秋山信将「核軍縮への道筋は」
2022年09月12日 (月)
一橋大学 教授 秋山 信将
ニューヨークの国連本部で開催されていた、核拡散防止条約(NPT)の再検討会議が先月26日に閉幕しました。同会議は、本来2020年に開かれるはずでした。しかし、新型コロナ感染症の影響で2年遅れの開催となりました。前回2015年の再検討会議で成果文書が採択されなかったこともあり、今回の再検討会議では何らかの成果が出されることが期待されていました。しかし、ウクライナのザポリージャ原発の記述をめぐってロシアが最後まで妥協せず、交渉は時間切れとなり、最終文書を採択することができませんでした。
2回続けて最終文書が採択できなかったことで、核軍縮関係者の間には落胆が広がりました。本日は、このNPT再検討会議から見えてきた核軍縮をめぐる構図と今後の見通しについてお話ししたいと思います。
NPTは、核兵器の不拡散、核軍縮、そして原子力の平和利用について定めた国際条約です。条約には、アメリカ、ロシア、中国、イギリス、フランスという5つの核兵器国を含む191か国が加盟しています。締約国は、各国が条約の目的を達成するためにどのような活動をしてきたのかを評価し、今後条約の目的を実現するために各国が実施すべき活動を盛り込んだ行動計画を定めるために、再検討会議を開催することになっています。
現在、北朝鮮の核開発やイランの核疑惑など核拡散の懸念が高まり、中国の核戦力の増強や、ロシアによるウクライナ侵略など大国間の戦略的競争が激化して、安全保障における核兵器の役割が改めて注目されるなど、核軍縮に対する逆風が強まりました。
その一方で、核軍縮を推進する動きも活発になりました。2016年のオバマ大統領による広島訪問、2017年の核兵器禁止条約の採択、そして2022年6月には核兵器禁止条約の第1回締約国会合が開催されるなど、核兵器の非人道性が改めて注目され、核兵器廃絶を求める声が一層高まっています。
このような核をめぐる二つの潮流がぶつかりあう国際社会では、核兵器の役割を重視する考え方と核廃絶を強く求める考え方の間に深い溝が生まれました。この核軍縮をめぐる分断の中で開幕したNPT再検討会議でしたが、そこでの議論は、まさにこの分断や大国間の戦略的対立が色濃く反映されたものになりました。
ロシアによるウクライナ侵略をめぐっては、二つの争点で対立が先鋭化しました。第一に、ロシアが核の威嚇や恫喝を用いてウクライナを侵略したことに対する批判です。1994年、旧ソ連時代の核兵器を放棄し、非核兵器国としてNPTに加盟したウクライナは、ロシアとの間でブダペスト覚書を結びました。その中でロシアは、アメリカ、イギリスとともにウクライナに対し核兵器の使用や威嚇をせず、領土や主権を尊重する約束を交わしています。ウクライナへの侵略はまさにこの覚書に違反する行為です。NPTの核軍縮に向けた措置の中では、核兵器国は、非核兵器国に対して核兵器を使用しないとの約束、「消極的安全保証」を提供することが望ましいとされています。ロシアによる核の威嚇のもとでのウクライナの侵略はブダペスト覚書の約束を反故にし、消極的安全保証の約束を無視する行為です。これは、ウクライナのNPT加盟の前提を揺るがしかねない行動であると、多くの国から非難が集まりました。
第二に、ロシアがザポリージャ原子力発電所を攻撃、占拠した問題です。ロシア軍に占拠されたザポリージャ原発では、ウクライナ当局が、原子力発電所の安全性や、核燃料が核兵器に転用されていないことを確認できない状態にありました。これ対して、欧米諸国を中心に強い懸念が示され、ロシアの侵略行為が強く批判され、原発の管轄権をウクライナに返還すべきとの議論が提起されました。一方ロシアは、原発の安全が脅かされているのは、ウクライナが原発を攻撃していることが原因であると主張し、ウクライナを支持する欧米諸国とロシアとの間で激しい議論が繰り広げられました。
結局、このザポリージャ原発の安全性や管轄権の問題をどう記述するかについて最後まで関係国間の合意が得られず、会議は決裂したのです。
会議に参加したNPTの締約国は、立場の違いを超え、国際安全保障の礎石でもあるNPTの信頼性や一体性を維持するために、様々な譲歩を重ねながら最終成果文書の草案を作り上げてきました。それだけに、ロシアを含む少数国の交渉を待って開会が延期されていた最終セッションの冒頭、ロシアが草案に賛成せず、コンセンサスが成立しないことを議長が告げると、会場は深い落胆の空気に包まれました。
今回の会議ではまた、中国の積極的な主張も目立ちました。中国は、アメリカ、イギリス、オーストラリアの間で結ばれた安全保障技術協力の枠組み、いわゆるAUKUSを通じて、米英がオーストラリアに原子力潜水艦を供与することについて、潜水艦の動力炉に使われる濃縮ウランが核兵器に使用される可能性があるとして反対しました。また、アメリカが欧州のNATO諸国との間で行っている核共有をNPT違反と主張し、アジア太平洋地域でも同様の問題が起きかねないと論じました。原子力潜水艦の動力炉、核共有、いずれの問題も以前からNPTの中で議論され、法的にはすでに整理されていた問題ですが、中国は自らの戦略的利害に抵触するとの認識から新たにこの問題を取り上げたのです。
その一方で、中国は、NPTで認められた核兵器国の中で唯一核戦力を増強していることから、それに対する懸念が、欧米や日本から示されました。会議では、兵器用の核分裂性物質の生産を禁止する条約の交渉について議論されました。その中で、この交渉が妥結し発効するまでは、核分裂性物質生産の自主的な停止を宣言すべきという措置に、大多数の国が賛成しましたが、中国だけがこの点に強硬に反対しました。この措置は、本来軍縮における信頼醸成に大きく貢献する措置であるだけに、中国の反対は、むしろ中国の核戦力増強の意図をあぶりだす結果となりました。
このように、今回のNPT再検討会議は大国間の政治的・戦略的対立が暗い影を落とし、最終文書という目に見える成果を残すことはできませんでした。しかし、核軍縮について全く議論がなかったわけではありません。緊迫する戦略環境の中、偶発的な核兵器の使用、あるいは核のエスカレーションや恫喝などが核戦争のリスクを高めるとして、核兵器の使用を防止するための核リスク低減の取り組みや信頼醸成に向けた各国の核戦力の透明性向上に関する提案が、核兵器国をはじめ様々な国やグループからなされました。
その一方で、核兵器禁止条約の締約国を中心に、核リスクの低減だけでは、核軍縮につながらず、不十分であるとして、核兵器国に対してより実質的な核軍縮措置の履行を強く求める声が上がりました。また、核兵器国や同盟国に対して核政策や安全保障における核兵器の役割の低減について報告するように求める、などの主張も展開されました。また、核兵器の非人道性の認識に立脚して、核兵器が使用された場合の被害者の救済や環境の回復の必要性なども議論されました。
来年には次のNPT再検討プロセスが始まります。核なき世界は一朝一夕に実現しません。核軍縮推進国も核兵器国も、立場の違いを何とか近づけようと対話を重ねたことを基盤に、核のリスクの一層の削減、さらには核兵器の廃絶につなげていくために、共通の課題や取り組みを見出し、実施していくための協力のありかたを追求していくことが重要です。