を通じて、資本が囲い込んでいきます。そのせいで、私たちの生活はますますお金や商品に取り込まれるようになっていきました。一度公共財が商品化されると、どれだけ生活に必要なものであっても、お金がないとアクセスできなくなっていき、生活は不安定化していきます。

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私は、本来商品化されるべきではない公共財をコモンと呼んでいます。コモンは、社会の富です。みんなの共有財産である社会の富は、必ずしも貨幣ではかることはできません。ところが、資本主義はコモンを商品化し、金儲けの道具にしていきます。
例えば、アメリカの医療を考えるとわかりやすいでしょう。アメリカは医療費が高いことで有名です。けれども、その理由は、医療資源が不足しているからではもちろんありません。アメリカには国民全員に適切な医療を提供するのに十分な資源があるのです。にもかかわらず、医療サービスは商品化され、人工的に希少で、高価なものにされているのです。
国民皆保険制度を作らずに、医療を金儲けの道具にすることで、製薬会社や保険会社は儲かって、経済は成長する一方、多くの人は医者にいくこともできません。その結果、アメリカは世界最大の経済大国であるにもかかわらず、コロナ禍では100万人以上の方が亡くなり、国民の平均寿命は、日本や韓国より六歳も短いのです。

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行きすぎた資本主義を放置しておくと、コモンは資本によって囲いこまれていき、社会の富は貧しくなって行きます。自明なことですが、人々の生活にとって必要な財やサービスは、必ずしもお金儲けのためには役立ちません。公園、図書館、公共交通機関、公共放送、こうしたサービスは減らされていく一方、医療や介護、教育、食、水道などは、民営化による値上げや賃金カットによって、誰もが安心・安全で享受できるものではなくなっていく可能性があるのです。
自然も同じです。豊かな自然はGDPには換算されません。生産活動は自然に支えられているにもかかわらず、その貢献は不可視化され、汚染や廃棄物などのコストも外部化されてしまいます。
だからこそ、社会インフラや自然環境といったコモンについては、商品にして、はならない。市場に任せて、お金儲けの道具にしてはならない。これは、環境経済学者の宮本憲一が「社会資本」と呼び、その後、経済学者の宇沢弘文が「社会的共通資本」と名づけたものと、基本的には同じ考え方です。
しかし、それを単に商品としないだけで、問題が解決するわけではありません。仮に国家が社会資本を管理しても、そこに私たち市民の意志や意向が反映されずに、他人任せのものになってしまうなら、非効率で、排他的なものになってしまうでしょう。この点では、ソ連社会主義の国有化や西欧福祉国家制度にも限界がありました。そのせいで、この半世紀にわたって、規制緩和や民営化が押し進められてきたのです。
なので、「コモンとは、誰もが必要とするものの脱商品化である」と言うだけでは足りません。もう一つ、こう付け加えなければなりません。つまり、「コモンとは自治である」と。行きすぎた資本主義が問題なのは、それがコモンを解体し、社会の富を独占することで、本来社会全体にとってかかわる問題についての意思決定を一部の企業や集団が独占してしまうことにあります。そのことによって、民主主義の根幹を脅かすからです。
例えば、神宮外苑の再開発を例に取りましょう。今、神宮外苑には樹木を伐採し、銀杏並木に悪影響がでることが懸念されているスタジアムや高層ビルを建設する、再開発の計画があります。東京都は事業者に対し、樹木の保全については具体的な見直し案を提出するよう要請していますが、保全がどこまでされるのかは現段階では不明です。再開発に伴い、市民が手軽に体を動かせるスポーツ施設のほとんども廃止される予定です。
これに市民や著名人が反対の声をあげているのは、神宮外苑という場所がもつ公共性があるからです。そもそも戦前の外苑は国有地でしたが、終戦後に国から明治神宮に格安で払い下げられました。ただし、その際、「民主的に運営すること」「国民が公平に利用できること」などの条件がついていて、ここにも公共性の高さがうかがえます。
ですから、景観や広場、スタジアム、樹木の保存は、企業が勝手に決めていいものではなく、本来、地域住民やスポーツ関係者などが一緒になって考えるべき問題なのです。だから、反対の声が上がっている。そして、ここに育てていくべき自治の萌芽があります。
普段、私たちは、欲しいものをなんでも商品として買うことが当たり前で、それこそが便利だと考えるような生活を送っています。ところが、そうした事態は裏を返すと、私たちはお金がなければ、何も買えずに、生きていくこともできないということでもある。貨幣と商品に依存する存在なのです。その結果、私たちは、コミュニティや自然など、貨幣や商品ではないものを自分達で維持、管理、発展させることができずに、どこまでも資本主義の流れに従うだけの存在になっています。そのような状況を、マルクスは、資本に包摂された生き方として批判しています。

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少なくとも、コモンという多くの人々が利害関係者であるものについては、資本に意思決定や管理を独占させてはいけない。むしろ、労働者、消費者、近隣住民などのさまざまな人々の多様な声が反映されるようにしていくべきです。そうすることではじめて、単に利潤追求だけでなく、公正さや持続可能性といった視点も担保されるようになるからです。
自治への参加の方法はさまざまです。フランスでは、水道事業が再公営化されたのち、オー・ド・パリという水道公社の意思決定の最高機関に、市民の代表が入っています。また、市内に給水スタンドを設置したり、貧困家庭の水道代は住宅連帯ファンドが三分の一負担することになりました。同じようなやり方は、電力や公共交通機関などにも広げていくことができるでしょう。一方、日本では、水道事業が民営化されようとしています。
コモンの自治に関わっていくことで、資本主義の論理にどっぷりと浸かって、お金儲けのことばかり考えている生活を変えることができます。資本主義から半身だけ抜け出して生きていく。競争を相対化することで、家族や友人との生活を少し豊かにすることができるでしょう。その経験が、さらにコモンを広げ、民主主義を社会に根付かせることにつながるのではないでしょうか。

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