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浅川智恵子「誰一人取り残さない社会を実現するために」

日本科学未来館 館長 浅川 智恵子

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日本科学未来館館長でIBMフェローの浅川智恵子と申します。             
私は現在視覚障害者ですが産まれたときは普通に見えていました。
スポーツ少女で将来はオリンピックの選手を目指していて勉強には興味がありませんでした。11歳のときのプールでのケガがもとで14歳には失明しました。

失明した当時二つの大きな困難に直面しました。一つは情報のアクセシビリティです。
文字が読めなくなったため新聞も教科書も雑誌もあらゆる書籍が読めなくなりました。
二つ目はモビリティ。一人で外出ができなくなりました。        
そんな自分にとって将来自立できるのかが大きな不安でした。

その後、紆余曲折を経て日本IBMに入社し視覚障害者のための支援技術の研究開発を
はじめました。1990年台。インターネットが誕生し急速に拡大をはじめました。
WEBに初めて触れた時は驚きでした。膨大なデジタル情報にアクセスできることに
非常に大きな可能性を感じました。

そこで1997年に音声合成によりWEBの文字情報を読み上げる世界で初めての実用的な
音声WEBブラウザ「ホームページリーダー」を開発し製品化しました。

全国に講習会に出かけたのですが最新のニュースを読んだりテレビ欄を確認できたり
した時の皆さんの喜びの声を忘れられません。中でも、もっとも印象に残ったのが
「私にとってインターネットは世界にひらかれた窓です」というコメントでした。

情報へのアクセスは社会参加を実現するという事実に気付かされたわけです。

私が経験した二つの困難情報と移動は社会参加への困難でもありました。
1980年代から2000年代にかけて情報へのアクセスは飛躍的に向上しました。
変化がなかったのが移動です。行き交う歩行者や障害物にぶつからないように
段差や階段にも気をつけながら道を間違えないように注意して歩く必要があります。

さらにもし、自分がどこにいて周囲にどんなお店があってどんな品物があるか。
またどこのお店に行列ができているか。知り合いが向こうから歩いてくる。
そんな情報を得ることができるようになれば視覚障害者の生活は大きく変わります。
私は海外出張が多いのですがあるとき空港でスーツケースを運びながらふと気がつきました。
スーツケースを押して歩いていると壁に先にぶつかってくれる。段差も先に落ちてくれる。
ということは白杖(はくじょう)の代わりになるのではないか。これにAIやモーターが
つけば目的地に安全に誘導してくれるのではないか。
そこで開発したのがスーツケース型の自律走行ロボットAIスーツケースです。
2017年ごろからカーネギーメロン大学で研究を開始し2020年からは得意技術をもった
日本企業も開発に加わりました。

今ご覧いただいているのは最新型のAIスーツケースを使って未来館の展示を案内して
いるところです。いかがでしょうか。
ぱっと見ると健常者がスーツケースを押して歩いているようにみえないでしょうか?
それもねらいの一つです。
視覚障害者もスーツケースと一緒であれば目立たないで街に溶け込んで歩くことができる
そんなロボットを現実のものにしたかったのです。

発明と社会実装は分けることができない車の両輪だと思います。どんなに優れた科学技術であっても実際にユーザーが使って磨かなければ社会を変える真の原動力にはなりません。

ただ社会実装のためには多くの壁を乗り越える必要があります。例えば安全性もそんな壁の一つです。たとえユーザーが自己責任において新たな技術を利用しても万が一事故が
起きた時に誰が責任をとるのかといった議論が日本では延々と行われるのが常です。

法律や仕組みも乗り越えなければいけない壁です。
道路交通法では視覚障害者は公共の場所では白杖をもって歩くことが定められています。
ロボットによる誘導が現実のものになろうとしている今白杖をもつかどうかは個人の意思で良いのではないでしょうか。

インフラも必要です。車用の信号機の情報は自動運転自動車のために電波で発信するインフラの整備が検討されています。しかし歩行者用の信号機は検討されていません。
AIスーツケースだけではなくデリバリーロボットなどにもこれは必要です。

全ての壁を乗り越えるためには多くの時間がかかります。しかし日本がイノベーションの発信源となるためにはこうした壁を迅速に取り除く必要があるのではないでしょうか。

アクセシビリティの技術は障害者という少数派のグループを対象としています。
しかし歴史を紐解くとアクセシビリティ技術が多くのイノベーションを生み出してきたことが分かります。

電話ですが1800年代に電話を発明したグラハム・ベル氏の家族に聴覚障害者がいたことがきっかけとなり家族とのコミュニケーション手段を模索すべく信号技術の研究を通じて
発明されたといわれています。音声合成や音声認識技術の発展はアクセシビリティのニーズによって育てられたといっても過言ではありません。

こうした例を見ても実は日本から始まった事例が一つもありません。AIのこの時代に日本からダイバーシティを活かしたイノベーションをおこせないでしょうか?

日本科学未来館では2022年7月に2030年に向けた取り組みを発表しました。その一つが科学技術の社会実装を促進するために「未来への実験場になる」という取り組みです。

AIスーツケースの社会実装にはもちろん視覚障害者ユーザーに体験をしていただくことが重要です。是非多くの方々に未来館に来て頂きロボットによる街歩きの楽しさを体験して頂きたいと思います。同時に一般の来館者の方々にロボットが人を支援する「未来の風景」をいち早く未来館で体験していただくことも非常に重要です。

新たな科学技術を社会実装した時にどんな変化があるのか。「今の社会」を「未来の社会」に変えていくために「今の自分に何ができるか」を是非考えて頂ければと思います。

そして地域社会との連携。AIスーツケースが街に出るためにはどんな制度がバリアになるのか。どんなインフラが必要になるのか。行政も含めた多くの方々と課題を共有し解決策を探る必要があります。

日本はイノベーションを起こすことができない国になってしまったという意見があります。
日本はまだダイバーシティを十分に活用できていません。またイノベーションを育てる
ための実験場も不足しています。是非みなさまの立場から新たな科学技術の社会実装を
進めるために何ができるか考えてアクションをとっていただければと思います。

ありがとうございました。

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