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若松邦弘「イギリス政治の混乱と新政権の課題」

東京外国語大学 教授 若松 邦弘

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 イギリスでは、9月初めに首相に就任したトラス氏が2か月も経たずに辞任し、新たな首相が就任しました。ここ数年、首相の辞任が相次ぐイギリスですが、それらはいずれも混乱の末に生じており、「イギリスの混迷」という印象を強めてきました。トラス氏の場合、財源の裏付けを欠いた減税策が市場の混乱を招いた結果ですが、その減税策が現実的でないことはそもそも明白で、多くが早晩の修正を予想していました。こうした政策のUターンは各国でも時々見られ、前例がないものではありません。その点で、トラス政権の場合はそれがなぜ致命的となったかが、現状と今後を考える点から重要です。

イギリスでは2010年から保守党主導の政権が続いており、相次ぐ首相交代も党内での政権移動です。ただトラス前首相の場合は閣僚人事に党首選の論功行賞の色が強く、党内対立を深めた面もありました。同一政党内の首相交代では前政権の枠組みをまずは維持することが一般的です。独善的なリーダーシップの発揮は難しいところです。

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その点で、現在の政権党である保守党の混迷、ひいては今日のイギリス政治の混迷にはいくつかの背景を挙げられます。長期政権の弊害、政治家の気質の変化、ブレグジットの後遺症です。

まず長期政権の弊害ですが、保守党主導の政権はすでに12年を超え、ここに来て、「おごり」や「たるみ」ともいえる緊張感を欠いた事件が相次いでいます。この夏、トラス氏の前の首相であったジョンソン氏が辞任に追い込まれた理由も、コロナ禍での外出や会合に関するルール破り、また議会での言い逃れが原因でした。
有権者の間には保守党について、「信頼できない」、「不誠実」との評が広がっています。ライバルの労働党とは支持率の差が一時は30ポイントに広がり、次の総選挙前の挽回は難しい状況です。この状況は、サッチャー政権に始まり18年続いた1970年代末からの保守党政権の末期と酷似しています。

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2つ目に、政治家の気質の変化も混乱に追い打ちをかけています。新首相のスナク氏は就任時42才と、20世紀以降で最も若い首相です。ただ過去の首相でブレア氏も、キャメロン氏も就任時43才であり、スナク氏が異例なわけではありません。

こうした新進気鋭の人物がイギリスで台頭する背景には、下院議員の選挙が党主導で、候補者本人の負担が小さいことを指摘できます。そのなかには上昇志向の強い人物も最近は少なくなく、与野党を問わず、二期目くらいで党首を目指しがちです。
そうした議員にはメディアを利用したアピールも目立ち、執行部批判などで党内の対立を増長しがちです。とくに保守党では、近年、世代交代が一気に進み、極論をもって台頭する、気鋭の議員が目立つ状況です。

第3点です。現在の混乱には、歴史的な事件となったブレグジットの後遺症という面もあります。とくに保守党で、下院議員の構成や支持層が激変したことを無視できないでしょう。
従来、イギリスで二大政党の違いは経済政策にありました。市場志向か、国家介入志向かです。しかし、ブレグジットをめぐる混乱はそこに新たな対立を刻印しました。

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有権者の間で、「ナショナリズム」対「グローバリズム」、あるいは、「保守」対「リベラル」という対比が意識されるようになりました。

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この新たな二択に呼応し、保守党は有権者へのアピールをナショナリズムそして保守の側に寄せつつあります。支持層の再編は、地方の高齢者といった「保守層」にアピールする形で進んでおり、直近の総選挙で大勝利をもたらしました。新たな支持層には、炭鉱地帯の住民といったグローバル化の「弱者」とされる人々など、かつては労働党を支持していた人々も取り込まれ、一方で、グローバル化の「勝ち組」である大都市の中高所得層は保守党から離れていきました。
こうして、保守党は、経済面での市場重視を特徴とする政党から、文化や価値の面で、保守やナショナリズムを強く主張する政党に変貌しています。しかし、ナショナリズムを旗印としたことで、経済面では異なる立場を抱え込む副作用が生じました。コロナ危機は、いま経済危機としてこの保守党を襲い、党内の亀裂を露呈させています。

以上を踏まえ、スナク新首相の課題ですが、「前途多難」と言わざるをえません。イギリスの政治はすでに次の総選挙での保守党の下野を見越して動き出しています。
猛烈な逆風のなか船出したスナク新首相にとり、まず重要なのは党の団結でしょう。トラス前首相の人事の唐突さを踏まえ、有力者を閣内に呼び戻すなど挙党一致体制の構築を図っています。

政策面では、経済対策が最大の課題です。光熱費高騰への対処を中心に生活の防衛、そしてその先に、財政再建が待っています。第二次大戦後で最大規模に膨らんだ公的債務の圧縮が急務です。今月17日に発表される「中期財政計画」の内容が注目されます。
この財政再建では、前政権を他山の石に、党内の妥協点を見つけられるかがまずポイントですが、国内の地域間バランスも重要です。財務相経験者のスナク氏には市場からの期待が集まっています。しかし、痛みを強いる改革を国民が受け入れるかに懸念があります。とくに、公共投資に依存する、財政基盤が弱い地域ほど歳出切りつめの影響は大きくなりがちです。
6年前の国民投票は、大都市と地方の経済格差を背景に、地方からの政権批判、との性格を帯びました。国民投票後の各政権は地方経済への気配りを見せましたが、地域間格差はイギリス社会の「火薬庫」のままです。いまの状況は、10年あまり前、金融危機後の「緊縮財政」でしわ寄せを受けた層に不満が蓄積していく直前を連想させます。当時財務相のジョージ・オズボーン氏は「庶民感覚」とのずれ、そして「エリート」色を批判されました。「緊縮財政」という言葉はいまも政治のタブーです。
新首相のスナク氏も、スタンフォード大でMBA、米国の大手金融グループに勤務、と「エリート」を体現する経歴です。初のアジア系の首相という点が注目されますが、移住からイメージされがちな、貧しい家庭の出ではなく、むしろ下院議員で有数の資産家です。こうした背景からか、一般有権者の人気はあまり高くありません。この夏の保守党党首選挙でも、一般党員による投票でトラス氏に差を付けられました。今後予想される再度の「緊縮財政」はスナク新首相にとって政治的な綱渡りとなります。

外交政策も課題は山積です。スナク氏は外交関係の経験が皆無で、手腕は未知数です。国防相に、ロシアのウクライナ侵攻当初から職にあるベン・ウォリス氏を留任させましたので、ロシアへの強硬姿勢は当面維持されるでしょう。ただ前政権ほどの強硬さかは不明です。また、オズボーン財務相期のように経済重視が強まると、香港情勢や人権問題を背景とする中国へのいまの強硬姿勢に変化が生じる可能性もあります。

ほかに、国内の地域問題で、イギリスからの独立を視野にいれた住民投票実施をちらつかせるスコットランド、ブレグジット絡みで宗派対立が激しい北アイルランドなど、ここ数年で歴史的な結果をもたらす可能性のある難題が山積みです。

次の総選挙は2025年初めまでに実施されますが、最大野党の労働党も、保守党から離れた票を取り込めているわけではありません。スコットランドでの地域政党の台頭で議席過半数のハードルも上がっています。
次の総選挙でも、連立政権の可能性を含め、イギリス政治の混迷が続く懸念は否定できない状況です。

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