栗原聡「プログラミング教育と考える力」
2022年09月06日 (火)
慶応義塾大学教授 栗原 聡
かつて技術大国と呼ばれた日本ですが、気がつくと研究力は低下し、今や先進国においてIT後進国となってしまいました。この状況を打破するため、急速に進むデジタル化やAI技術の進歩を受け、2020年度から小学校でプログラミング教育が必修化され、初等教育からAI人材の育成をすることが日本の最重要課題とされています。2025年からは大学入学共通テストに情報が新設されるなど、まさに国策としての情報教育の推進体制ができつつあります。
特に初等教育からのプログラミングや情報リテラシー教育は時代の要請とも言えるもので、単にプログラミング技術の獲得が目的ではなく、論理的思考力を育むことや問題解決に向けたアルゴリズム的思考能力を身に付けることが目的であり、私もその趣旨自体に異論はありません。
きょうは、プログラミング教育の時代における、考える力についてお話ししたいと思います。
プログラミング教育の問題は「理想」に対する「現実」です。本来であれば「プログラミング」という科目を新設し、専門性を有する教師を配置する方が望ましく、その方が均質なカリキュラムとすることが容易で、目的の達成にも資すると思いますが、そもそもそれだけの人材を確保することは不可能です.
その結果、小学校でのプログラミング教育では「プログラミング」という教科が新設されたのではなく、算数や理科といったこれまでの科目の中でプラグラミング的思考を身に付ける工夫を新たに入れ込む方法がとられています。従来科目に組み込むことによるスムーズな導入ができるという見方ができる一方、どのようにしてプログラミング教育を各科目に具体的に組み込むというのかという難しい問題が、そもそもプログラミングの専門家でない算数や理科を教える教師達に一任されているのです。
現状は各教員の創意工夫に依存している状況であり、それは教育を実施する側での格差が発生していることを意味しています。事実、現場からは、何をすればよいか分からないとか、教師によってプログラミング知識に差があり実施されている教育水準に差を感じるという声が聞かれます。
残念ながら目的と手段が入れ替わることはよくあることで、ひたすら方程式を解かせるように、ただ問題を解くプログラムを書かせるだけの訓練になってしまい、結果的にプログラミング技術を教えることが目的となってしまうことが懸念されるのです。
プログラミング教育の目的は、目的を達成するために物事を順序立てて考え、結論を導き出し、それを計画的に実行できる論理的思考能力を身につけることですが、これは、単にプログラマーを養成することが目的ではありません。
そして、私は、プログラミング教育だからこそ学ぶことができる真の目的が2つあると思います。
1つが、目的を解決するための方法は決して1つではない、ということを知ること。
そしてもう一つが、試行錯誤を繰り返し粘り強く課題に取り組む熟考する力を育むことです。
そもそも我々人間は大きく二つの思考を使い分けつつ生活をしています。
一つは外界からの情報に対して無意識的・定型的に反応する脊髄反射のような「即応的な思考」です。危険な状況への対応などでは瞬時の判断が重要であり、即応的な思考は我々に限らず、多くの動物が共通して持つ大切な能力です。
そしてもう一つが、人間のみが持つ、この文明社会を築くことを可能とした「熟考的な思考」、すなわち、外界からの情報に対して、これまでの経験や知識を総動員し、論理的に考え推論し、熟慮して判断する思考のことです。
さて、近年のSNSの飛躍的な普及に伴い、ツイートを見て瞬間的にリツイートしてしまう行為や、分からないことがあるとすぐに検索して答えを探してしまう行為が増えています。
本来、ツイートの内容が本当かどうかを考え、自分なりに調べてからリツイートすべきであり、分からないことがあれば、いろいろ調べ自分なりの考えをまとめるといった熟考的な思考を行うべきですが、反射的に判断したり行動したりすることが増え、社会全体で「即応・即答することが是」という空気が急速に広がっていると思います。
複雑な状況に適切に対応するには「熟考的な思考」を駆使しなければなりません。そのためにも、現在行われているプログラミング教育が、試行錯誤を省略して単なるプログラミング技術の習得のための場となってしまっては本末転倒なのです。
デジタルの進歩やSNSの発達は人間に大きな利便性をもたらしました。一方で、反射的にリツイートする癖や、答えが分からなければすぐに検索する癖など、人間ならではのしっかり考える能力の低下が顕著になってきているのです。
文科省が全国学力テストについてまとめたところによると、児童のSNSや動画の視聴時間が長いほど、学力テストの成績が悪くなるという結果も出ています。具体的には、小学校の算数で見てみると、一日4時間以上SNSや動画視聴する児童に比べて、1時間未満の児童の方がおよそ18ポイント成績がよかったのです。
このデータから読み取ることができるように、考える力が低下し、「言われたこと」や「決められたこと」をやる人間ばかりが増えれば、当然ながら人間の均一化が進み、多様性は失われてしまいます。
与えられたことをやるだけで、そこそこ生けていける環境は楽ではありますが、人間も他の動物と同じで一度楽をすると元に戻ることは難しく、多様性の喪失は種の絶滅に近づくことを意味するのです。
われわれ人間は生きる目的があるからこそ、その達成に向けて問題を解決し工夫し、発明し前進してきました。目的を達成するために試行錯誤をして、さまざまなことを経験・体験してきたのです。言われたとおり行動するだけであれば、それは歯車であり道具にすぎません。その意味で、特に人間形成に大きな影響を与える初等教育において、探究心を育むことこそが何より重要なのだと思います。
しかし、コロナ禍で無機質なオンライン化が加速したことや、五感を刺激するような「主観的体験」を積む機会が失われ、もはやそれが当たり前になりつつあります。だからこそ、子どもの砂遊びや基地作り、昆虫採集などを通じて、目の前にある物で何を作るかをイチから考える、何を使えばより強度が増すとか、どうすれば昆虫を捕まえられるかなどを自分で考え、工夫し、観察することが大切であり、そのような能力を育む教育があらためて必要なのだと思います。
プログラミング教育に照らせば、例えば与えられたロボットを動かすためのプログラムを組むのではなく、バラバラなパーツを組み合わせることで自分なりのロボット自体を作ってみるところから始めることが重要だと思うのです.ロボットのデザインや何をさせるかも自由に考えさせ、失敗も含めて試行錯誤することで,どのような工夫をすればよりよいロボットになるかを考えさせることこそが重要です。すぐに結果を求めず、「勝手に」そして「自由に」やらせてみることが重要なのです。
人類にとってのよりよい未来を構築するためには、現在行われているようなプログラミング教育よりも大切にすべきことがたくさんあることに、われわれはもっと目を向ける必要があると思います。