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ウクライナ避難民に必要な医療支援

広島大学 久保 達彦 

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開戦
ロシアが2月24日にウクライナに軍事侵攻してから、2か月以上が経過しました。

避難民
戦闘に伴うウクライナ国内での死傷者の数は、未だ把握ができない状況です。確かな数字として、この間、ウクライナからは537万人もの避難民が流出しています。当然ながらその中には医療を必要とする方々がいます。
この人道危機は、国際社会からの支援を要する災害であり、避難民の方々の健康を守るためには災害時の医療、すなわち災害医療を提供する必要があります。

調査概要と目的

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私は3月19日から4月10日まで、JICA国際協力機構が派遣した「ウクライナ避難民に係る緊急人道支援・保健医療分野協力ニーズ調査団」に団長として参加し、人口あたりの避難民流入数が最も多いウクライナの隣国、モルドバ共和国で調査活動を行って参りました。

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本日は、このJICA調査団によるモルドバ共和国での調査活動結果から、我が国が行う「ウクライナ避難民に必要な医療支援」について、考えてみたいと思います。

モルドバについて
モルドバ共和国はウクライナと国境を接するヨーロッパの小国で、我が国はこれまでJICAを通じて、農業や医療などの分野で多くの国際協力を行ってきています。

難民に係る数字
今回の戦争に伴い、人口264万人のモルドバに43万人もの避難民が流入しています。5日間に渡る移動ののちバスターミナルに到着した避難民の方々には疲労困憊という言葉を超えた姿がありました。まさに災害と言える状況です。
流入した避難民の3分の2は、ルーマニアなどの隣国に更に避難しており、残り3分の1がモルドバ国内にとどまっています。
実は、このうち、いわゆる避難所にいる避難民はわずか1割にとどまっています。残り9割の避難民は、避難所ではなく、モルドバの人々のご家庭などでかくまわれているのです。
モルドバの人々による手厚く、温かな避難民の受け入れは医療の面にも現れています。モルドバ政府は避難民流入直後から、全ての避難民への、高度医療を含めたあらゆる医療を、無償で提供しています。
銃撃を受けながら避難されてきたある癌患者さんの手には、避難先の国で適切な医療を受けられるようにとウクライナの病院の医師が書いた、詳細な紹介状があり、その情報、思いは、モルドバでの医療に確かに引き継がれていました。
近隣の国々と比較して経済的には豊かとはいえないモルドバ国内に、ウクライナからの避難民が止まる理由には、このような温もりある背景があるのです。

保健医療調査
しかし、この対応は現在、モルドバの医療体制の大きな負担になっています。

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JICA調査団がモルドバ政府保健省とも連携して実施した調査では、ヒト、モノ、カネ、いずれにも大きな課題が認められました。訪問先の病院は、日本が20年前に供与した人工呼吸器が未だに大切に使われている一方で、こども用の人工呼吸器や透析機器等が不足し、機材の老朽化により手術中のレントゲン写真の撮影が困難な病院もありました。
調査で確認されたこのようなニーズについては専門人材の育成を含めてJICAが支援を行う方針を固めています。

一方で、人材を含め医療体制を整えるのには、年単位の時間も必要でしょう。戦火が迫るなか今ただちに求められているのは、国際社会からの支援者を含めて現時点で利用可能な資源の最大有効活用を図る、すなわち災害医療です。

災害医療の4本柱
この点、数多くの自然災害に立ち向かってきた我が国には世界的にみて優れた災害医療体制が編成されています。

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我が国の災害医療体制は4つの柱と一つの本部からなっています。災害医療の拠点となる災害拠点病院、災害医療チームDMAT、情報共有システムそして搬送計画、いずれも不可欠な要素ですが、東日本大震災以降、特に発展してきているのが、限られた医療関係資源の最大活用を支える、本部における指揮調整技術、とりわけ情報管理技術です。

求められる情報支援
実は、今回のJICA調査団の派遣のきっかけとなったのは、WHOから日本の災害医療専門家に寄せられた「モルドバの災害医療調整本部に入って本部活動を支援して欲しい」という要請でした。国際的にみて、日本の災害医療の強みは調整本部の運営にあるのです。
災害医療の調整本部において必要な情報は、どこで、どのような患者が、何人いたのかという情報です。

WHO等ではこの情報はEmergency Medical Team Minimum Data Set、通称MDSと呼ばれる災害医療チームからの診療データの日報によって収集されます。
このMDSは日本が東日本大震災を契機に開発したJ-SPEEDという同類の手法をWHOが国際標準として採用したものです。

今回、JICA調査団が担当し収集したMDSデータにより、ウクライナ避難民患者の4割は男性であることが初めてわかりました。それまでウクライナ国外には男性が出国できないという状況から、避難民患者のほとんどは女性や子供と思われていましたが、実際には、癌などの持病を持つ男性は国外への避難が認められていました。
またMDSにより感染症の流行が察知されたことで、避難所への公衆衛生チームの派遣が行われました。

日本によるMDS支援の評価を決定的にしたのは、ウクライナ避難民データと、我が国で災害時に収集されているJ-SPEEDデータとの比較検討でした。

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ウクライナ避難民においては医療による追跡フォローが必要な患者の割合が徐々に増加していました。奇妙にも思われるこの所見は、実は2020年に日本で発生した熊本豪雨においても確認されています。経済的あるいは健康上の問題を抱える被災者ほど避難所に長く留まり続け、災害医療チームによる診療を受けやすくなることがこの変化の要因と考えられています。この日本の熊本での知見を踏まえて、モルドバ保健省は、継続的な診療の提供確保により一層、努めるよう、災害医療チームに対して要請を行いました。
このデータは、モルドバ共和国と日本という2つの異なる国においても、健康危機管理という観点に立てば実は共通的な課題に直面していること、両国の災害医療関係者が協同することの意義を、立証することになりました。
我が国には自然災害を通じた災害医療/健康危機管理に係る膨大な知見が集積されています。一方で、難民大量流入に関する経験はありません。データに基づく知見共有は今後、日本にとっても意義があるものとなっていくでしょう。

災害医療で求められるのは、限られた医療資源の最大活用です。ウクライナ及びその周辺国には、日本以外の国々からも押し寄せるように支援が届き始めています。その支援は、適切な情報と適切な調整に基づいて、適切な場所に適切なタイミングで配分され、被災者に届けられていく必要があります。
日本にはその医療支援調整をデータに基づいて行う能力があります。我が国が数々の災害対応を通じて磨き上げてきた本部運営、情報管理技術、WHOからも期待される日本の災害医療の強みを惜しみなく供与することで、災害医療活動の効率的な運用を実現する本部活動を支援することが、我が国には期待されています。

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