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村中直人「『叱る』ことの限界と依存性」

臨床心理士 村中 直人

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今日は〈叱る〉という身近な行為を科学的な知見から改めて捉え直し、上手く付き合っていくために必要なことをお話しいたします。最もお伝えしたいことは、〈叱る〉という行為には叱る側のニーズを強く満たす側面があり、人は叱らずにはいられない、依存的な状態におちいってしまうことがあるということです。

私はこのことを〈叱る依存〉と呼んでいます。

私は臨床心理士で、発達障害とカテゴライズされることの多いニューロマイノリティ、つまり脳や神経の働き方が少数派な子どもたちへの支援、およびその領域の支援者の養成に取り組んできました。発達障害と診断された子どもたちは、叱られることが非常に多い子どもたちでもあります。そのため様々な場面で、子どもたちが叱られ続ける状況を身近に見てきました。その中で私が不思議に思っていたのは、私の出会った叱り続ける保護者の方たちの多くが、お子さんを心から愛し、また人格的にも素晴らしい方たちだったということでした。つまり「叱らずにはいられない」という問題は、人格や愛情の問題ではないのです。

この謎を解くヒントは、子どもたちを正しく理解するために学んでいた脳・神経科学の知見の中にありました。

「規律違反を犯した人に、自分が損をしてでも罰を与える決断をした人は、脳内報酬系回路の主要部位が活性化した」

これは有名なサイエンス誌に2004年に掲載された論文の内容です。脳内報酬系回路とはドーパミンという神経伝達物質を放出することで「欲しい」「やりたい」という欲求や、欲求充足に伴う快体験に重要な役割を果たしていると考えられている脳の部位です。つまり、人には「悪いことをした人を罰したい、苦しめたい」という処罰感情の充足に対する生来的な欲求が存在しているというのです。叱るという行為は基本的に「相手が悪い」という認識のもと行われています。そのため、〈叱る〉には処罰欲求の充足による快感がついてくることになります。つまり〈叱る〉という行為には、自分の欲求充足の為に行われてしまう罠が常につきまとっているのです。

しかしながら、叱ることに快感が伴うとしてもそれで「依存」は言い過ぎではないかと思われる方もおられるでしょう。確かに叱ることによる快感だけなら、「叱らずにはいられない」状況にはなりにくいかもしれません。このことを理解する為には人が何かに依存するメカニズムを知らなければなりません。ちなみに〈叱る依存〉は依存症ではありません。病院に行って治療を受けなくてはいけないような類いの問題ではないのです。ですが、その発生メカニズムにおいて薬物依存などの依存症ととてもよく似ています。

それは「人は苦痛をやわらげてくれるものに依存する」という、近年の知見です。人は単純な快楽に依存するのではなく、その快楽によって例え一時でも耐えがたい現実を忘れることが出来たときに強く依存するのです。つまり、叱る人が元々何かに苦しんでおられたり、悩んでおられたりするときに、「叱る」という行為がとまらなくなってしまう可能性が高いのです。

そうは言っても「そもそも叱ることは相手のためにしている」「叱る側の快をともなうとしても叱ることは必要だ」、こんなふうに思われる方もおられるかもしれません。しかしながら果たして本当に叱ることは相手のためになっているのでしょうか?結論から申し上げると、「相手の学びや成長を促進する」という意味において、叱るにはほとんど課題解決の効果はありません。

なぜそう言えるのか。

それは叱られた人がどういう状態になるのかを考えるとよくわかります。叱られた人には多くの場合で恐怖や不安、苦痛などのネガティブな感情が起きるでしょう。逆に言うと、「叱る」という行為は、攻撃的な言動で相手のネガティブ感情を引き出すことにより相手をコントロールすることです。もし攻撃的でなくてよいのなら、「言い聞かす」「説明する」などの他の言葉に置き換えることが可能なので、わざわざ「叱る」でなくてもよいはずです。

そして人はネガティブ感情に満たされると、学ぶことが難しくなることが知られています。

そのことを神経科学者のルドゥー博士は「防御システム」と呼びました。これは動物が自分の命を守るためのメカニズムで「戦うか、逃げるか」という感情的で即時的な行動を取ることが特徴です。そのときには物事を思慮深く考える能力が低下してしまうことが知られています。つまり、叱ることには目の前の相手の行動を変える効果はあるが、実際には相手が何も学んでいないため、同じ問題が何度も繰り返される可能性が高いのです。これらのことから、「怒ってはいけないが叱ることは大事」というよくある言説がいかに「叱る人」のことしか考えていない発想なのかが見えてきます。叱られようが、怒られようが相手にネガティブ感情を与えていることに何ら違いはないからです。そして怒ろうが叱ろうが相手の学びや成長が促進されることはほとんどありません。

では私たちはどうしたら効果のない割に依存性のある、この〈叱る〉というやっかいな行為とうまくつきあうことが出来るのでしょうか?

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まず最初にお伝えしたいのは「叱る自分を叱らない」でくださいということです。叱ることには学びや成長を促進する効果はありません。だから、叱る自分を叱っても意味がなく、逆に問題が悪化することが多いのです。叱る自分を叱ろうとすると、叱ることを我慢しようとすることがよく起きます。けれど多くの場合でその努力は失敗します。我慢しきれずに前にも増して叱ってしまう結果になることが多いのです。だから、目指すべきゴールは「叱ることが我慢できる」ではなく、「気がついたら叱らなくなっていた」です。私はこのことを「叱るを手放す」と呼んでいます。

そして「叱る」を手放していくために最も必要なのは、正確な予測に基づく「前さばき」です。「叱らずに褒めましょう」よく言われるこの言説、間違ってはいませんがあまり役に立ちません。むしろ、どうしたらいいのかが分からずに困ってしまう人も多いでしょう。それもそのはずです。叱る褒めるはどちらもことが起った「後」のことしか考えていません。つまり、「叱るべきか、褒めるべきか」とだけ考えるのは視野が狭いのです。考えなくてはいけないのは「問題が起きるその前に、あなたは何をしていましたか?」という視点です。私はそれを「前さばき」と呼んでいます。

前さばきは「そもそも問題が起きない状況」を作るために何が出来るかという視点です。
前さばきをうまくする為に最も必要なのは、予測力です。みなさんは、叱るときにその事象をどれだけ正確に予測することが出来ているでしょうか?予測が出来ると予告が出来ます。予告が出来るようになると事前の対処の発想と余裕が生まれます。

あなたが叱りたくなるその状況は、どんなときにどんなパターンで起きるでしょうか?逆にどんなときは起こりにくいでしょうか?あなたの大切なその人のことを冷静に、かつ正確に理解しようとしてみてください。

叱るという行為の依存性や限界について、そして〈叱る依存〉の予防についてのポイントをお話しさせて頂きました。私も含め一人でも多くの人が「叱る」という行為を手放し、自由になれる。そしてその為に助け合えるそんな社会を夢見ています。

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