NHK 解説委員室

これまでの解説記事

細川昌彦「IPEFが目指すもの」

明星大学 教授 細川 昌彦 

s221003_014.jpg

アメリカが主導する新経済圏構想インド太平洋経済枠組み(IPEF)が14か国の参加を得て、正式に交渉を開始することとなりました。西側諸国と中国・ロシアによる世界経済の分断が進む中で、第3グループである途上国をいかに取り込むかで“綱引き”があります。そうした中でIPEFも重要な意味を持っています。
そこで本日は、その内容や意義は何か、課題はどこにあるか、などを見ていきたいと思います。

アメリカが提唱した背景
まず背景から見ていきましょう。

s221003_015.png

アメリカはトランプ前政権のときに環太平洋経済連携協定TPPから離脱しました。他方で、中国は地域包括経済連携協定RCEPの発足に続き、TPPへの加盟申請など、この地域への影響力を強める攻勢をかけています。
これに対してアメリカ議会からは「バイデン政権は無策だ」との強い批判があります。他方で、アメリカ国内の世論は「自由貿易こそ自分たちの雇用を奪う諸悪の根源だ」と貿易自由化への根強い反対があります。TPPへの復帰は国内政治的には採り得ない選択です。そこで“苦肉の策”としてひねり出されたのがIPEFです。

戦略的な意義
これに対して日本はどうでしょうか。
本来はアメリカがTPPに復帰すべきで、日本としては最大限その努力をすべきでしょう。しかし現実にそれが期待できない状況では“次善の策”としてやむを得ません。

s221003_016.jpg

IPEFには「戦略的意義」もあるからです。それは中国が台頭する中で、アメリカにアジアに関与させることです。日本にとってはもちろん、アジアの国々もトランプ前政権が「アジア軽視」の印象を与えていただけに、バイデン政権がアジアに目を向けることを歓迎しています。

s221003_017.png

その結果、当初の予想に反して14か国の参加となりました。

ただし中国への経済依存度の高いアジアの国々は、米中の間で“踏み絵”を踏まされることは避けたいわけです。IPEFも中国対抗色が出ることを嫌います。

経済的な実利
さらにこれらの国々を引き付けるためには「経済的な実利」を示せるかがカギになります。アメリカは国内からの反発から、TPPのように関税引き下げによる「アメリカ市場への輸出拡大」という経済的メリットをアジアの国々に提供することはできません。それだけに、それに代わり得る「実利」を示す必要があります。

そうした観点も踏まえて、IPEFの内容を見ていくことにしましょう。

s221003_018.png

図にあるように、交渉分野は ①貿易 ②サプライチェーン ③クリーン経済 ④公正な経済 の4つです。
「実利」という観点で重要なのは、第二のサプライチェーン(供給網)の強化です。アジアの国々はコロナ禍、世界的な半導体不足などで供給網の寸断と言う深刻な事態に直面しました。「供給網の強化」は喫緊の課題です。またこれは外国企業による関連投資を域内に呼び込む経済的な効果も併せて期待できます。
こうしたことに知恵を出して貢献しているのが日本です。アメリカと協力して、重要物資の供給途絶の事態が生じた時に、物流や在庫の情報を共有する体制を作ることにしました。これは日本がすでに日本企業によるこの地域での活動を活用して、アジアの国々との間で取り組んでいることを参考にしたものです。

第3の「クリーン経済」も実利を生み出す可能性があります。
脱炭素を目指したエネルギー分野でのインフラ投資を支援することにつながるからです。とりわけアジアの国々の多くは当面は化石燃料に依存せざるを得ません。一足飛びに再生可能エネルギーにシフトすることは無理でしょう。それまでの「移行期」においてアジアの実態に応じて、現実的な取組みに投資するのを支援することが必要です。アジアの国々もそれを歓迎しています。

アジアにある警戒感
他方で、アメリカ主導のルール作りにはアジアの国々の間では「アメリカによる価値観の押し付けにならないか」との警戒感があります。
第1の交渉分野の「貿易」に関しては、アメリカは「高い水準のルールをめざす」としています。問題は何をもって「高い水準」とするかです。相手国に「環境の保護」や「労働者の利益」を課することが念頭にあるようで、これはバイデン政権が国内の環境派や労働組合にアピールするためだと見られています。
とりわけデジタル貿易のルール作りでは、アメリカによるルールの押し付けを警戒しています。インドがこの分野の交渉に参加しないのは、そうしたことが背景です。
第4の交渉分野の「公正な経済」についても、汚職や脱税の防止にはバイデン政権が国内向けにアピールする意図も垣間見えて警戒感もあります。

日本の役割
アメリカ主導といってもバイデン政権は今後、中間選挙を控え、益々内向きになる危うさも抱えています。それだけに今後このIPEFの成否は、日本が果たす役割が大きいでしょう。日本がアメリカとアジアの間に立って、“橋渡し”ができるかにかかっているのです。

その際、日本は2つの大事な資産を持っていることを忘れてはなりません。
1つはアジアの国々からの信頼です。アメリカが離脱した後のTPPをまとめあげた実績もあります。
第二は長年の日本企業によるアジアでの事業活動の蓄積です。
IPEFのテーマである「供給網の強化」や「脱炭素のインフラ協力」はいずれも日本企業がこの地域での投資活動を一層強化する必要があります。
そうした意味で、IPEFの成否は日本の「官民の双肩」にかかっていると言えましょう。

国際秩序の変革
最後にIPEFを「国際秩序の変革」という大きな潮流として見ることの大事さを指摘したいと思います。
これまでのポスト冷戦期は「貿易の自由化」を旗印とした国際秩序でした。世界貿易機関WTOがその典型で、RCEPやTPPもそうした一環です。
ところが米中対立で「大国によるパワーゲームの世界」に突入しました。今や国際秩序は「貿易の自由化」に代わって「経済安全保障」を軸とするものに変わりつつあります。IPEFもこうした動きの1つです。

具体的に見てみましょう。

s221003_0.jpg

この図の真ん中の黄色い部分、7月、日米間では外務、経済閣僚による「経済版2プラス2」が発足しました。そして9月、日米に欧州を加えたG7でも、中国による経済的な威圧にいかに対抗するかが話し合われました。これらはいずれも中国対抗を明確にしています。
他方で、青い部分、日米にインド・オーストラリアを加えた4カ国による「クワッド」も中国対抗色を抑えつつも供給網の強化などで協力します。さらにASEANの国々や韓国なども加えたIPEFですが、これも同様の方向を目指しています。
これらはいずれも中国対抗色を出さない配慮をしています。

大事なことはこれらは経済安全保障を軸にしていて、全体として「重層的な国際的な枠組み」を作りつつあるということです。IPEFもそうした全体像の中で位置づけて見るべきでしょう。
いずれの国際的な枠組みにおいても日本は「新たな秩序作りを主導していくべきプレーヤー」です。そうした自覚が官民ともに重要でしょう。

こちらもオススメ!