「横綱・白鵬引退に思う」(視点・論点)
2021年10月19日 (火)
好角家・アーティスト デーモン閣下
大相撲で「最強」を誇った第69代横綱白鵬(36歳)が去る9月30日付で現役力士を引退した。しかし、その引退会見の前日に日本相撲協会の年寄資格審査委員会では白鵬の親方としての資質を疑問視する声が上がり、
「襲名を認めるとしても、条件を付けるべきだ」などの意見が出たという。そして、異例の誓約書付きでの年寄承認となった。内容は「新人の親方として、理事長をはじめ先輩親方の指揮命令・指導をよく聞き、与えられた業務を行うこと」、「大相撲の伝統文化や相撲道の精神、協会の規則、ルール、マナー、ならわし、しきたりを守り、そこから逸脱した言動を行わないこと」ということだ。
何故そんなことになったのか? 本日は吾輩なりの見解を申したいと思う。
ちなみに白鵬は現在既に「年寄間垣」になっているが、便宜上分かりにくいのでこの番組では「白鵬」と言う。
まずは、白鵬の数ある記録の中の「歴代第1位」をざっと紹介しよう。
幕内最高優勝45回 2位大鵬との差は13回。
幕内勝利数1093 2位魁皇との差は214。
横綱在位84場所 2位北の湖との差は21場所。
全勝優勝16度。 2位双葉山・大鵬との差は8回。
年間6場所15日制以降の連勝記録63。2位千代の富士との差は10。
ちなみに、昭和以降では双葉山の「69連勝」が史上最長の連勝とされており、
白鵬が唯一凌駕できなかった大きな記録である。
まだまだあるが、主たるものを紹介した。数字が凄いことが分かってもらえると思う。
さて吾輩は白鵬関とは、彼が新大関に上がるころから交流があった。初対面の時には、将来横綱に上がった場合きっと不知火型の土俵入りをすることになるであろうから、せり上がりの時の両腕のあげ方には「こんな意味があるんだよ」と吾輩が知ったかぶりに語った記憶がある。が、将来燦然と名を残す大横綱に何を言っていたのだろうと、今振り返るとかなり気恥ずかしい。
マスメディアや取材の場だけではなく、彼が立ち上げた国際交流を含む少年の相撲大会、言わば今後の力士を育てる活動「白鵬杯」の大会委員長を依頼されるなど、土俵の外でもしばしば親交を持った。
吾輩のことを「先輩!」と呼ぶ素顔の彼は、周りを明るくする能力にも長け、楽しい人物だ。非常に勉強熱心でもあり、頭脳明晰な人だと思う。必ずしも相撲に直結しない歴史の書籍を読むなどして、日本の先人の考えを学ぼうとした。それでも、いわゆる日本文化の奥の奥の「美徳」のようなものを、完全に理解することは難しいのかな、とも思わされる時はあった。
荒々しい立ち合いや勝負が決まった後の『駄目押し』、審判への抗議、表彰式中での1分間の黙祷、万歳三唱や三本締め…。確かに「ちょっとこれはこの場ではどうなのだろう?」ということは幾つかはあったが、例えば万歳三唱などは、彼の持ち前の『サービス精神』から来たものだと吾輩は解釈した。
以前何かの会話の中で彼は「良い白鵬と悪い白鵬がいるんです。土俵の上では時々悪い方が出ちゃうんですよね」と言った。要するに純粋な人なのだ。白鵬は思っていたに違いない。「史上最強」を目指して何がいけないの? と。
上記したようなことの積み重ねが白鵬批判を呼んだとも言えるが、そういった人々の深層心理には「もう十分に栄光を掴み取ったでしょう?記録が凄いからと言ってすべて良しではない」というものがあった。
「ただ勝てば良いというものではない」。日本では「勝ち方」や「勝ったあとの振舞い」も評価の対象となる。「控え目にしていないと嫌われるよ」と。無論、「道」の視点から批判する人の気持ちも分かる。
