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高野龍昭「『科学的介護』とは何か」

東洋大学 准教授 高野 龍昭 

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Ⅰ はじめに
 私たちの老後の生活を支える介護。そのあり方を大きく変革させる可能性を秘めた新たな取り組みが、今、始まっています。それは、データを活用する「科学的介護」と呼ばれる画期的な取り組みです。
この「科学的介護」について、本日はその現状と期待、そして課題を考えてみたいと思います。

Ⅱ 科学的介護とは何か
この「科学的介護」とは、どういった取り組みなのでしょうか。
一言で言えば、2021年度の介護保険法改正にあわせて、厚生労働省が新たに構築した「科学的介護情報システム:Long-term care Information system For Evidence(LIFE)」という高齢者介護分野のデータベースを、介護の実践で活用するというものです。

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このLIFEでは、まず、介護サービスの事業所・施設が、サービス利用者である一人ひとりの高齢者に関する「心身の状態」や「実施している介護」などの具体的な内容について、客観化・数値化したデータを数か月ごとに収集し、それをオンラインで厚労省に送信します。厚労省では収集したデータを蓄積しつつ分析して、利用者ごとの状態の変化や、事業所ごとの長所や短所をデータで示し、それぞれの事業所に戻す、つまりフィードバックをします。それを受けた事業所は、介護などの内容を見直して、より効果的な介護方法に変更したり、事業所自体の「強み」と「弱み」を把握して、実践方法を見直します。
このように、これまで可視化することが難しかった介護サービスの効果について、データを用いて言わば「見える化」し、そこから「介護サービスの質を改善」することを求めるものがLIFEだと言えます。
 現時点では、この取り組みを行うか否かは事業所の判断に委ねられていますが、実施している事業所には、介護保険制度で支払われる介護報酬に加算・上乗せが行われる優遇策が講じられています。

このLIFEで収集・蓄積されるデータは、数百項目あります。具体的には、どのようなものなのでしょうか。

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まず、高齢者の「状態」に関するデータがあります。病歴や服薬の内容、血液検査の結果といった医療的な情報、歩行や服の着替えなどの手足の動きの水準を表す数値などが代表例です。
次に、高齢者への「介入」、すなわち「実施している介護」や「機能訓練」に関するデータです。日中にベッドから離れてどれくらいの時間を過ごすように介護しているか、食事の介助を行うときの場所や方法、身体のどの部位の機能訓練をどれくらいの時間行っているかといった情報を収集します。
さらには、高齢者に多い誤嚥性肺炎の発症など、急に大きな変化を来たした状態:「イベント」の発生についての情報も収集します。

 さて、全国で介護サービス事業所・施設はおよそ22万箇所、介護サービスを利用している高齢者は約580万人と報告されています。これらの事業所が高齢者一人ひとりの情報を詳細に収集できれば、LIFEに膨大なデータが蓄積されます。これはまさに国家的プロジェクトと言えます。
その膨大なデータを分析すれば、これまでの高齢者介護とは違う、あらたな取り組みが実現できます。そのあらたな取り組みは、3つあげることができます。

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まずは、前述した「介護サービスの質の改善」ですが、その他に2点を示すことができます。
その1つは、「介護サービスの質の評価」です。LIFEのデータによって、「A事業所はB事業所よりも身体の動きの改善に効果を出している」「B事業所はC事業所よりも認知症に伴う症状の改善に効果をみせている」「C事業所は全国平均データよりも栄養状態を上手に改善させており、利用者が病気にかかりにくい」といった比較が可能になります。こうしたことが公開されれば、高齢者やその家族が事業所・施設を選ぶ際の有効な情報となり得ます。また、政府内の審議会などでは、質の高いサービスを実施している事業所等をLIFEで示し、そこにはインセンティブ(すなわち、支払われる介護報酬を上乗せする)措置をとるべきだという意見を、すでに示しています。

もうひとつは、「介護サービスの標準化」です。全国の要介護高齢者一人ひとりの「状態」「介入」などのデータを統計的に分析して、それぞれのデータの間の相関関係や因果関係を紐解くこともできます。そうすれば、たとえば「Xという状態の高齢者に、Yという介護を行えば、1年後にX´という状態に改善する」、あるいは「Pという状態の高齢者に、Qという介護を行えば、Pを悪化させずに済む」ということが明示できるようになります。そのデータを参考に介護を行えば、職員や事業所によって、介護を実施する際の判断や技術にブレが少なくなります。
介護は担当職員によって判断や技術に違いがある、つまり「属人的」なものだという批判がありますが、それが、LIFEによって客観化され、将来予測も可能な「標準的」で「再現性」のあるものに変わる、つまり「データや根拠に基づく科学的な介護」の実現につながるでしょう。これは、介護に対する信頼感と社会的評価を高めることになるはずです。

Ⅲ 科学的介護の課題
すでに、LIFEのデータを活用して、高齢者の状態を改善させる取り組みに目を見張るような効果をあげている事業所もあります。

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 しかし、ある全国規模の介護事業者団体の調査によると、LIFEを利活用した際に算定できる介護報酬の加算を取得している事業所等の割合は、今年4月時点で、特別養護老人ホームで約62%、介護付き有料老人ホームなどの特定施設入居者生活介護では約33%にとどまっています。期待されたほどの利活用は行われていません。その理由は「データ入力に手間がかかる」「職員の教育ができていない」といった事業所の体制に起因するものが多くを 占めています。
多忙で人手不足という現場の事情は理解できますが、介護サービスの質の向上や標準化などの取り組みに乗り遅れないよう、事業所の努力も必要です。そのときには、利用者の状態変化などをデータから理解するといった「データ・リテラシー」の能力と、介護現場のICT化・DX化も必要となります。

 最後に、LIFEの最大の課題を指摘しておきたいと思います。
それは、データ収集項目が、身体機能や医学的な側面に偏っており、高齢者の心理・社会的な側面に関するものがさほど見当たらないことです。このままであれば、LIFEで質を高めることができるのも、そして科学化が可能になるのも「心身の機能を高める」「医学的な問題を起こさない」という範囲にとどまってしまう懸念があります。
 そもそも介護や社会福祉サービスの目的は「心身機能の回復」ではなく、「生活の質:QOLの改善」「well-being:健康かつ幸福な状態の実現」にあります。実際、高齢者介護の専門職は「高齢者のできることが限られていくなかでも、できるだけその人が望む生活を送ることができるように社会的環境を整える・心理的に支える」、「孤立を防ぐ」といったことを価値観の中心に据えています。もちろん、「生活の質」の一部には「心身機能の回復」も含まれますが、それは一部であり全部ではありません。
 この意味で、LIFEのデータ収集項目に「主観的幸福感」「対人関係」「社会参加」などといった高齢者と周囲の人びとの心理面・社会生活面のデータを加えたうえで、「質の改善」「評価」「科学化」に繋ぐべきです。これらはデータ化・客観化しにくい分野ではありますが、こうした観点からLIFEをより良いものにしていくことで、介護の本質的な意味での「質の改善」、そして「科学的介護」につながる仕組みとなるはずです。

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