NHK 解説委員室

これまでの解説記事

林直樹「特に厳しい過疎集落の新しい選択肢」

金沢大学 准教授 林 直樹

s230719_015.jpg

(導入)
現在、農村の人口減少が大きな問題になっています。一口の農村といっても多種多様ですが、きょうは、過疎が著しい集落、過疎集落に注目し、現状維持にこだわらない集落づくりの新しい選択肢、「再興を意識した建設的な縮小」についてお話しします。

主な内容は次のとおりです。まず、議論の突破口として、国勢調査の人口がゼロになった集落の事例を紹介します。次は、この先人口がゼロになる可能性のある過疎集落の生き残り策について考えます。
ここでは、「再興を意識した建設的な縮小」という長期的な集落づくりの選択肢を紹介したいと思います。続いて人口がゼロになるか迷うような場合の対応について少し紹介し、最後に若干の補足を加えます。

まずは、用語の定義と補足です。
ここでは、国勢調査の人口がゼロになった集落を「無住集落」と呼ぶこととします。なお、国勢調査の人口は、常に住んでいる人の人口、つまり、「常住人口」です。

(無住集落の事例紹介)
わたしは、2017年から石川県の無住集落について調べています。ただし、石川県を対象とした調査では、大字(おおあざ)を「集落」とみなしています。石川県の場合、ダム水没などを除いた無住集落の数は、2015年時点で33か所、2020年時点で44か所です。5年間で11か所も増えたことになります。
石川県の無住集落から特徴的なものをいくつか紹介します。

s230719_017.jpg

これは、七尾市役所から約9キロのところにある無住集落です。一帯は雑草雑木に覆われつつあります。痛みの進んだ家屋も見られました。人の気配もありません。多くの方がイメージする無住集落といえば、このような感じではないでしょうか。
一方、国勢調査の常住人口にカウントされない人、集落外の人が「通い」で維持する無住集落もあります。ただし、「集落外」といっても「大半は元住民」ということが多いと思います。

s230719_018.jpg

これは、金沢市役所から約12キロのところにある無住集落です。「常住人口がある一般的な集落」と見分けがつきません。驚くことに、この集落には、ごくふつうのパン屋さんもあります。
さすがにパン屋さんは珍しいわけですが、一般的な集落と見分けがつかないような無住集落は、決して珍しいものではありません。

s230719_019.jpg

これは、小松市役所から約30キロ、標高約600mの場所にある無住集落です。付近の道は狭く、やや隔絶した場所にある無住集落といってよいでしょう。しかし、ごらんのように、明るい雰囲気が維持されています。
いかがでしょうか。無住集落といえば、雑草雑木に覆われた薄暗い集落が思い浮かぶかもしれませんが、実際の無住集落は、非常に多様であり、パン屋さんのある無住集落のように、将来的な再興の可能性を感じさせる集落も少なくありません。希望ある無住集落の事例は、「常住人口ゼロという極めて厳しい状況となっても再興の可能性を残すことは可能」ということを示しています。

(常住人口のある過疎集落の生き残り)
次は、無住集落から離れ、「常住人口のある過疎集落」の生き残り策について考えます。ただし、同じ過疎集落でも、集落ごとの差というものがあります。ここでは、この先常住人口がゼロになる可能性のある過疎集落について考えます。なお、そのような場合、はじめに考えるべき課題は、「少ない人数でどのように生活を守るか」ですが、それについては、新しい組織づくりなど、現在、活発に議論されているので、非常に重要な議題ではありますが、割愛することとします。
ここでは、数十年レベルの長期的な集落づくりについて考えてみましょう。わたしは、現時点で厳しいとしても、長期的にみると、集落再興のチャンスはいくらでもあると思っています。国民の意識の変化といった漠然としたものだけではありません。気候変動や国際的な情勢の変化、国産の農産物や木材の需要の拡大、ICTや自動運転といった技術の開発など、プラスになりうる材料はいくらでもあります。問うべきは、「チャンスが到来するか、しないか」ではなく、「到来したとき、それを生かすだけの力が集落に残っているか」ではないでしょうか。
この場で長く語ることはできませんが、「集落の力」としては、関係者のまとまり、権利的なものも含めた土地の可能性、過去の歴史と現在が連続しているという感覚、つまり、集落の歴史的連続性、自然の恵みをいかすための古くからの生活生業の技術などが考えられます。それらが失われた場合、チャンスが到来したとしても、それを生かすことはできないと思われます。一方、完全ではないとしても、「集落の力」が残っていれば、常住人口が減少しても、極端な場合、ゼロになっても再興の可能性が残ります。
これまでのような人口の確保に注力した集落づくりを否定するつもりはありません。
とはいえ、この先は、それに加え、「無理をせず、常住人口の減少を一度受け入れ、再興の可能性、集落の力を残すことに注力する」、つまり、「再興を意識した建設的な縮小」という選択肢があってよいと思うのですが、いかがでしょうか。
なお、「集落の力」の維持では、常住人口だけでなく、集落からの転出者、元住民も重要です。転出者は集落づくりの脱落者ではありません。山をおりて、ふもとから「通い」で集落の維持に寄与する、ということであれば、転出者も非常に貴重な戦力です。「土地を離れることはわるいこと」と単純に決めつけてはいけません。

(各論における「再興を意識した建設的な縮小」)
少しそれますが、そのような考え方は、集落づくりの各論でも効果的です。例えば、水田について考えてみましょう。

s230719_020.jpg

水田の管理を放棄すると、雑草雑木に覆われることになるわけですが、そうなってしまっては、もとの水田に戻すのは大変です。

s230719_021.jpg

一方、過疎集落の事例ではありませんが、これは、水田にウシを放牧した事例です。このような状態であれば、必要なとき、比較的短期間でもとの田畑に戻すことができます。これも「再興を意識した建設的な縮小」の一種といえるでしょう。

(この先常住人口がゼロになるか迷うような場合)
話を戻します。では、この先常住人口がゼロになるか迷うような場合は、どうすればよいのでしょうか。そのような場合は、「楽観的な未来と悲観的な未来の両方を想定し、いずれとなっても大丈夫なように考えておく」というのが効果的です。過疎集落に該当するかは別ですが、わたしが知るところでは、長野市中条(なかじょう)地区、飛騨市畦畑(うねはた)地区でそのような方式が採用されています。「楽観的な未来だけを想定する」というこれまでのスタイルを否定するつもりはありませんが、この先は、悲観と楽観の両方を想定する形が不可欠と考えています。

(厳しい時代の集落づくりに必要な考え方)
最後に補足として、厳しい時代の集落づくりに必要な考え方について、少しだけ述べたいと思います。

s230719_022.png

第一は、「人口が減るから増やす、減ったから増やす」だけではなく、「人口が減っても大丈夫な姿を描いてみる」です。「取捨選択に向き合い、守るべきもの、子孫に伝えるべきものを明らかにする」という姿勢が大切です。第二は、「遠い未来のことはわからない」です。楽観的に考えることも大切ですが、悲観的な場合の備えも必要です。第三は、「厳しい状況にある地域から学ぶ」です。厳しい状態にある地域、極端なことをいえば、無住集落にこそ、この先の縮小時代を生き延びるためのヒントがある、と、わたしは考えています。
時々、明るいニュースを聞くことがありますが、集落を取り巻く状況は厳しさを増しています。しかし、「現状維持」というこだわりを外せば、厳しい集落であっても、生き残りの道はいくらでも残っています。

こちらもオススメ!