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君島東彦「平和学から考えるウクライナ危機」

立命館大学 教授 君島 東彦

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 ロシアがウクライナに侵攻して5ヶ月が経ちました。戦闘は長期戦、持久戦の様相を呈しています。我々はこの戦争を終わらせることはできないのでしょうか。紛争当事者のウクライナ、ロシア、そしてウクライナに軍事支援をしている米国、ヨーロッパ諸国の議論を見るかぎり、いますぐに停戦を追求することは困難な状況にあります。きょうはロシア・ウクライナ間の戦闘を終わらせて、この地域に平和をもたらすために、我々はどう考えたらよいのか、何に着目すべきなのか考えてみたいと思います。

わたしは大きく3つの観点からお話しします。第一に平和学の考え方、第二にロシア・ウクライナ紛争を収拾する主体、第三に停戦の模索の状況、これら3つです。

【平和学の考え方】
第一に平和学の視点からこの紛争をどうとらえるかです。多様な価値観を持つ人々が生きている人間社会において、対立・紛争は不可避であり、我々はつねに対立・紛争を抱えて生きています。問題は紛争をなくすことではなくて、紛争を暴力化させないこと、武力行使によらずに紛争を制御することです。ロシア・ウクライナ間の紛争は2014年から継続していますが、今年の2月24日にロシアがウクライナに侵攻したことで、本来平和学がめざしている戦争予防に失敗しました。このような事態になった場合、平和学の立場からするならば、ロシア・ウクライナ間の戦闘をとめて、殺戮と破壊を一日でも早く終わらせること、停戦を追求することが至上命令となると思います。また、平和学はすべての当事者を包摂することをめざします。対立する当事者を包摂したうえで、交渉による紛争の制御を追求します。

【収拾する主体は】
 第二に、ロシア・ウクライナ紛争を収拾する主体は誰なのでしょうか。ウクライナ、ロシアの意思がもっとも重要であるとしても、これら2国だけで紛争の収拾はできません。ウクライナに軍事支援をしているNATO諸国の意思はこの紛争の収拾に影響を与えます。

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NATOは去る6月28日から6月30日にかけて、スペインのマドリードで首脳会議を開いて、新たな戦略概念を採択しました。この文書は「ロシアはNATOのパートナーとはみなせない。ロシアはNATOに対する最大かつ直接的な脅威である」と述べていて、NATOとロシアの関係は悪化しています。

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ロシアへの敵意を強めたNATOに対して、NATO首脳会議の直前の6月26日27日にマドリードで「NATO反対平和サミット」という平和集会があり、数千人規模のNATO反対のデモがありました。この平和集会は「NATOの軍拡やグローバル化ではなく、外交による紛争予防、軍縮、非核化、要するに社会の非軍事化が人間の真の安全保障を実現する」と述べる宣言を出しました。わたしはこのようなヨーロッパの市民社会の声を聞き逃さないようにしたいと思います。

【OSCE】
 ロシア・ウクライナ紛争を収拾する主体としてわたしが期待するのは、NATOよりもOSCE(欧州安全保障協力機構)という組織です。OSCEは、まだ冷戦の只中であった1975年にフィンランドのヘルシンキで、NATO加盟国とワルシャワ条約機構の加盟国の双方を包括して、つまり東西対立を包摂して立ち上げられたCSCE(欧州安全保障協力会議)から発展した組織で、ロシア、ウクライナを含む北米、欧州の全域をカバーする地域安全保障機構です。OSCEはNATOと異なり軍隊を持たず、あくまでも非軍事的な手段で停戦監視、選挙監視、信頼醸成等の任務を行っています。

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2014年にウクライナ東部のルハンシク州、ドネツク州で戦闘が起きたとき、停戦合意、いわゆるミンスク合意をまとめたのは主としてOSCEでした。そしてミンスク合意の履行を監視したのもOSCEの特別監視団でした。2月24日にロシアがウクライナ侵攻を開始したことによって、ミンスク合意は破られてしまいましたが、ロシアとウクライナの双方を包摂する組織としてOSCEの重要性は減じていないと思います。

【停戦の可能性は】
 それでは第三に、いまロシア・ウクライナ停戦の可能性はどのように見ることができるでしょうか。3月末まではトルコの仲介による停戦交渉についての報道がありましたが、ブチャの虐殺の報道以降、停戦に関する報道は激減しました。とはいえ注目される動きもあります。

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イタリア政府はロシア・ウクライナ和平案を作成して、5月18日にグテーレス国連事務総長に提出しました。イタリアの和平案は、1)停戦と最前線の非軍事化、2)ウクライナの中立化と諸国家によるウクライナの安全保障、3)クリミアとドンバス地方について、高度の自治を保障したうえでウクライナ国家にとどまることを規定するロシア・ウクライナ間の協定、4)ロシア軍のウクライナからの段階的撤退と西側諸国のロシアに対する経済制裁の緩和を含む、西側諸国とロシアとの間の多国間平和条約、これら4点を柱とする野心的なものです。このイタリアの和平案はウクライナ、ロシア両政府に提示されましたが、両政府から拒否されました。ポーランドのモラヴィエツキ首相はイタリアの和平案を厳しく批判していて、いまヨーロッパ諸国に存在している即時停戦をめざすべきという和平派とロシアを敗北させなければならないという正義派の対立を端的に示しています。イタリアのルイジ・ディマイオ外相は「まだ機が熟していない」として和平案を取り下げました。イタリアの和平案は、即時停戦を求めるイタリア国内の世論を意識したという面がありますが、ロシア・ウクライナ停戦を考えるときに検討すべき論点をほぼカバーする包括的なもので、今後停戦を議論するときのたたき台となる可能性があります。
 侵略戦争を始めたロシアを敗北させなければ、ヨーロッパの平和秩序は回復できない、それまで停戦交渉はするべきではないという正義派の主張は1つの考え方として理解できます。ソ連の支配を経験したポーランドやバルト三国にとってはロシアの脅威は非常にリアルなものでしょう。それを充分承知のうえで、しかし殺戮と破壊は一日でも早く終わらせるべきであり、犠牲者を増やしてはならないとわたしは考えます。ロシア・ウクライナ紛争が核戦争にエスカレートするリスク、そしてヨーロッパのエネルギー危機、世界の食糧危機のことを考えるならばなおさらです。停戦するということは、侵略戦争を始めた側の責任や戦争中に犯された戦争犯罪を不問に付すということではありません。それらの責任は、時間をかけて追及し続ける問題です。ロシアをヨーロッパ秩序に安定的に包摂し、戦争責任を追及していくこと、またプーチン大統領の武力行使をとめることができなかったロシアの立憲主義、民主主義を育てていくこと等の大きな課題を認識しつつ、ロシア・ウクライナ停戦の可能性を模索したいとわたしは考えます。

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