老川慶喜「開業150年を迎えた日本の鉄道」
2022年11月28日 (月)
立教大学名誉教授 老川 慶喜
「汽笛一声新橋を」という鉄道唱歌がありますが、1872年10月14日に新橋から横浜まで鉄道が開業しました。わずか29キロメートルですが、これが日本で最初の鉄道ですので、今年は鉄道開業150年という記念の年にあたります。
この150年の鉄道の歴史を時期区分しますと、①開業から1907年の鉄道国有化まで、②鉄道国有化から1949年の日本国有鉄道の発足まで、③日本国有鉄道の発足から1987年の国鉄の分割民営化まで、④分割民営化後のJR体制の4期に分けることができます。
ここでは、この150年の歴史を振り返りながら、いま、日本の鉄道が、どのような問題に直面しているのか考えてみたいと思います。
ところで、JR東日本の高輪ゲートウェイ駅周辺の開発現場から、鉄道開業時の遺構が発掘されました。新橋から品川に向かう線路のうち、芝田町から高輪海岸を経て品川までは海を埋め立てて土手を作り、線路を敷設したのですが、その築堤跡が当時の面影をほぼそのまま残して発掘されたのです。
日本は世界のどの国よりも鉄道を上手に利用し、鉄道文化を大事に育ててきました。高輪築堤跡が発掘されたのは、そのような日本人への「鉄道の神様」からのプレゼントかもしれません。
さて、明治政府は、1869年、すなわち明治2年に東京と京都を結ぶ東西両京間鉄道、東京~横浜間鉄道、京都から大阪を経て神戸に至る鉄道、そして琵琶湖近傍から日本海側の敦賀に至る鉄道の敷設計画を立てました。新政府発足まもなくに、このような鉄道敷設計画を立てていることは驚くべきことだと思います。
新橋横浜間鉄道は官設鉄道、つまり政府がイギリスから建設資金を借り入れ、イギリス人技術者を雇って敷設しました。このころには、「八十日間世界一周」という冒険小説が現われ、トマスクック社が世界一周旅行を企画するなど、世界は鉄道と蒸気船で結ばれる「交通革命」の時代を迎えていましたが、日本は、まだ鉄道建設の第1歩を踏み出したにすぎませんでした。
しかし、その後、日本鉄道、山陽鉄道、九州鉄道などの私設鉄道が開業し、日本の経済発展を促進しました。東海道線は官設でしたが、明治期にはむしろ私設鉄道の方が優勢でした。その結果、小鉄道会社の分立経営による輸送の非効率という問題が経済発展の障害となり、統一的な鉄道経営が求められ、1906年から07年にかけて主要私鉄17社が国有化されました。この間、日本は台湾、朝鮮、満洲など植民地にも鉄道を敷設し、「帝国の鉄道」を築いてきました。
国有鉄道は、第一次世界大戦後の重化学工業化と都市化を支え、食堂車・寝台車などを連結した急行列車や特急列車を走らせ、外国人観光客の誘致を積極的にはかりました。また、東京、大阪などの大都市では、郊外私鉄が設立され経営的にも成功を収めました。
しかし、1937年7月7日に盧溝橋事件が勃発し日中戦争が本格化すると、鉄道は戦時体制のなかに組み込まれ、空襲を受けることも再三でした。運輸省が戦後刊行した『国有鉄道の現状』という報告書がありますが、それによれば、日本の鉄道は「ヘトヘトになって終戦を迎えた」のです。しかし、それでも鉄道は動いていました。焼け野原のなかで鉄道が動いているという事実が、当時の日本人をどれだけ勇気づけたかははかり知れません。
戦後の1949年6月、公共企業体としての日本国有鉄道が設立され、戦前期の「帝国の鉄道」は「国民の鉄道」に生まれ変わりました。「日本国有鉄道法」の第1条では「国が国有鉄道事業特別会計をもつて経営している鉄道事業その他一切の事業を経営し、能率的な運営により、これを発展せしめ、もつて公共の福祉を増進することを目的として、ここに日本国有鉄道を設立する」と定められています。国鉄のような組織を公共企業体といいますが、企業性を発揮して効率的に鉄道を運営し、「国民のための国鉄」として公共の福祉を増進するというのが国鉄の使命となりました。
国鉄は、日本の戦後復興、高度経済成長を牽引し、1964年10月には東海道新幹線を開業しました。欧米諸国では、モータリゼーションの波におそわれ、鉄道は斜陽産業とみられていましたが、東海道新幹線の成功によって世界の鉄道は高速鉄道に活路を見出したのです。日本は、明治の初めにイギリスなど欧米から鉄道の技術を導入したのですが、今度は東海道新幹線の成功によって世界の鉄道を高速鉄道の時代へと導いたのです。
しかし、皮肉にも1964年度以降、国鉄の収支は単年度で赤字となり、さまざまな経営改善計画を試みたのにもかかわらず、経営は好転せず、1987年4月に分割民営化され、現在のJR体制が成立しました。JR体制は今年で35年目を迎え、あと3年で日本国有鉄道の年数に並びますが、機能不全に陥っていると言わざるを得ません。
国鉄を地域分割して旅客会社6社が成立しましたが、当初から北海道、四国、九州の3島会社の経営は危ぶまれており、経営安定基金が設定されました。しかし、バブル経済崩壊後低金利の時代がつづき、経営安定基金がほとんど機能しませんでした。
一方、低金利は、JR東日本・東海・西日本の本州3社の経営には有利に働き、各社とも自立化の傾向を強め、企業利益のみを求める体質になっているように思います。鉄道会社の「自主自立」は非難すべきことではありませんが、JR各社はいわゆる大手私鉄などとは異なり、日本の幹線鉄道の重要な担い手でもあります。とすれば、社会的な要請に応えていく大きな責任があると言わなければなりません。
コロナ禍の影響でJR各社の経営は苦しくなり、JR東日本は今年になってこのまま地方ローカル線を維持していくのは困難であると発言するようになりました。また、自社の利益を高めるため、脱レールを一層進めるとも表明しています。地方ローカル線が廃止されれば、地方の過疎化はますます進み、日本社会にも深刻な影響を与えかねません。
鉄道はJR各社のものですが、鉄道の社会的な役割の大きさを考えれば、環境への負荷が大きく巨額の財政負担をともなうリニア新幹線は必要なのだろうか、それよりも都市部の混雑緩和やローカル線の維持の方が優先されるのではないか、全国的な新幹線鉄道網をもっと有効に利用する手立てはないだろうかなど、考えなければならない問題はいくつもあります。また、戦前期からローカル線など、収益の上がらない鉄道には何らかの公的補助がなされていました。国鉄時代には国鉄監査委員会など、鉄道のあり方を考える機関が存在していましたが、そのような機関が必要なのかもしれません。
高輪築堤跡が発掘されて鉄道の文化財的価値が注目されていますが、150年の歴史を有する鉄道文化をどのように後世に伝えていくのかも、重要な課題だと思います。