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「人新世の危機とマルクス」(視点・論点)

大阪市立大学 准教授 斎藤 幸平

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 この一年間で私たちの生活は激変してしまいました。新型コロナウイルスがすべてを変えたのです。果たして、いつになったら元の生活に戻れるでしょうか。ワクチンに期待している人もいらっしゃるかもしれません。
 でも、こう言わねばなりません。もはや元の世界には戻れないし、戻ってはならないのです。現代社会の格差拡大と環境破壊を止めるためには、資本主義のグレートリセットが必要ではないでしょうか。

そしてそのために、ドイツ人思想家カール・マルクスの理論が役に立つということを今日はお話したいと思います。

 コロナ禍は、現代社会の様々な問題を可視化しました。経済格差はとりわけ深刻です。
世界の富裕層上位26人が、下位半分38億人と同じだけの資産を持っていますが、昨年の春以降、米国では超富裕層がさらに資産を増やす一方、多くの人々が失業し、困窮しました。
 環境破壊も止まりません。コロナ禍の一因は、野生動物取引やアグリビジネスのための自然の乱開発と言われています。また、過剰な森林伐採によって気候変動も深刻化しています。急激な環境変化に耐えられない動物たちは数を大きく減らしており、生き残りをかけた動物の大移動は未知のウイルスが社会へ進入するリスクを高めます。パンデミック、気候変動、生物の大量絶滅は、どれもつながっているのです。

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 かつてマルクスは、『資本論』のなかで、無限の経済成長を目指す資本主義が、格差を生み出すだけでなく、人間と自然の関係を大きく歪め、「修復不可能な亀裂」を生み出すことを批判していました。事実、今日(こんにち)の経済のグローバル化によって、人類の経済活動はこの惑星全体を覆うようになり、もはや地球上に手つかずの自然は残っていません。人類は地球環境を一変させる巨大な力を行使するようになっているのです。

 こうした状況を前に、ノーベル化学賞受賞者であるパウル・クルッツェンは、地質学上の新たな時代区分として、「人新世」(ひとしんせい)という呼び方を提唱しました。「人新世」とは要するに、人類の経済活動の痕跡、例えば、ビル、道路、農地、ダム、ゴミ捨て場などが地球の表面全体を覆ってしまっている時代のことを指します。その結果、気候変動やパンデミックのような世界規模の危機こそが「人新世」のニュー・ノーマルになっているのです。果たしてこの危機に立ち向かうにはどうしたらいいでしょうか。

 今世界では、SDGs、持続可能な開発目標に注目が集まっています。例えば再生可能エネルギーや電気自動車などで「イノベーション革命」を起こし、貧困も気候変動も解決しようというのです。
 実際、脱炭素化を実現するためには、再生可能エネルギーへの転換はもちろん、電気自動車、水素飛行機で、既存の火力発電や移動手段をすべて置き換えねばなりません。また、農業の耕作機械や化学肥料、建設業のセメント、家庭用のエアコンなども二酸化炭素の大きな排出源なので、これらも完全に置き換える必要があります。つまり、私たちの身の回りにあるものの大半を、今後数十年で完全に取り換えなくてはならないのです。

 政府は大規模の財政出動と公共事業によって、労働者たちにとっても、より安定した、高賃金の仕事を創り出しながら、持続可能な経済への転換を目指しています。格差も環境問題も一挙に解決するような、そんな夢のような未来のビジョンがSDGsにはあるように思えます。
 でも、本当にうまくいくでしょうか。電気自動車や太陽光パネルを作るためには、ラテン・アメリカやアフリカでの大規模な採掘が必要になってきます。すでに現地では、環境破壊や児童労働などが問題になっています。資本主義を持続可能なものにするという名目のもとで、高所得国で暮らす人々の生活のために、これまで以上に低所得国からの収奪が強まってしまうのです。

 また、新しい緑の仕事によって生まれた人々の経済的な余裕が、より環境に優しい活動に使われる保証はどこにもありません。むしろ、ますます多くの財やサービスが消費されるようになり、エネルギーや資源の消費量も増大し、結局は、「緑の資本主義」が地球環境を破壊してしまう、そんな結果になりかねません。
 そもそもの問題として、経済成長を続けながら、環境負荷を減らしていくことには困難があります。まず環境に良いものをつくるためにも、当然、環境負荷がかかってしまいます。また、生産性を上げ、効率化を進めても、その分商品の価格が下がっていけば、需要が増え、効率化の効果は半減してしまいます。さらにリサイクルや再利用のためにも、追加のエネルギーは例外なく必要ってきます。

 だとすれば、どこかで経済規模を縮小する必要があります。つまり、無限の経済成長を至上命題とする資本主義に緊急ブレーキをかけない限り、「人新世」の危機から脱する道はないのです。だからこそ、人新世の時代に必要なのは、資本主義そのものに挑むカール・マルクスの思想なのです。

もちろん、ソ連や中国のようないわゆる社会主義国家も、深刻な環境破壊を引き起こしました。けれども、近年のマルクス研究によって明らかにされつつあるのは、晩年のマルクスが環境問題を熱心に研究し、技術楽観論を捨てたという事実です。

それどころか、最晩年には、平等と持続可能性のために、「脱成長」の立場を受け入れるようにさえなりました。資本主義による労働者と自然の搾取の両方を解決するヒントが、まさに晩期マルクスの「脱成長コミュニズム」というビジョンの中にあるのです。「人新世」の環境危機を克服するためには、経済成長のための競争を止め、経済をスローダウンする必要があります。それが脱成長です。けれども、それだけでは不十分です。平等な社会のためには、今ある富をシェアする社会へと転換しなくてはなりません。
その鍵となるのが、〈コモン〉です。
 資本主義では利潤獲得のために、地球上のあらゆるものが商品化されていきます。けれども、商品にはお金を持っている人しかアクセスできないため、商品が増えるほど、人々の生活は不安定になっていきます。しかし、水や電力、住居、医療、教育など、誰もがそれなしに生きていけないものは、商品化すべきではない。社会的に共有され、管理されるべきでしょう。これが〈コモン〉=公共財という考え方です。
 そして、このコモン型社会こそ、マルクスの考えたコミュニズムです。ここで重視されるのは、市民たちが自らの手で民主的に管理すること。〈コモン〉とはアメリカ型新自由主義とソ連型の社会主義のどちらとも違う、第三の道と言っていいかもしれません。
 <コモン>を増やすことで、経済格差を是正し、生活に必要なものを無償で提供することで、人々を絶えざる労働へのプレッシャーから解放することができます。労働時間の短縮はマルクスが最も重視していた社会改革の一つでした。環境問題という観点からも、不要な労働を減らすことは望ましいでしょう。

 地球の限界を前にして、さらなる経済成長のための競争を煽り、強者による富の独占を正当化する資本主義システムは、もはや時代遅れではないでしょうか。事実、ワクチンを先進国が独占しても、パンデミックは終わりません。同様に、気候変動対策のリソースも先進国が独占していては、世界全体の脱炭素化は不可能で、気候危機はむしろ深まっていきます。
 今必要なのは、できるだけ多くの富を<コモン>としてシェアし、そして一緒にスローダウンしていく「脱成長コミュニズム」への大転換なのです。

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