"きょうだい児"の気持ちを知る
2022年05月10日 (火)
Yukuri-te 代表理事 湯浅 正太
ぼくは、小児科医として子どもの心のケアも含めた支援を行なっていますが、きょうは“きょうだい児”の気持ちを知る、というテーマでお話したいと思います。
きょうの話の中で、“きょうだい児”とは、家族の中に障がいのある子どもがいる場合、その子の兄弟姉妹のことを言います。そして、障がいのあるその子のことを“同胞”と表現します。ぼくは3人兄弟の長男として育ちましたが、一番下の弟が同胞という立場で、ぼくはきょうだい児という立場でした。
きょうは、『きょうだい児』としてのぼくの経験をお話するとともに、障がいを含めて、多様性を認め合う子どもの心を育てるために今必要なことは何かについて考えたいと思います。
一番下の弟は、幼い頃から、みんなと同じように行動することが苦手でした。お友達と同じように、喋ったり、字を書いたり、走ったりすることが苦手でした。でもそんな弟は、人懐っこくて、いつもニコニコしていました。その弟らしい、落ち着いた和やかな雰囲気が、ぼくは大好きでした。
ぼくが小学6年生のとき、その弟がぼくと同じ小学校に入学してきました。そしてある時、弟が数人のクラスメイトから嫌がらせを受け、追いかけられる場面を目撃します。ぼくはそれを見て、弟のもとへ一目散に駆け寄り弟を助けます。そんな経験をしました。
それからというもの、弟が嫌がらせを受けていないかを確認するために、弟のクラスに偵察に行くようになりました。そんなことをしなくても、先生に相談することもできたかもしれません。でもぼくは、そうしませんでした。だって、大人あるいは社会を信用できなかったからです。
そんな生活を送っていたある日、ぼくは弟と一緒に自宅の前にあるベンチに座りながら、「学校はどうだ?」と弟に聞いていました。そしてその時、弟がぼくにこう言ってきたんです。「みんなとおなじくできないよ」。それは、ぼくの絵本のタイトルにもなった言葉です。
「みんなとおなじくできないよ」。その言葉を聞いて、ぼくは大きなハンマーで心を殴られたような、強くて痛い衝撃を受けました。そして、弟のその言葉に対して、ぼくは何も答えられませんでした。弟へどんな言葉を返してあげればいいのか、当時のぼくにはわからなかったのです。
そしてその日以来、毎晩弟のことを考えてはシクシク泣くようになりました。弟の気持ちを理解してあげられず、何もしてあげられない無力な自分を責めました。そうやって毎晩シクシク泣きながら眠りにつく。そんな毎日を過ごすようになります。
そんな生活を送りながら、「みんなと同じようにできなくても、弟には良いところが他にいっぱいある。その良いところに目を向ける社会があるべきじゃないか。」、そんな気持ちが次第に大きくなり、社会に対して強い反感を抱くようになっていきました。
そして、ぼくは中学生になっていきます。弟は小学校、ぼくは中学校という具合に離れて暮らすようになりました。でも弟と離れていても、心の中では弟のことを心配していました。そして「将来、ぼくたちはどうなるんだろう」という不安が湧いて、気持ちが沈みます。将来への希望を抱けず、勉強する意義を見失っていたのが、中学1年生の頃のぼくです。
そんな心をもちながら中学2年生になった、ある時のことです。地域の中学校に通っていたぼくのクラスには、物事を覚えることがみんなと同じようにはできないクラスメイトがいました。その子のことを、他のクラスメイトがからかっていたのです。
ぼくはとっさにその嫌がらせを止めに入り、その嫌がらせは止みました。でも、今度はぼくが嫌がらせを受けるようになったのです。「人の気持ちを理解できない生徒を育てる教育って、正しいのか?」「いったい何のために学校に通っているのだろう?」、そう思いながら過ごしていました。
そんなある時学校の先生が、ぼくを含めてクラスのみんなを席に座らせて言いました。「この教室に嫌がらせを受けている人がいる。他人に対して嫌がらせをすることが、人として正しい事なのか、よく考えてみるといい」。そういった、人としてあるべき姿を長い時間かけて話してくれたのです。そして翌日から、ぼくへの嫌がらせも止みました。
そういった体験を通して、人への思いやりなど、人として大切なものを育てようとする社会があるのかもしれない。そういった希望を抱けるようになりました。そういった社会であれば、生きてみたい。そうやって、生きて学ぶ意義を見出せるようになりました。
そのようにきょうだい児として育ち、今、小児科医として障がいのある子どもや、そのきょうだい児に関わっています。そして、父親として自分の子どもたちが置かれる教育環境も目の当たりにしています。
そういった経験を通してようやく、「みんなとおなじくできないよ」と弟から言われた時に、弟に返してあげたい言葉が見つかりました。
それが、「おなじくなくていいんだよ」です。そう自信をもって言えるようになりました。戻れるものなら、あの頃の弟にそう言ってあげたい。そう思います。
そして、これからの時代を生きる子どもたちのことを思うようになりました。コロナ禍を経験し、少子高齢化や人口減少の時代を生きる子どもたち。そんな時代を生き、障がいも含めた多様性を受け入れられる人材を育てるために必要なものは何だろう。
それは、つながりを大切にする教育です。
例えばぼくは、人と障がいについてこんな考えをもっています。障がいというものは、その人の周りに立っている旗のようなものです。その旗があることで、支援を届けやすくなるかもしれません。でも、その旗を見たって、その旗の後ろにいる、その人のことはわからないのです。
その人を理解しようとすると、旗をどけて、その人に会って話をしてみなければわからない。障がいということは置いておいて、その人につながることで、ようやくその人のことが理解できる。当たり前ですが、その当たり前のことが理解されない現実があります。それは、どうしてでしょうか。
それは、やはり教育が原因と思います。
人の能力には、今の教育で評価されていない、たくさんの素晴らしい能力があります。その中でも最も大切な能力は、つながれる力です。人とつながれるからこそ、社会で様々な能力を生かせるようになります。
人とのつながりを考える機会を通して、障がいというものでは、その人のことが理解できないと自覚できる。障がいというものを傍に置いて、その人としっかりつながる。すると、多様な旗で見えなかった、人それぞれの優しさを知る。そうやって、つながりを大切にする教育により、多様性の中にも安心感を感じられるようになるのです。
しかも、それだけではありません。多様性に触れることで、見えてくるものがあります。それが、唯一無二の自分です。つまり、つながりを学ぶことで、多様性を認め合う社会はもちろん、子ども自身のアイデンティティの獲得を実現できるのです。しっかりアイデンティティを確立できるからこそ、どんな時代であっても生き抜こうとする勇気が芽生えるのです。
つながりを大切にする教育。ぜひ考えてみてください。