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中村浩志「ライチョウが語りかけるもの」

信州大学 名誉教授 中村 浩志

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今日は、国の特別天然記念物で、近い将来絶滅の可能性の高い絶滅危惧種に指定されているライチョウについてお話します。

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ライチョウとはどんな鳥か、その現状と課題に触れた後、現在実施している絶滅した中央アルプスにライチョウを復活させる事業についてお話しします。

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ライチョウは、北極を取り巻く北半球北部に広く分布する鳥です。日本では本州中部の高山に生息しますが、日本のライチョウは、世界最南端の地にポツンと分布し、北の大集団とは完全に隔離された集団です。

日本のライチョウの祖先は、今から2~3万年前の最終氷期に大陸から入って来た集団です。その後氷河期が終わり、温暖化と共に高山に逃れることで、世界の最南端の地で今日まで生き残って来ました。

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ですので、北の集団はツンドラなどの平地に棲むのに対し、日本のライチョウは高山に棲む貴重な集団で、国の特別天然記念物に指定されています。

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日本のライチョウのもう一つの特徴は、人を恐れないことです。北極周辺の集団は、長い間狩猟の対象となって来ましたので、今も人の姿を見ると飛んで逃げます。それに対し、日本のライチョウは、登山中に出会っても逃げることはしません。

なぜ日本のライチョウだけが人を恐れないのか?その理由を突き詰めると、日本文化に
その原因がありました。稲作を基本とする日本文化の最大の特徴は、里と里山は人の領域、奥山は神の領域として使い分けてきた点にあります。水田の水確保のため、奥山の森には手を付けず、神を祀ってきた歴史があります。その神の領域の最も奥に棲むライチョウは、神の鳥とされ、日本では狩猟の対象にはならなかったのです。
私の恩師、信州大学の羽田健三先生は、大学を退官するまでの30年間、ライチョウの研究をされました。先生が解明されたことは、ライチョウの春から秋の高山での生活の解明と本州中部の山ごとのライチョウの数の解明です。
私は、学生の頃からライチョウの調査を手伝い、大学院を終えて助手として戻ってから羽田先生が退官するまでの5年間、後者の生息数の調査を手伝いました。
その結果、羽田先生が20年ほどかけた調査から、1980年代当時日本に生息するライチョウは約3,000羽であることが分かりました。
羽田先生の退官後、私は長い間、ライチョウの研究から遠ざかっていました。それが、50歳を過ぎて、ライチョウの研究を再開しました。再開したのは、私自身の研究が一段落したこと。外国のライチョウを見て、人を恐れないのは日本のライチョウだけで、その理由には日本文化が深くかかわっているという重要な点に気付いたからでした。その後、日本のライチョウはどうなっているだろうか?ライチョウの研究を再開し見えてきたことは、多くの山岳での数の減少、以前には見られなかった二ホンジカ、ニホンザル、といった草食動物の高山への侵入によるお花畑の食害、同じく元々は高山にいなかったキツネ、テン、カラス、といった捕食者の高山への侵入。さらに地球温暖化による影響でした。
このままでは日本のライチョウは確実に絶滅する!そのことを確信した私は、保護にも手を付けざるを得なくなりました。2012年、ライチョウが環境省のレッドリストで「近い将来絶滅の可能性が高い種」にランクアップされました。それを受け、2014年に環境省は当面5年間の取り組みを決めた第一期計画を作成し、保護に着手しました。  
この計画では、生息現地での取り組みの中心となったのは孵化直後の家族を1ヶ月間ケージを使って悪天候と捕食者から人の手で守ってやる対策です。南アルプス北岳でこのケージ保護を5年間実施した結果、この地域のライチョウを4倍に増やすことに成功しました。

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第一期の計画が終了する2018年、絶滅した中央アルプスに50年ぶりに1羽の雌ライチョウが飛来しました。それを受け、2020年から中央アルプスにライチョウを復活させる計画を中心にした第二期計画が作成されました。
この第二期計画は、飛来雌が無精卵を産んだら動物園からの有性卵と差し替え雛を孵化させる計画と隣の乗鞍岳で1ヶ月間ケージ保護した3家族をヘリで中央アルプス駒ケ岳に運び、放鳥するという計画です。
卵差し替え計画は、雛の孵化直後にニホンザルによる妨害で失敗しました。それに対し、乗鞍岳からケージ保護した3家族の輸送には成功しました。この3家族と飛来雌1羽を合わせた計20羽を基に、中央アルプスにライチョウを復活させることになりました。
この創始個体20羽のうち18羽が翌2021年まで生き残り、繁殖しました。

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うち6家族を1ヶ月間ケージ保護し、放鳥しました。その結果、8月には成鳥とその年生まれの雛と合わせ、前年の同じ時期の3倍以上に数が増えました。この年、ケージ保護した家族のうち残り2家族は、ケージ保護終了後にヘリで那須どうぶつ王国と茶臼山動物園に降ろしました。動物園で繁殖させ、増えた家族を翌年ヘリで山に戻すためです。
翌2022年には、前年の2倍にあたる計41羽が繁殖しました。ケージ保護した家族としなかった家族からの雛と合わせ8月までに計59羽の雛が山で育ちました。さらに、前年動物園に降ろし繁殖させた家族から計22羽を駒ケ岳に戻すことができました。そのため2022年8月には、成鳥と雛を合わせ、前年の2倍近くの120羽に増やすことができたのです。
第二期の目標は2024年までに100羽に増やすことですが、3年目にあたる今年中に予定より1年早く目標が達成できる可能性があります。最終目標は、人の手を借りなくても集団を維持できる200羽に増やすことですので、それまであと一歩となりました。世界で唯一人を恐れない貴重な日本のライチョウをこれからも山に登ったら見られるよう、次の世代に残したいものです。
絶滅した日本のトキとコウノトリが我々に残した教訓は、何だったのでしょうか?それは数が極端に減少した段階でいくらお金と労力をかけても、絶滅から救うことはできないことです。野生動物の保護は、野生の集団がまとまった数存在する段階に減少の原因を解明し、対策を取ることです。神の鳥として大切にされてきた日本のライチョウをここまで追い込んでしまったのは、元をただせば現在を生きる我々日本人なのです。
世界最南端の地で氷河時代から生き残り、今日まで生き延びてきた物言わぬ日本のライチョウ。そのライチョウが我々に語りかけるものは、自然と共存した生き方を忘れ、消費一辺倒の我々日本人の生活がこれで良いのかを問いかけているように思います。

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