認知症の人が見ている世界
2022年05月09日 (月)
理学療法士 川畑 智
今日は、認知症の人の世界観を理解したケアについて、「認知症当事者」である「ご本人」と認知症の方を介護・サポートする「介護者」の「世界観の違い」を比べながら、お話させていただきます。
まず、はじめに、皆さんは、「認知症」というと最初に、どんな症状を想像しますか?
物の名前や、人の名前が出にくくなる「物忘れ」、
しばらく経った記憶や、今しがたの記憶が苦手になる「短期記憶障害」、
同じことを繰り返し言ったり、聞いたりする などでしょう。
私たちは、「記憶の苦手」=(イコール)「認知症」と考えがちですが、認知症は、短期記憶の障害だけではありません。まずは、「認知症」を正しく理解するために認知症という言葉を、一文字ずつ分解して、考えてみましょう。
認知症の「認」は、「認識」の認。「わかる」という意味です。
次に、認知症の「知」。
知は「知識」の知です。「知っている」という意味です。
認知症の人は、生活の中で、「わかる(認)」と「知っている(知)」に苦手の波(症状)が起こる時があるため、「誤解」と「曖昧」の中で生活しているわけです。
認知症の人が見ている「世界」に目を向けケアの場面を考えてみましょう。
こんなケアの場面です。
まずは、【家族やケアをする人が見ている世界】です。
娘が認知症のお母さんからデイサービスはいつかと尋ねられ、明後日だと答えます。
娘はそのあとも何度も同じことを尋ねられます。
とうとう娘は怒り出してしまいました。
次に、同じ話を【認知症の人が見ている世界】から見てみましょう。
認知症のお母さんは、最近、忘れっぽく、娘に怒られてばかりです。
そのため、デイサービスがいつなのか忘れないように娘に何度も聞きます。
お母さんは、娘さんがなぜ怒りだしたのか理解できません。
「ケアする人が見ている世界」から見ると難なく覚えられる自分自身と比べるため「なんで覚えていないの?」「何回言えばいいの?」となり、質問が繰り返されると、ついイライラし、迷惑に感じてしまう…ケアする側によく見られるパターンです。しかし、「認知症の人が見ている世界」は、ケアする側の思いとは、全く違います。生活の中で、忘れてしまうことが増え、忘れること自体に不安を感じ、家族や周囲に迷惑をかけないよう「しっかり覚えておこう!」と頑張ろうとするわけです。ケアする側としては、「本人の努力であること」を理解し、本人が理解しやすいように、言葉を変えて伝え直したり、代わりに覚えておくので大丈夫、安心してもらって良いということを伝えることが大切になります。
次の場面です。
まずは、【家族やケアをする人が見ている世界】を見てみましょう。
家族が明日は外食しようと話しています。
認知症のお母さんに外食することを伝えますが、不安そうな顔をされます。
次に、同じ話を【認知症の人が見ている世界】から見てみましょう。
お母さんは、家族の会話が早すぎて、何を話しているのか理解できません。
「わ か っ た ?」と聞かれて「うん、わかった」と答えましたが、話についていけず疲れてしまいます。
「ケアする人が見ている世界」を見ると、こっちを向いていたので、話を聞きうなずいたので、わかっているだろうと思い、十分に伝わっていないと、ついイライラし、迷惑に感じてしまう…
しかし、「認知症の人が見ている世界」は、ケアする側の思いとは、全く違います。
単語の意味を理解しにくかったり、話のスピードを速く感じてしまい、「まるで映画の早送り」を見ているようだ。と訴える方もいらっしゃいます。相手に迷惑をかけないように分かったように話を合わせる。家族や周囲を思う人として「当然の思い」なのです。
私たちでも、話を聞き逃したり、「方言」や「外国語」のリスニングが上手くいかないとその場を分かったように振る舞うことがあります。
認知症の人は言葉の通じにくい環境で過ごしていると想像できれば、会話の中で
「ゆ・つ・く・り 話すこと」
「2・3語ほどの言葉で伝えること」
「身振りや手振りを先に出して伝えること」
を意識し、認知症の人の安堵、安心に繋げることができるでしょう。
今度はこんな場面です。実際の例で考えてみましょう。
まずは、【家族やケアをする人が見ている世界】を見てみましょう。
息子は認知症のお母さんが財布を探しているのを見かけます。
息子が見つけて、解決しました
ところが翌日、また「財布がない」と言われ、いい加減にしてくれと怒ってしまいました。
すると息子は、お母さんから、財布を盗んだのではないかと疑れてしまいました。
次に、同じ話を【認知症の人が見ている世界】から見てみましょう。
お母さんは、最近、財布をよくなくすので、なくさないようにと食器棚にしまいました。
しかし、どこにしまったかを忘れ、探しても出てきません。
頼りにしている息子に助けを求めますが、なぜか、怒って助けてくれません。
こんなに怒るという事は、もしかして、息子が盗ったのかしら?疑ってしまいました。
「ケアする人が見ている世界」を見ると、時間と余裕があれば、一緒に探すけど、毎回の探し物に付き合うのは、さすがに大変。なぜ、きちんと管理しないのか?と、無意識のうちに、責めたくなってしまいます。
しかし、「認知症の人が見ている世界」は、ケアする側の思いとは、全く違います。
家族や周囲の迷惑をかけないように、安全な場所にしまったはずなのに出てこないことが「不安」となり頼った人が、思った反応でないと「不安」が「不満」へ進み、不満が募ると、「不信」となり、相手を信じられなり「物盗られ妄想」に発展する。
最後は、「不穏」へと移行し、どう対応しても、穏やかでは居られなくなってしまう。
まさに、「不安→不満→不信→不穏」の悪循環になってしまいます。
私たちは、認知症の人の不安に早めに気づき、悪循環をできるだけ早く断ち切ることが大切になります。
まずは、「時間」と「場所」を共に過ごすように「付き添い」不安だったね、何か買い物だったの?と、「思い」も共に過ごすことで、付き添いを「寄り添い」へと変化させていく。
「認知症の人が見ている世界」に寄り添い、誰もが自分らしく、安心して暮らせるようにしていきたいものです。