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五十嵐中「どう維持していく?医療システム」

横浜市立大学 准教授 五十嵐 中

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 2020年からのコロナ禍は、医療に対する人々の考え方を根本から変えました。医療資源や医療崩壊のような言葉が、日々のニュースで繰り返し報じられる…コロナ以前には、まず考えられなかったことです。
医療に使えるヒトやモノ-医療資源も、他の分野と同じように限りがある。限りがあるなら、ちゃんとした使い道を考える必要がある。このような最適配分・適正配分の考え方は医療経済学の基礎中の基礎となるもので、コロナ以前からも当然議論されていました。
しかし、ヒトやモノに限りがあるような考え方は、イメージするのはやや難しくもあります。そのため、これまでの最適配分の議論は、「限りがある」ことをより想像しやすいオカネ、すなわち医療費の話がほとんどでした。
本日は、新型コロナそのものではなく、新型コロナによって大きく見方が変わった「医療システムをどうやって維持していくか?」の課題について、考えていきたいと思います。

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 医療に使われるお金、国民医療費は、年間で44.4兆円。1人あたりに直すと、年間35万円。年代で区切ると、65歳未満と比べて、65歳以上の高齢者は4倍弱、75歳以上の後期高齢者では5倍弱のオカネを使っています。人口では3割弱の高齢者が、医療費では6割強を占めます。
将来の人口推計によれば、私自身が後期高齢者になる30年後〜40年後までに、日本の人口は全体では3割ほど減少します。しかし、「税金や保険料を多く払う、支える側」の若い人と、将来の私のような「医療費を多く使う、支えられる側」の高齢者で区切ると、前者の若い人が4割減るのに対し、後者の高齢者の減り具合は7-8%程度です。

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1人のお年寄りを若い人何人で支えるか?の指標は、1970年には10人で1人、2000年には4人で1人、2020年には2人で1人と徐々に減ってきて、2060年には若い人1.4人で1人のお年寄りを支えることになります。「胴上げ」から「騎馬戦」「組み体操」を経て、肩車に近い状態が将来やってくるのです。

 出費が増えたときに考えるべきことは、突き詰めていけば入ってくるお金を増やすか、出ていくお金を減らすかのふた通りです。医療費が増えたときの対策は、どちらかと言えば前者、入ってくるお金を増やす方向が主眼でした。医療費の元出は、半分が保険料。4割弱が税金で、1割強が患者自己負担です。この3つの元出を少しずつ上げていく。広く薄く負担を増やしつつ、なんとか「もちこたえて」来たのがこれまでの流れで、出ていくお金を減らす、すなわち使い道の議論がおこることは、極めてまれでした。
 
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 2020年からのコロナ禍で、今までのようなオカネの議論を経由せずに、医療従事者のような人的資源、病院のベッドや集中治療室のような物的資源に限りがあることが、直接一般の人々にも強く刻みこまれました。オカネと違ってモノやヒトは、一朝一夕に増やすことはできません。「限りがある」ことがはっきり認識された状況のなかで、どうやって最適な医療を提供するか。メリハリをつけつつ、医療システムをどのように維持していくかの議論は、今までのタブー視から180度変化して、むしろ不可欠なものとなりました。
 
 メリハリをつけること・最適な配分の仕方を考えることは、医療の中にある程度の優先順位をつけることに他なりません。順位をつければ当然、高いものと低いものが出てきます。よく聞かれるのが、「国民皆保険なのに、優劣をつけるのはおかしい!」のような反論です。
日本は60年以上にわたり、国民皆保険制度を、「ほぼすべてのくすりを同じ条件で面倒を見る状態ととらえてきました。しかし、本来の皆保険 (Universal Health Coverage)は世界的には、皆が安価で「必要」な医療にアクセスできること、と定義されています。「皆が・安価で・すべての医療」ではなく、「皆が・安価で・必要な医療」が、もともと皆保険の条件として議論されていることです。いわゆる「皆保険制度」をとる諸外国を見渡しても、全てのくすりを同じ条件で面倒を見る日本のようなシステムは、むしろ例外的といえます。
 
開発された化学物質すなわち薬候補は、薬として認められなければ使うことはできません。この第一のハードル、承認のハードルでは、ヒトに投与した時の安全性や効き目のデータが求められます。日本ではこれまで、承認された薬は原則として「必要な」薬である、との考え方のもと、ほぼすべての薬が承認されれば、そのまま保険でもカバーされてきました。しかし本来は、「治療のために投与しても安全か?よく効くか?」という承認、第一のハードルと、「承認された薬を、みんなのオカネを出して面倒をみるべきか否か?」という第二のハードルは、別々に考えるべきものです。
第二のハードルを明確にすること。すなわち一部の薬を保険から外したり、自己負担割合を変えたりすることは、日本流の皆保険制度に馴れているこの国では、「もってのほか。絶対に納得してはもらえない」という意見がほとんどでした。

保険で面倒を見る範囲を絞ることは、本当にタブーなのでしょうか?

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こちらのグラフは、昨年実施したコロナ禍での受診抑制の実態を調べたアンケート結果です。今後医療制度を持続させていくための手段として、「税金や保険料を上げる」ブルー、グレーの「他の分野から予算を回す」、赤の「給付対象を絞り込む・給付制限」の3つの選択肢のどれを選ぶかを調査しました。一般の方2,100人の調査で、赤の「対象を絞り込む・給付制限」は30代以降の全世代に渡って、ブルーの「税金や保険料を上げる」よりも高い割合を占めていました。どちらかといえば保険のメリットを多く受ける層である60・70歳代でも、同じ傾向がみられています。
「対象を絞り込む・給付制限をする」としたら、市販薬でも対応できるような軽医療を切れば良い。がんや生活習慣病・希少疾病などの薬は、今までどおり全部面倒をみるべきだというような意見もあります。「さまざまな領域の薬がある中で、もし絞り込みの議論を始めるとしたら、どこから、手を付けるべきか?」の質問では、軽医療を最優先にする意見が6割を占める一方で、それ以外の領域から斬り込むべき…という意見も、4割弱を占めました。
病気の領域を問わず、「この治療はみんなのオカネを出す価値があるのか?」「この治療は本当に必要があるものか?」を、いろいろな領域でもう一度捉え直す必要があります。治療の価値をみる時には、医療費だけ見ても答えは出てきません。医療経済の国際学会・ISPORからも、仕事への影響や家族介助者への影響、究極的には「イノベーションを通した次の薬への好影響」など、広汎な要素を考えるべき…というアイディアが提唱されています。私の試算ですが、デルタ蔓延期以降の新型コロナウイルス感染症では、自宅待機にともなう患者と濃厚接触者の仕事ができなくなることへの影響額が、医療費に比べて5-6倍の規模にのぼります。 
コロナ禍を経て、直接的なコロナ対策のパフォーマンスのみならず、受診控えが長期的に及ぼす影響など、さまざまな課題が浮き彫りになりました。短期の影響だけでなく、数年単位でどのような影響が出るのかをデータを使って見極めること。この取り組みが、今後の医療におけるメリハリ付けの際には不可欠と考えています。

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