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「混迷するミャンマーの行方」(視点・論点)

京都大学 准教授 中西 嘉宏

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ミャンマー情勢が渾沌としています。今年の2月1日、ミャンマーで軍事クーデターが発生しました。その後、クーデターに抵抗する市民たちの運動が各地に広がりました。こうした抵抗に対して、軍は、弾圧に乗り出しました。弾圧は現在も続いており、主に市民側に多くの犠牲者が出ています。

本日は、この混迷深まるミャンマー情勢と今後の行方についてお話いたします。

まず、今回のクーデターを簡単に振り返っておきます。

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今年、2月1日の未明、ミャンマー国軍は、政府の最高指導者であるアウン・サン・スー・チー国家顧問や、ウィン・ミン大統領など政権幹部を拘束しました。

その後、憲法417条にもとづいて、非常事態宣言を発令します。国家の全権が国軍最高司令官であるミン・アウン・フライン将軍に移譲されました。

非常事態宣言の理由は、昨年11月の総選挙での国民民主連盟(NLD)による選挙不正疑惑です。NLDの議長はアウン・サン・スー・チーです。この選挙ではNLDが大勝していました。クーデターが起きた2月1日は新しい議会の招集日でした。不正で当選した議員たちを議会に招集することは、非常事態にあたる。軍はそう説明しました。

しかし、この説明に納得する市民はわずかでした。その結果、軍に対する抵抗がミャンマー全土に広がることになります。

次に、市民の抵抗についてお話します。クーデター直後こそ静観している人々が多かったものの、すぐにクーデターに反対する動きが広がりました。

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2月22日には、数百万人の人々が全国で軍に抵抗するデモやストライキに参加したといわれます。

デモやストライキへの参加者は実にさまざまでしたが、運動を引っ張ったのは、Z世代と呼ばれる若者たちでした。1990年代後半以降に生まれた彼ら/彼女らは、2011年の民政移管を機に進んだ、この国の自由化と民主化の申し子です。この、Z世代をはじめとして多くの人々が、今回のクーデターに憤り、長く続いた、かつての軍事政権時代に戻りたくないという意思を、行動で示したわけです。

街頭でのデモばかりでなく、職場をボイコットする不服従運動(CDM)も公務員を中心に広がりました。インターネット上での抗議活動も活発に展開されています。

こうした抵抗に対して、軍は次第に強硬姿勢を強めるようになりました。その傾向は、2月末から顕著になります。デモ隊に対する実弾の使用を含めた暴力的鎮圧、デモ参加者の拘束、不服従運動に参加した公務員の解雇や逮捕が続いています。夜間外出禁止令、集会の禁止、インターネット接続の一部遮断、民間新聞の発行ライセンス剥奪など、ありとあらゆる手段を講じて、抵抗する市民の動きを、軍は封じ込めようとしています。

犠牲者数については、ミャンマーの非政府組織である政治犯支援協会(AAPP)によると、クーデターから4月18日までに、737 人が亡くなり、3229人が拘束されています。軍は、デモ隊に対して、対戦車用のグレネード・ランチャーや迫撃砲など、主に戦場で使用される殺傷能力の高い武器を使用したともいわれています。

こうした事態にNLDも黙ってはいません。
アウン・サン・スー・チーら幹部は拘束されたままですが、残された党員たちは、クーデターから4日後には連邦議会代表委員会(CRPH)という、軍に対抗する組織をつくりました。そして、4月1日には、国民統一政府(NUG)という独自政府をつくることを宣言し、統治機構の新しい構想も発表しました。4月16日にはNUGが正式に樹立、発表された閣僚名簿には、まだ拘束されているアウン・サン・スー・チーの名前もあります。

CRPHは、軍に真っ向から対抗しているといってよいでしょう。CRPHには、ミャンマー国内はもとより、 欧米の国々や国連などでも支持が寄せられています。他方でミャンマー国軍は、CRPHを敵視し、非合法組織に指定するとともに、幹部を指名手配しています。その協力者に対しても、厳しく対処すると警告を発しています。両者の対立は日々深まっているといってよいでしょう。

では、これからミャンマーはどうなっていくのでしょうか。事態は刻々と移り変わっており、予想することは簡単なことではありません。そのなかで、懸念される事態について3点申し上げます。

まず、最初の懸念は、弾圧による犠牲者の増加です。軍は、弾圧の手を緩める様子を見せていません。第一の都市であるヤンゴンではデモの数が減っており、軍がその暴力的な統治に自信を深めている可能性があります。一方で、抵抗する若者たちも簡単には引き下がりそうにありません。各地で衝突が続き、犠牲者が増えていきそうです。

第2に、少数民族武装勢力との戦闘の激化が懸念されます。ミャンマーには約20の少数民族武装勢力が、主に国境地帯にいます。そのうち、北部のカチン独立機構、東部のカレン民族同盟が、クーデターへの反対の意思を表明し、軍との戦闘が激化しています。全国的な内戦に発展する可能性はまだ低いですが、こうした戦闘が、他の武装勢力と軍との間でも広がっていくかもしれません。

第3の懸念は経済の混乱です。
2月1日のクーデター以降、軍とデモ隊との衝突や、不服従運動の影響で、政府機関や経済が一部麻痺する事態が続いています。3月の半ばからは、次第に回復する傾向が見られますが、それでもクーデター前の状況にはまったく戻っていません。国際金融機関である世界銀行は、ミャンマーの今年度の成長率を、マイナス10%と予測しています。物価高騰や食糧難、貧困の増大など、経済的な危機の発生が懸念されています。

これらの懸念があるなか、現在のミャンマーの混迷を収束させるために、日本をはじめとした国際社会にできることはあるのでしょうか。

これまでの事態の推移を見る限り、経済制裁のような強い措置をとったとしても、あるいは、より建設的な働きかけを試みたとしても、軍が民間人に対する暴力を停止するようには思えません。アウンサンスーチーの解放も望みが薄いでしょう。

また、国際社会も、強い制裁を望む欧米諸国と、内政不干渉を掲げる中国、ロシアとのあいだで足並みがそろっていません。メンバー国としてミャンマーを受け入れてきたASEAN諸国の働きかけも、まだ実を結んでいません。独自の役割を果たすことを目指す日本政府も、いまのところ無力という他ありません。外交が影響力を発揮して事態をおさめられる可能性は今は低いといえます。

しかし、あきらめてはならないでしょう。日本を含めた国際社会は、軍のクーデターを認めることなく、引き続き、民間人への暴力の停止と、民主的に選ばれたアウン・サン・スー・チーらの解放を求めるメッセージを出し続けるべきです。

また、現代は、国境を越えた市民社会同士のつながりがあります。政府を頼らずとも、市民がミャンマーの危機を救うために直接、行動ができる時代です。現状の混乱が、ミャンマーの市民に与える悪影響を緩和するために、多くの支援の試みが世界中にすでにあります。その一部には、インターネットをつかえば、どこからでも参加できます。こうした、市民社会による国境を越えた支援も問題解決には不可欠でしょう。

ミャンマーがこれからどうなるのか、誰にもわかりません。ですが、最終的に、軍と、NLDおよび市民、双方の間になんらかの和解が成立しない限り、平和がこの国に訪れることはないでしょう。それまでの道は、果てしなく遠く感じますが、アジアの地域大国として、日本政府も我々も、粘り強く、この困難な課題に向き合う必要があります。

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