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山本洋嗣「海水温上昇が魚の性別に影響」

東京海洋大学 准教授 山本 洋嗣

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私はこれまで、様々な人為的な環境ストレスが、魚の繁殖機構に与える影響について研究してきました。最近の私たちの研究結果から、地球温暖化に起因した海水温の上昇が今後も続くと、将来、魚たちは、オスばかりになって、子孫を残せなくなるかもしれない、ということがわかってきました。今日は、地球温暖化がもたらす海水温の上昇が、海に棲む魚たちの性別にどのような影響を与えるのかについてお話ししたいと思います。

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皆さんは、「ギンイソイワシ」という魚をご存知でしょうか?ギンイソイワシは、名前に「イワシ」とついていますが、みなさんがよくご存じの、マイワシやカタクチイワシとは全く別で、「トウゴロウイワシ目」という分類群に属する魚です。この写真のように、とても美しい魚で、夏になると関東から南であれば、堤防からサビキ釣りでよく釣れますので、釣り人には比較的、馴染みのある魚です。私たちは、この「ギンイソイワシ」を指標生物にして、2014年から東京湾で、オスとメスの割合と、水温の関係を調査しています。
初めに、このギンイソイワシを含む魚の性別が一体どのようにして決まるのか?ということを簡単に説明したいと思います。実は、みなさんがご存知の大半の魚の「性別」は、私たちヒトと同じで、「性染色体」という染色体の組み合わせによって決まります。

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受精した際に、両親からそれぞれ1本ずつ「性染色体」を受け継ぎますが、母親からXの性染色体、父親からもXの性染色体を受け継いだ場合、性染色体の組み合わせはメス型のXXになり、体の中で卵巣が作られます。一方、母親からXの性染色体、父親からYの性染色体を受け継いだ場合は、性染色体の組み合わせはオス型のXYになり、体の中で精巣が作られます。 私たちヒトの場合は、外部環境から隔離された母親の体内にいる間、つまり胎児の間に卵巣や精巣が形成されます。しかし、魚の場合、その多くが体外受精ですので、受精卵の時点で、すでに外部環境に晒されています。一般に多くの魚類では、孵化してから数週間の間に、卵巣や精巣が作られます。

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しかし、この時期に異常な高水温を経験すると、ストレスが原因で、性染色体はメス型のXXなのに、精巣が作られてしまうという、いわゆる「性転換」がおこってしまうことがあります。この性転換したオスの繁殖能力は、通常のオスと同じで、雌と交配することができます。
先ほど、ギンイソイワシはトウゴロウイワシ目という分類群に属するとお話ししましたが、この分類群に属している魚は、魚類の中でも性別が水温の影響を受けやすいことが知られています。

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そこで、私たちはまず、ギンイソイワシの産まれたばかりの仔稚魚を、水温別に飼育してみました。ギンイソイワシはXX/XY型の性決定様式を持っていますが、水温22度で飼育した場合は、ほとんどの魚は性染色体に従い、オスとメスの割合は概ね1:1になりました。しかし、26度以上の高水温で飼育した場合、XYの個体はそのままオスになりましたが、XXの個体の大部分が、精巣を持つオスに性転換し、雌雄の割合が大きくオスに偏ってしまうことがわかりました。
次に私たちは、このような高水温によるオスへの性転換が野生環境でも生じているのかを明らかにするため、野外調査を行いました。2014年から2016年にかけて、東京湾で、その年に生まれたギンイソイワシを捕まえて、それぞれの個体が仔稚魚期の間に経験した水温と、性転換の因果関係を調査しました。その結果、ギンイソイワシは、野生環境においても孵化後に経験した水温が高水温になればなるほどオスへ性転換していることがわかりました。

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このグラフは、縦軸はオスとメスの割合、横軸は各年度の調査結果を表していますが、特に、調査した期間で繁殖期の平均水温が一番高かった2016年では、遺伝的にはメスになるはずだったXX個体の約半分が雄に性転換し、その結果、全体の8割近くが雄になっていることがわかりました。もし、高水温によって、このような、著しい性のアンバランスが何年も続いてしまった場合、その生物集団の繁殖能力が低下し、最悪の場合、子孫が残せなくなって、絶滅してしまう恐れがあります。ギンイソイワシは食用としては、ほとんど流通していませんので、経済的な価値はそれほどありません。しかし、本種は、大型の肉食魚や、海鳥たちの餌生物として、沿岸生態系を支えています。ギンイソイワシのような食物連鎖の下位に位置する生き物でも、生態系のピースが一つでも欠けてしまうと、回り回って、上位にいる生物、ひいては私たちにも影響を及ぼす可能性があります。
近年、地球温暖化による水温上昇が危惧されていますが、みなさんの身近な海に生きるこの「ギンイソイワシ」は、「加速する地球温暖化」に警鐘を鳴らしているのかもしれません。気象庁の報告によりますと、日本近海の海水温は100年あたり1℃のペースで上昇しているといわれています。100年に1℃と言われると、「なんだ、その程度か」と思われるかもしれませんが、この上昇率は、世界平均の約2倍も高い値です。つまり、日本近海の海は、世界平均の約2倍のスピードで地球温暖化の影響を受けている、ということになります。しかし、この海水温上昇が、広大な海で自由に泳ぎ回る魚たちに与える影響を正確に評価することは、実は簡単ではありません。特に日本近海の海水温は10年規模で変動することが知られています。また、黒潮の大蛇行など水温に影響を与える局所的な海況の変化も考慮する必要があります。私たちの研究グループは、近年の気候変動に起因した水温変化が魚類の性別に与える影響を正確に評価するため、ギンイソイワシを指標生物として、国内の様々な地点でモニタリング調査を継続しています。
今日、私が皆さんにお伝えしたいのは、多くの魚の性別は、恒温動物である私たち哺乳類と違い、水温変化の影響を受けやすいということです。「性決定」が水温の影響を受ける魚種は、現在60種類以上で報告されています。その中にはヒラメやスズキの仲間など、食卓でお馴染みの魚も含まれています。一方、魚類以外に目を向けると、ウミガメなど、多くの爬虫類の性決定も、孵化するまでの卵の間に経験した温度の影響を受けることが知られています。ウミガメの場合は、温度が高くなるとメスの割合が増えますが、実際に世界有数のアオウミガメの生息地であるグレートバリアリーフでは、気温の高い北部エリアで生まれた若いアオウミガメたちの、99%がメスになっていたという報告もあります。
地球温暖化や、近年話題の海洋マイクロプラスチックごみなどの環境問題は、私たちの人間活動が原因です。私は、できるだけ海に赴き、人間活動に起因した様々な環境ストレスに晒されている生き物たちの、「無言のメッセージ」を科学的に読み解き、そこにどういうリスクがあるのかを社会にわかりやすく、フィードバックすることが大切だと思っています。
そしてそれが、結果として「海洋生態系を守る」、「野生の魚たちを守る」ということにつながっていけばと考えています。
     

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