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小林武彦「生物学から死を考える」

東京大学 教授 小林 武彦

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 東京大学の小林と申します。今日は「生き物はなぜ死ぬのか」について生物学的な視点から、私の考えをお話しさせていただきます。
地球上には約800万種の生物が存在すると言われております。人もその中の1種です。その800万種の生き物のすべてを私は知っているわけではありませんが、間違いなく言えることが1つあります。それらは必ず死ぬということです。
なぜそう断言できるのかと言う理由を、今日はお話しいたします。

生物学をやっていて何かわからないことがあると、生物学者はその進化について考えます。なぜなら、生物は進化によってできたからです。大元を辿れば存在の理由がわかるだろうという発想です。それでは生命の誕生を宇宙の誕生から遡って見てみましょう。宇宙ができたのは138億年前のビッグバンと言う大爆発です。爆発とほぼ同時に物質ができ、化学反応が起こり始めました。やがて宇宙が広がっていく過程で銀河系ができて、太陽系ができて、46億年前に地球ができました。さらにその8億年後の38億年前にやっとこの地球上に生命が誕生したわけです。今の所、無数に近い星の中で、生命が確認されているのは地球だけです。そういう意味では、地球は「奇跡の生命の星」ということができます。

最初の生命は、熱水が噴き出るようなところで誕生したと考えられています。昔の生き物も温泉が好きだったということでしょうか。熱水が噴き出るようなところでは、どんどん物質が下から供給されます。加えて温度が高いので化学反応が起こりやすいという利点があったんだと想像できます。そこでまず有機物が出来ました。有機物というのは生物の材料です。特に重要なのはRNAとアミノ酸です。RNAはコロナワクチンに使うメッセンジャーRNAのRNAで、遺伝情報を、運びます。アミノ酸は生物の体を作るタンパク質の材料です。

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RNAはGACUと言う4つのブロックが繋がった長い紐状の分子です。さらにGとC、受験生には巨人広島と教えるんですけれども、がくっつきます。AとUもくっつきます。このGとこのCがくっつくとすると、このような輪っかを形成し、複雑な立体構造を作ることができ、配列によってこの構造が決まり、構造によってRNAの持つ性質が変わってきます。
私はRNAを「生命の種」と呼んでいます。その理由はRNAには3つの面白い特徴があるからです。

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1つ目の特徴は、RNAは化学反応を促進する作用を持っていることです。自身を切ったり、他のRNAとつながったりができます。これを自己編集能と言います。
2つ目の特徴は自分を複製する、つまりコピーする能力です。ゆっくりではありますが先ほど言いましたGに対してCのブロック、AとUのブロックがペアを作り、お互いつながってき、鋳型と鋳物の関係で新しい鎖が合成されます。これが離れるとまたそれぞれの鎖が鋳型となりどんどん同じものを作ることができます。この増えやすさはRNAのブロックの並び順できまるわけです。いってみればデジタル情報ですね。これが後に遺伝情報へと進化するわけです。
RNAの3つ目の特徴は、壊れやすいと言うことです。つまりまたブロックに戻ってしまいます。コピーしては壊れ、コピーしては壊れを繰り返すわけです。

さてここからが重要です。奇跡が起こりました。奇跡というのは進化です。進化とは「変化と選択」が繰り返されるプログラムのようなものです。

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変化はいろんな分子ができること。コピーするときに間違えたり、他の分子と繋がったりして、多様な配列を持ったRNAが作られます。図ではAからEがそれに当たります。
選択はその多様な配列の中で、増えやすいものが残り、他は分解されるということです。
この図で言うとAが増えやすい場合、他は分解されて材料になります。分解は「死」に相当します。

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さらに変化が起こり、さらに増えやすいものA’が登場すると、それが新たに多数派となり、他の分子は分解されて材料になります。この進化のプログラム、つまり変化と選択が、何度も繰り返すことで、やがて超増えやすいRNA「生命の種」ができてきます。この増えやすいRNAが私たちのご先祖様になります。
ここまでをまとめますと、この進化のプログラムを動かす原動力は、1、多様な分子ができること、2、常に分解されるということです。この分解は壊れてなくなるということで「死」に相当します。つまり壊れないと新しいものが生まれない、進化できないのです。

このRNAの段階では、まだ生物ではありません。やがてRNAがアミノ酸を繋げてタンパク質を作り、さらにRNAよりも安定なDNAという物質が加わります。これらが、油でできた袋、たとえて言うならセパレートドレッシングを振った時にできるあの小さな粒のようなものに覆われます。この膜が重要で、より増えやすいRNAやDNAのエリート集団を、他から隔離して薄められるのを防ぐ働きがあります。さらにこの袋は材料を閉じ込めることもでき、コピーを作る効率が上がります。やがてDNAやRNAは袋ごと増えるようになって、ついに最初の細胞が完成したわけです。
私は今、RNAから細胞が誕生するまでの過程を、生命誕生という目的があって、そこに進む物語のように語りました。実際はそうではありません。進化に目的はないのです。常に変化、いろんな試作品ができ、選択、その中で増えやすいのが残って他は分解され材料となっていく、この過程を、ひたすら繰り返した結果、たまたま生命が誕生しただけです。この進化のプログラムは、その後も動き続け、私たちを含めた、現在地球上に存在するすべての生物を生み出しました。その進化を牽引したのは、変化、つまり多様性の創出と、分解の繰り返しであり、分解は「死」ぬ、ということです。生物にとって死は個体の終わりですが、実は進化にとっては、なくてはならない原動力だったです。

生物はなぜ死ぬのか、という疑問を誰でも一度は持ったことがあると思います。1つの答えは最初からそのように作られているからだということです。

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そして生物は死ぬことによって進化できて、現在まで存在し続けているのです。言い方を変えると、私たちがなぜ死ぬのかではなく、死ぬものだけが進化できて今ここに存在しているのです。つまり私たちの現在の生、存在を支えているのは、進化、つまり過去の無数の生き物の死のお陰なのです。

残念ではありますが、私たちは生命が誕生した時から、壊れる、つまり死ぬようにデザインされています。そのおかげで進化できたのです。とはいえ私も含めて死ぬのは怖いです。しかしその時は必ず誰にでも訪れます。この奇跡の星に生まれたものの宿命として、人類も含めた、地球上のすべての生物のために、覚悟を決めるしかないですね。それまでは楽しく生きましょう。

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