印南一路「『かかりつけ医』について考える」
2023年01月23日 (月)
慶應義塾大学 教授 印南 一路
視聴者の皆様は、「かかりつけ医」という言葉を聞いたことがあると思います。「かかりつけ医」の制度を整備するということが、昨年の政府の骨太方針でも謳われ、厚生労働省で議論されました。
もともとの厚生労働省の定義では、「1.健康に関することを何でも相談できる 2.必要に応じて専門医を紹介してくれる 3.身近で頼りになる医師」ということになっています。
新型コロナが猛威を振るっていた中、「かかりつけ医」が最後まで面倒を見てくれるものだと期待していた方も多かったと思います。しかし、実際にはそうではありませんでした。つまり、この定義では不十分で、いわば片思いだったわけです。批判を受けて始まった厚生労働省の議論は、おおよそまとまりましたが、その内容を見ると現状とほとんど変わらないのではないかと危惧されます。
ここでは、「従来のかかりつけ医」と「本来あるべきかかりつけ医」を区別し、「本来あるべきかかりつけ医」はどういうものかを考え、制度・整備に関する議論の現状を踏まえた上で、今後どこに重点を置いて議論すべきかについてお話したいと思います。
まずは、「本来あるべきかかりつけ医」に期待されるものは何でしょうか。厚生労働省の定義の通り、健康に関することを何でも相談できる医師でしょうか。実は「かかりつけ医」という言葉は、日本にしかありません。
諸外国ではプライマリケア医と呼ばれる医師がいます。プライマリケア医は初期的な診断と治療を行い、必要に応じて、専門医を紹介する医師をさします。「本来あるべきかかりつけ医」は、このプライマリケア医の行う診断治療に、予防や福祉のサービスを追加したものだと言えます。
プライマリケアについてもう少し説明しましょう。プライマリケアは、個々の病気のみを対象にするのではなく、患者の心身の状態や過去の病歴、家族・生活環境などにも配慮します。つまり、病んでいる方の全体像をとらえて診療する総合的・継続的な医療です。全人的な医療とも言われています。ガンなどの個別の病気に対する専門的な診断・治療ではありません。まずは、プライマリケア医に診てもらい、必要があれば専門医を紹介してほしいですし、在宅医療やオンライン診療も行ってくれればよいですね。原則として、24時間365日、必要に応じて相談に乗ってくれ、最後まで面倒を見てくれる医師を期待すると思います。
体の不調を自覚した場合、自己診断して、大病院の診療科をいきなり受診するのは賢いとは言えません。まずは、プライマリケア医に相談して、どんな病気の可能性が高いのか診断してもらう方がよいでしょう。また、あちこちのクリニックにかかって似たような薬を処方され、薬を飲み過ぎて、かえって体の不調を招いている患者さんもいます。このような場合、一人の医師に自分が飲んでいる薬を全て把握してもらい、適切な薬の服用を心掛ける方が良いでしょう。さらに、普段から健康を維持し、病気にならない術を教えてほしいと思うでしょう。また、地域包括ケアシステムという言葉があります。これは、それぞれの地域の実情に合った医療・介護・予防・住まい・生活支援を一体的に提供する体制のことをさします。その中核に「かかりつけ医」が位置して、地元の介護施設を紹介してくれたり、終末期医療の相談に乗ってくれたりしたら、素晴らしいと思います。
このように言うと、スーパーマンのような医師を想像するかもしれません。確かに、一人の医師でこれらをすべてこなすのは大変です。日本では、中心となるプライマリケアの専門医の数も多くありません。ですから、責任をもって見てくれる医師一人を中心にして、複数の医師がチームを組み、場合によっては訪問看護師や薬剤師を加えて、チームで患者さんの面倒を見るというのが現実的です。このチームの中では、患者さんのカルテが共有され、またどんな薬が処方され実際に飲んでいるかも総合的に把握されます。医療の質が向上するのです。
日本の医療制度の特徴の一つは、自分の判断で、どのクリニック・病院にも自由にかかれるという、フリーアクセスだと言われます。このフリーアクセスは基本的には維持されるべきでしょう。もし、近所の医師に強制的に自分が登録され、その医師の紹介状なしに、他のどの医療機関も受診できないということになったら、誰も納得しないと思います。一方で、あまりにこのフリーアクセスを強調すると、弊害もたくさん出てきます。同じ病気で、複数のクリニックを受診する重複受診は無駄ですし、いきなり大病院を受診して、複数の専門科をたらい回しにされるのも問題です。これらは制度全体として無駄であるばかりか、受ける医療の質が損なわれます。もし、服薬の情報などが共有されないのなら、それこそ過剰に薬を飲むことになりますし、医師から見ても、自分の知らないところで、別の医師に診てもらっているというのであれば、責任をもって面倒を見ることができません。
一つの方法は、「本来あるべきかかりつけ医」を登録制にするのではなく、選択を患者さんの判断に任せるというものです。任意制と言っても良いでしょう。何回か診てもらって信頼できるという医師が近くにいるのなら、その方に「本来あるべきかかりつけ医」の役割を果たしてもらうのです。政府も基本的にはこの方向で検討しています。
この任意選択が正しく機能するためには、4つのことが必要です。
①「本来あるべきかかりつけ医」の機能を明確にすること、②機能をきちんと満たしているか第三者が客観的に判断すること、③代表者を一人にして責任を明確にすること、④「本来あるべきかかりつけ医」がどこにいるのか、その存在が国民から見て容易にわかること、の4つです。順に見ていきましょう。
第一は、「本来あるべきかかりつけ医」が果たすべき機能を明確にすることです。現状の「普段からかかっている医師」というだけでは全く不十分です。既に言いましたが、24時間365日きちんと対応してくれること、自分の専門科以外の医師と緊密に連携し、患者情報を共有すること、必要に応じて訪問診療やオンライン診療に対応してくれること、等でしょう。もちろん、これらのすべてを一人の医師で行うのは無理ですから、複数の医師からなるチームが基本になります。さらに専門医とのネットワークを持っていることも条件でしょう。
第二は、明確な基準で定められた「本来あるべきかかりつけ医」かどうかは、公平な機関が客観的に判断するべきです。残念ながら、厚生労働省の議論では、医師本人の自己申告によるということになっています。客観的な判断がない限り、国民は安心して選択できません。
第三は、医師に責任を求めるなら、チーム医療の代表としての「かかりつけ医」は一人であるべきです。厚生労働省の議論では、医師と患者の間で「かかりつけ医」であることの確認書を交わすことになっていますが、複数の医師との確認書を交わすことも前提にしているようです。これでは、現状と全く変わりません。
最後は、国民から見て誰が「本来あるべきかかりつけ医」なのかが明確に見えることです。国には「医療機能情報報告制度」というのが一応ありますが、国民や患者からは使いものになっていません。今後はその改善を図るとしていますが、かかりつけ医の要件を明確にした上で、広告を自由にする等の工夫を加え、国民からみてどこに「本来あるべきかかりつけ医」がいるのか、容易に分かるようにすることが必要です。
2023年には、2024年度診療報酬改定のための議論を行うことになっています。診療報酬とは、医師の診療の際の価格表です。「かかりつけ医」についても報酬の値上げが予想されます。値上げは、患者負担の増加につながります。「かかりつけ医」の要件が不明確なまま、複数の医師との間で意思確認書を交わすようなことになれば、現状と変わらないのに医療費や患者の自己負担が増加します。それでは、コロナ禍の教訓が生かされず、本末転倒だと思います。しっかりした議論が行われることを期待します。