星野直子「星野道夫と見た風景」
2023年05月08日 (月)
星野道夫事務所 代表 星野 直子
アラスカに魅せられ、極北の自然とそこに生きる野生動物や人々の暮らしを取材しながら、時代とともに変わりゆくアラスカを写真と文章で記録し続けた星野道夫。この世を去ってから26年の歳月が過ぎましたが、著作は読み継がれ、写真展も開催が続いています。
星野は学生の頃から北方の自然に憧れを抱いていました。
大学生の時に一枚のアラスカのネイティブの村の写真と出会い、その村で一夏を過ごします。この経験が後に写真家の道を選び、アラスカへ渡ることにつながりました。以降、カメラとザックを担ぎ、一年の半分近くをテントで過ごしながら原野を旅していきます。そこで出会い見続けてきた様々な生命の営みを、カメラに収めていきました。
星野の温かなまなざしを通して語られる言葉も、多くの人々に届いています。「旅をする木」というエッセイ集がありますが、タイトルにある“木”に棒を一本加えて「旅をする本」として、読んだ本を次の人へ託してその本に旅をさせる活動があります。
現在は約300冊の「旅をする本」が国内のみならず海外で旅をしています。
亡くなった後に開催されてきた全国巡回写真展には累計で130万人を超える人々が来場しています。開催期間が空いた時には、「写真展を10年間ずっと待っていました」と長年写真を見ている方に会場で声をかけられたり、「星野道夫さんのことは学校の教科書で知りました。作品を見るのは初めてです」と声をかけてくれる学生さんもいます。
現在は「悠久の時を旅する」という写真展が巡回しています。この写真展では、日本の大学生時代に星野が初めて訪れたアラスカの村の記録から、最後の撮影となったロシアのカムチャツカ半島での写真までが展示されていて、極北の自然、そこに生きる野生動物や人々との出会いを通し、思索を深めていった星野の足跡を辿ることができます。
直近では、昨年11月~今年1月まで、東京都写真美術館で開催されました。その会場に設置した感想ノートには、写真や文章に励まされたこと、生きていく勇気をもらったことなど、さまざまな思いが綴られており、英語の他、中国語や韓国語で書かれたものもありました。世代や国を超えて作品を見ていただけることを本当に嬉しく、そしてありがたく思っています。
星野道夫と出会う前、私は海外に出たこともなく、アラスカとは一年中雪と氷に閉ざされている遠い場所というイメージしかありませんでしたが、結婚してアラスカに移り住みアラスカの自然の中で暮らしていくうちに、厳しい冬は長いけれど、豊かな四季があることも知りました。雄大な自然やそこで生きている野生動物の撮影に何度か同行できたのですが、テントを張ったことも寝袋で寝たこともなかった私にとって、フィールドで過ごす時間は、初めて体験することの連続でした。短い夏に一斉に咲く野の花の群生を見たこと、氷河が大きく崩壊する時に感じた地響きのような振動、カリブー、野生のトナカイの小さな群れがすぐ横を通り過ぎて行ったこと、漆黒の闇夜に聞いたクマのいびきのような声など、星野と一緒に見てきた風景を自分の中で消化し、言葉で表現できるようになるまでにはだいぶ時間がかかりました。
同行して知ることができたのは、星野がフィールドで過ごす時間をとても大切にしていたこと。そして写真を撮影するためには、長い長い時間をかけて待つことでした。悠久の時の流れる自然の中で過ごした時間は、星野が思索を深めていった時ではなかったかと思います。
長男も誕生し、息子と一緒にフィールドを歩くことをとても楽しみにしていた星野でしたが、テレビ番組の取材に同行中、ロシアのカムチャツカ半島でヒグマの事故により急逝しました。星野はクマに対して深い思いを持ち、いつも細心の注意を払っていましたが、この時のクマは、人間との距離を間違って学習してしまった個体でした。クマのせいではなく、人が作ってしまった環境によって起きてしまったことでした。
星野のことを思いだす時に最初に浮かぶのは、にっこりとほほ笑んだ温かな笑顔です。友人や家族、周りの人をとても大切にする人で、普段は楽しいことを見つけて冗談を言ったり、一緒にいる人と楽しい時間を過ごすことが好きな人でした。
「道夫はたくさんの人に助けられた。そしてその助けを素直に受け入れる人だった」と語った、アラスカ大学時代の友人の言葉が忘れられません。自然相手の撮影で、思う通りに撮影できないことがあっても、何年もかけて取り組み続けるひたむきな星野の姿は、周りの人の心を動かしたことでしょう。著作の中では触れられていない友人たちが、家族以上にサポートして下さった、その支えがなければ今までの作品を世に送り出すことは出来なかったでしょう。支えて下さった全ての方々に、感謝の気持ちを新たにしています。
星野の生誕70年にあたる昨年から今年にかけて、NHKで3つの番組が制作され放送されました。星野の世界に共感し自然写真家になった大竹英洋さんが案内役となり、星野の足跡を辿る旅に出ます。その途上で星野が撮影していた同じザトウクジラに26年以上ぶりに奇跡的に出会います。又、倉庫に眠っていたカメラからフィルムが見つかり、その現像に成功しました。それはまるで時を超えて星野から届けられたメッセージのようでした。
折に触れ星野の著作を繰り返し読んでいますが、その時々の心持や置かれた状況によって、心に響く言葉が変わってきます。温暖化による異常気象の増加、新型コロナウィルスによる影響、終わりの見えないウクライナでの戦争など、様々な問題を抱えながら日々を過ごす今、この言葉がまっすぐに心に届きます。
「長い目で見れば、人々が今抱えている問題も、次の時代へたどり着くための、通過しなければならない嵐のような気もしてくる。一人の人間の一生が、まっすぐなレールの上をゴールを目指して走るものではないように、人間という種の旅もまた、さまざまな嵐に出会い、風向きを見ながら手さぐりで進む、ゴールの見えない航海のようなものではないだろうか。」
星野は困難な状況にあっても、希望を見出そうとする人で、次のようなことも著作の中に書いています。
「行く先が何も見えぬ時代という荒海の中で、新しい舵を取るたくさんの人々が生まれているはずである。アラスカを旅し、そんな人々に会ってゆきたい。アラスカがどんな時代を迎えるのか、それは人間がこれからどんな時代を迎えるのかということなのだろう。」混沌とした時代を案じながらも、未来へ向かっていく人々の力を信じているのです。
星野からのメッセージを、これからの時代を担う若い人たちに伝えていきたいと思っています。