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「発酵文化の可能性」(視点・論点)

NPO法人発酵文化推進機構 理事長 小泉 武夫

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 「発酵」とは、目にも見ることのできない微細な生きものである微生物によって、人類の生活に役立つものをつくったり、つくらせたりする生命現象をいいます。その微生物には、人のためにとてもすばらしい働きをしてくれる「発酵菌」と、逆に悪いことをする「腐敗菌や病源菌」とに分けられ、良いことをしてくれる発酵菌の働きを「発酵」といいます。
今日は、私たちの暮らしのどんな場面で発酵が行われているか、また発酵がもたらす将来の可能性についてお話ししたいと思います。

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 発酵菌には納豆をつくってくれる「納豆菌」や、チーズやヨーグルトをつくってくれる「乳酸菌」、お酢をつくってくれる「酢酸菌」、味噌や醬油、日本酒をつくってくれる麴菌や酵母などがいます。
その発酵を利用した産業には、このように発酵食品をつくる発酵産業のほかに、医薬品を発酵生産する産業、化学製品を発酵によってつくる産業などがあり、また近年では発酵菌で環境を浄化するという産業もあります。
 図はそれらの発酵産業の業種別売上金額の比率ですが、発酵といえば食べものばかりと考えている人も少なくありませんが、実は発酵産業では、医薬品や化学製品の売り上げの方が多いのが現状です。例えば医薬品では全ての抗生物質は発酵でつくられ、また多くの制がん剤も微生物工業によって発酵生産され、今ではビタミンや特殊なホルモンまで発酵でつくられています。

 さて、以前私は『FT革命』という本を書きました。FとはFermentarion(ファーメンテイション)(発酵)、TはTechnology(テクノロジー)(技術)で、「発酵技術革命」ということです。人間の歴史の中では、これまで産業革命やエネルギー革命、最近ではⅠT革命など、さまざまな技術革命が行われてきましたが、発酵技術でも人にやさしく、自然にやさしく、地球にもやさしい技術革命は可能だと私は考えています。

 すなわち、20世紀で人間が解決できなかった四つの分野、「医療と健康の問題」、「環境の問題」、「食糧問題」、「無公害エネルギーの生産」は発酵技術によって解決が可能なのだ、という指針であります。
 具体的には「医療と健康の問題」では、未だにがんの特効薬やウイルス性疾患への特効薬、免疫賦活(ふかつ)剤の開発など、人類が成功していない分野を発酵微生物によって解決しようというものであります。

すでに今は多くの制がん剤や抗生物質が微生物によって生産され、またこの数年のノーベル医学・生理学賞の日本人受賞者にも、これらの分野での業績で授与されたのは記憶に新しいことです。

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 一例ですが、この写真は私たちの研究で行ったがん細胞発生を抑制する実験で、ある特殊な糸状菌を培養して、その培養液からがん細胞の発生を抑制する成分を分離抽出して、それをがん細胞を移植したマウスに投与すると、がんが抑えられる、という研究です。
このような研究をもっと進めて、さらなる有効な発酵菌を分離応用すれば、ヒトに対しても不可能ではないと考えています。
 次に「環境の問題」です。汚水はすでに、発酵によって活性汚泥法やメタン発酵法などで処理され、きれいな水の再生に成功していますが、問題は生ごみです。全国の自治体の大半が今は生ごみをごみ焼却炉で燃焼処理しています。これでは地球温暖化の主な原因とされる二酸化炭素(CO2)の排出量が増えるばかりでなく、焼却灰の危険性も指摘され、さらに住民の税金によって支払われる燃料代も安くはありません。

 しかし、生ごみを発酵処理することでそれらの問題は一挙に解決されるのです。すなわち生ごみの有機物を発酵菌に分解質化させて、完全な無機質(土壌)に変換させるのです。昔の人たちはこの発酵した土壌を「堆肥」と呼んで、米や野菜、果物などをつくる田畑に撒き、安心、安全で美味しい農産物をつくっていたのです。

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 図は福島県須賀川市にある、私が関わっている世界最大級の生ごみ発酵処理施設です。
長さ100メートルもありますが、入口に生ごみを投入すると、発酵温度90℃以上で旺盛な発酵が起り、25日後には100メートル先の排出口から肥沃でまっ黒い土が出てきます。人出は一切かからず、一年中発酵菌が働いてくれるので、格安で処理ができ、その上、得られた土は付近の農家で使ってもらって、美味しい有機農産物をつくっています。このような施設が全国に展開できるよう願っています。

 次に「食糧問題」です。発展途上国の人口増加は著しく高まっていて、国連の推計によると、現在約79億人の地球人口は30年後には97億人まで増加するとされていて、このままであると将来は貧困と飢餓が著しく増加するとされています。
 それでは、発酵によってどのようにして食糧を増やしていくのでしょうか。実はすでにアンモニアや尿素のような窒素成分から多種のアミノ酸を発酵生産しているのが現状で、得られたアミノ酸を重合させれば肉の主要成分のタンパク質が得られ、また肉のうま味であるイノシン酸も発酵によってつくられるのです。つまり合成肉の誕生というわけです。
 また、地球上には数億トンともいわれているもの凄い枯葉が毎年地上に降り落ちてきますが、これの有効利用はありません。ところが、枯葉は繊維でできており、この繊維はぶどう糖でできています。植物繊維を分解する微生物は少なくないので、これの強力分解菌を見つけることにより、枯葉から人間が生存していくのに不可欠なぶどう糖が大量に得られるので、食糧不足の時の有効な切り札となるでしょう。
 最後は「無公害エネルギー」の生産です。すでにこの種のエネルギーは、風力発電や太陽光発電などで実用化が進んでいますが、実は発酵によっても強力なエネルギーが生産されているのです。例えばメタンの発酵生産やバイオマスです。

また今、最も注目されているのが「水素細菌」の応用です。

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水素細菌という特殊な菌に水素をつくらせ、その水素を燃料にしようというものです。水素細菌は水を分解して酸素と水素にし、その水素を菌体外に排泄するので、それを集めてエネルギー源にするのです。得られた水素(H2)に火(O)をつけると爆発してエネルギーが得られますが、その時には水が副産されます(H2+O→H2O)。すると、またこのエネルギー生産原料の水に戻りますので、うまくいけば水から永遠にエネルギーが得られるという考えです。そしてその水素細菌の栄養源は生ごみを分解したものを使おうというのです。すると生ごみも処理できるし、エネルギーも格安で生産される、という画期的なものです。

 以上述べたように、目にも見ることのできない微細な生きものの微生物を応用して発酵を行なうことにより、将来人間が開発しなければならないさまざまな医薬品、例えばがんの特効薬や抗ウイルス剤などをつくることができるでしょうし、また将来起ってくる食糧問題、さらには生ごみを発酵させて土にし、豊かな自然をつくること、そして全く新しい無公害エネルギーなどの生産も不可能ではありません。発酵によって、現在のこうした問題を解決する新たな産業革命が起こり得るでしょう。

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