今回の吾輩の論点は、「スポーツ」と「道」との向き合い方の齟齬(そご)だ。スポーツなのだから「勝ちに行くのが当然」も正論。武道なのだから「勝つ以上に相手への礼節が肝心」も正論。
「大相撲」はスポーツであり且つ文化である。魅力的だ。スポーツの場合、勝つために「何でも試してやる」は当然だ。 立ち合いでの『張り手』や『かちあげ』はルール上禁止されているわけでは無いのに、例えば「横綱審議委員会」から苦言を呈されるなどは、若干「上げ足取り」でやや不公平なもの言いなのではないか? そこまで皆で目くじらを立てて批判すること、年寄を襲名する事に誓約書を書かせる程のことだったのか?と吾輩は疑問視していた。
これら権威ある立場の者からの視野・了見のやや狭い『物言い』や、相撲を取り終わった後の観客からのブーイングなど、外国出身者への幾分かの差別もあると吾輩は感じる。吾輩は世を忍ぶ仮の小学生時代、アメリカ合衆国で教育を受けた後に、日本で教育を受けたので、この感じが何となく分かる。
そもそも外国出身力士は「勝つために」祖国ではない国に来ている純真なアスリートであり、求道者ではないのだから。自国の「道」のことばかりをそんなにくどく言うのであれば、一層、「『道』の方がスポーツよりも大事だ」と明言し、外国からの力士招致ももう辞めないといけない。
さて、批判を受けたそれらを差し引いたとしても一方での白鵬の功績を忘れてはいけない。東日本大震災の復興支援では率先して被災地を巡り手数入り、土俵入りを披露し励まし、被災地に10年間の寄付を続けようと力士たちに呼びかけ決定させた。また、賭博や八百長、薬物など数々の不祥事に揺れ動いた角界を看板力士として何年間も支え続けた。これは数字とは別にもっと評価されて然るべきだ。
吾輩は当時、まだモンゴル国籍だった白鵬に「一代年寄」をあげてはどうかと発言した。これだけのことをしてくれたことに対して、日本人は感謝や礼の心を持つべきだと考えたからだ。それはどうやら叶わないようだが、平成22年七月場所、賭博問題で相撲協会が賜杯の授与を辞退し、優勝した白鵬が賜杯を抱けないことを悲しみ土俵上で涙したことを鑑みたのか、場所後に当時の天皇陛下、現在の上皇陛下から激励の書簡が届いて、いたく感動したという。これは心温まる格別な話として「道」の話をする関係者は胸に刻んでおかなければならない。
白鵬は自身の父親ジグジドゥ・ムンフバト氏(故人・モンゴル人史上初のオリンピックのメダリスト)が前回の東京大会に出場したこともあり、今回の東京五輪を、自身の引退の花道の何らかの目安としてきたはずだが、それもコロナ禍で1年延期に。タイミングを「肩すかし」され、延命させられてしまったようにも吾輩には映った。
白鵬時代が終わった後の角界はどうなってゆくのか? 同じく歴史的な相撲界での偉業を成し復活してきた新横綱・照ノ富士もケガが再発しない限りは安定感抜群だが、「そう長くは取れないと思う」と発言している。若手の大関たちも、順番にケガをしたり休場したりし、なかなか抜け出てくる者の予測が難しい。場合によっては『横綱不在』という『戦国模様』の事態も近未来で考えられる。
それにしても出場した最後の場所を全勝で終えたところなど、白鵬らしいなあと思わせられた。
我々異なる世界で生きている者も、白鵬から「負けない、諦めない!」の極意や、その心持ちの意義を学んだ。今後は後進の指導にあたると聞いている。親方としての「育成道」にも大いに期待したい。
そして長きにわたり大相撲界を支えてくれたことに最大級の感謝をしたい、一相撲ファンとして。
デーモンであった。ではまた会おう、ウハハハハハ~!