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澤康臣「裁判記録の保存のあり方」

専修大学 教授 澤 康臣

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 神戸で1997年に起きた連続児童殺傷事件で、事件を起こした当時14歳の少年に対する、神戸家庭裁判所での少年審判の記録が、すべて捨てられてしまっていたことが昨年、地元神戸新聞の調査報道で明らかになりました。裁判所は、事件が二度と起きないためどうすれば良いか、少年をどう立ち直らせるかなどを関係者や専門家を交えて検討したのですが、その記録が全て消えてしまったわけです。
 裁判というおおやけの仕組みで何が行われたかの記録が捨てられてしまった。これは神戸家裁だけではありません。戦後の歴史を作ってきた、例えば自衛隊は憲法違反かどうか争われたような有名な裁判も、多くは記録が捨てられていたことが、数年前に明らかになっています。

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これらの問題を受けて、最高裁判所は5月、価値ある裁判の記録書類を捨てていたことを謝罪し、保存する仕組みを作ると発表しました。重要な裁判の記録書類はその裁判が終われば用済みではなく、そこで作成された記録やデータ自体が国民の財産だとの考え方に切り替えると宣言したのです。
 国民の財産とは大げさに聞こえます。しかし、考えてみてください。戦後の歴史の中で例えば選挙の一票の格差を巡る裁判、性的少数者の権利を求める裁判、夫婦別姓を巡る裁判、いずれも私たちの社会の方向を決める大切な議論でした。裁判は単に勝ち負けではありません。判決が何か新しい判断を示せば、判決例として新しく日本のルールになります。英語でも「コート・ルーリング」つまり裁判所によるルール作りという表現があります。皆さんも、職場や学校、家庭内でもルールを作ったことはあるのではないでしょうか。何でこんなルールを決めたのか、いきさつや根拠が分からなくなっては困ります。しかも、歴史的な裁判には、懸命に権利を訴える市民の声、それへの反論、専門家の意見もたっぷりと含まれています。その時代の難問に対し、皆が知恵を振り絞った結晶といってもいいでしょう。それを記した貴重な知的資源が裁判記録なのです。
 そのため、諸外国では裁判の記録をできるだけ保存する仕組みを整えています。

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研究によりますと、アメリカの場合、例えば全国の連邦地方裁判所の裁判記録はすべて永久保存と決まっています。州によっては、重要な裁判に加え、全体から無作為抽出で何%かを選んで永久保存するところもあります。身近な生活トラブルが裁判になったものでも、その時代の特徴を示す貴重な歴史資料であって、有名裁判だけ保存すれば良いわけではないという考え方と言えます。
 日本も今後、重要な裁判記録を積極的に永久保存することになります。そのためには場所と人と予算が必要になります。全て電子データにすれば場所がいらないという考え方もありますが、電子データは改変しやすい弱点がありますし、何より、資料自体がどんな紙や綴じ方だったかも大切な情報です。平安時代の古文書を、スキャンしてデータだけ保存し、紙は捨てれば良いという人はいないでしょう。原本の保存は欠かせません。地方を含めて場所を確保して、文化資源には十分な予算と人を充てる国であってほしいと思います。
 さて、こうして保存される裁判記録ですが、アメリカやヨーロッパではこれらを生かして、歴史の研究、社会問題の検証はもちろん、現在の有力者や大企業が不正をしていないかのチェックにも活用されています。7年前、タックスヘイブンの秘密経済を明らかにしたパナマ文書の報道でも各国の裁判記録は使われましたし、イタリアのマフィアのアフリカ進出を追った国際調査報道でも使われました。ロシアの警察元幹部がなぜかアメリカで、日本円にして何十億円もの資産を蓄えていることが6年ほど前に判明したことがあるのですが、これも裁判記録の情報で突き止めたことです。
 これには保存した裁判記録の、今度は活用のしやすさがものをいっています。アメリカの連邦裁判所の裁判記録は電子データとしても保存され、インターネットで閲覧したりダウンロードしたりできます。裁判の公開が徹底されているのです。裁判が正しく行われたか市民が検証できる裁判の公開、これはすなわち記録の公開というわけです。

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 こちらが、アメリカ連邦裁判所のデータベース、PACERです。例えば、2021年、アメリカの連邦議会にトランプ前大統領の支持者らが乱入した事件をめぐり、煽動共謀の罪に問われ、5月に判決があった極右団体の創設者、エルマー・スチュワート・ローズ被告の裁判を調べて見ましょう。検索ページに、この被告の名前を入れると、関係した裁判が一覧表示され、そこからこの事件を選びますと、このように裁判記録の書類の一覧が表示されます。起訴状や審理の書き起こし、有罪を言い渡した評決など、公開の法廷に提出されたものは公開文書としてこのように読むことができます。人名が黒塗りされることは原則としてありません。市民への裁判の公開とは、裁判の真の情報を市民に明らかにすることであって、裁判の一部だけなら見てもいいという意味ではありません。それに、固有名詞があってこそ検証や調査が可能になることは非常に多くあります。

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 カナダでも同様です。これは私がかつて、カナダの裁判所にもとめたある裁判の記録です。こちらはインターネットではなかったのですが、こうして用紙に記入し提出するだけで、まもなく郵便でコピーが一式送られてきました。
 日本でも、重要な裁判記録の永久保存へ舵を切ったわけですから、いずれは、それを諸外国のように活用することが議論になるでしょう。
 そのために大切な論点があります。裁判の情報には機微なものも多くあります。当事者にしてみれば知られたくないことかもしれません。私自身も、もし裁判に訴えられたり巻き込まれたりしたとすると、裁判を傍聴されたり、その記録が保存されて閲覧されたりすることは個人としてはいやなものです。一方で、秘密裁判や秘密処罰を防ぎ、司法権力を暴走させないため裁判は公開することが民主国家の鉄則です。ミャンマーの民主活動家で軍事政権に拘束され複数の罪に問われたアウンサンスーチーさんの裁判は非公開で行われましたが、誰がどんな証言をしたのか確認できない恐ろしさ、でもその裁判で証言をした人にしてみれば、できればそっとしておいて欲しい、その矛盾です。
 この矛盾はどう解決すればいいのでしょうか。機微に触れる情報は当局だけにとどめ、市民に与えないことでしょうか。そうではなく、私たち自身が良識を持ち、デリケートな情報も慎重に扱える市民になること、それが本質的な解決策であると私は考えます。それこそが民主主義だからです。
 今回、裁判所が方針を切り替えて重要な裁判の記録という知的資源を保存するようにしたこと、特に「国民の財産だ」と宣言したことは意義深く、評価すべきことです。今度は私たちが裁判記録という財産のよき持ち主、こうしたおおやけの情報をよりよく生かす、民主主義社会の良き運営者となっていくこともまた、改めて求められているともいえるのではないでしょうか。

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