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「『タバコ』が拓く未来の接ぎ木」(視点・論点)

名古屋大学 生物機能開発利用研究センター准教授 野田口 理孝

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名古屋大学の野田口と申します。本日は、私たちと生活を共にする植物について、大学で行われている研究の話をしたいと思います。

皆さんは接ぎ木という技術をご存知でしょうか。接ぎ木は、何千年も前から人類が活用してきた植物の栽培方法で、2種類の植物を茎を切ってつなぐことで1つの植物体として育てる技術です。この技術をうまく利用すれば、現代の環境問題の解決の糸口となるのではないかと考えています。

植物は私たちの生命の源であり、食糧として、家畜の飼料として、エネルギーとして、二酸化炭素を固定して酸素を生み出す存在として、植物は私たち人類を含む動物にはなくてはならない存在です。
ですから、私たちの暮らしには、植物と共に生きていくための術を持つことが大切だと私は考えています。森林を守ることも育てることも重要です。食糧としての農作物を栽培することも重要です。同じ地球上の植物と共に上手に生きていくことが、これまでもこれからも必要です。

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しかし、植物と共に生きる上で、現在の私たちのおかれている状況は、易しくはありません。地球規模の温暖化をはじめとする環境変化、世界的な人口増加、それを支えてきた資源投入型の農業スタイル、いずれもが将来の私たちにとっての植物の栽培を難しくしています。
例えば、気温が上がると、土は乾燥して、植物が育ちにくくなります。土が乾燥すると、土壌中にわずかに含まれていた塩分の濃度が高まって塩害が発生することがあります。また、風によって土壌表面が削られて、そこに住んでいた微生物が飛ばされてしまい、植物の成長に必要な栄養分が失われてしまうといったことも起こります。他にも、局所的な大雨や洪水は、植物の病気の蔓延など、その栽培に大きな被害をもたらします。このように、環境変動によって植物の栽培も大きく影響される場面が増えてきています。現代では、農作物を育てるために開墾された世界の耕作地のうち、およそ4割がなんらかの理由でストレス土壌となっており、私たちの生命を脅かす事態となっています。

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そうした中で、私たちが着目したのが冒頭でお話しした接ぎ木の技術です。例えば、農作物をストレス土壌でも育つことのできる植物の根の上に接ぎ木して育てれば、ストレス土壌の上で農作物を収穫できるかもしれません。
このように、片方の植物の良い特徴と、もう片方の植物の良い特徴を、同時に発揮させることができるのが接ぎ木です。接ぎ木しても、それぞれの植物の遺伝情報は変わりませんので、生態系に及ぼす影響やリスクも抑えることができます。また、植物の生育・栽培には土壌微生物の存在がとても重要なことから、接ぎ木によってそうした微生物との共生関係を有効に利用することもできるのではないかと考えています。

こうした利便性の高い接ぎ木ですが、技術的な制約が知られます。その最たるものは接ぎ木の親和性です。私たち人間の場合も、病気の治療で臓器を移植する際には、免疫による拒絶反応が問題となることがありますが、植物の場合もどんな植物でもつながるわけではありません。これまでの2000年を超える接ぎ木の歴史の中で、一般に近縁な植物であるほど接ぎ木は成立しやすく、反対に遠縁になるほど接ぎ木ができなくなっていくことが分かっています。したがって、環境ストレスに強い植物が自然界に見つかっても、仲間同士でなければその植物を接ぎ木して直ちに利用することはできません。そこで、接ぎ木の現象をより詳細に理解することで、接ぎ木の親和性が低い場合には、その接着を助けることができないかと私たちは考えました。

接ぎ木は科学的な検証がまだそれほど進んでおらず、接ぎ木親和性の原理については分かっていませんでした。私たちは研究を進めていく過程で、この現象を紐解くブレークスルーとなる発見に出会いました。これまでの接ぎ木の常識を覆して、遠縁な植物であっても一定の短い期間であれば組織をつなげておくことのできる例外的な植物が存在することを見つけたのです。

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それはタバコ属植物でした。試験してみたところ、タバコ属植物は、73種38科の植物と少なくとも一月ほどの間はつながって生存することができました。

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私たちはこの接着現象を理解するため、まず接ぎ木部位の細胞の形態観察を行いました。植物の細胞は、細胞の周辺に細胞壁という多糖類の堅い壁を持ちます。この細胞壁によって、外界から身を守り、体を堅固に保持することができ、例えば樹木のように大きく成長することができます。接ぎ木部位を電子顕微鏡によって観察すると、接ぎ木した境界面の細胞では、この堅い細胞壁が薄く消化され、接ぎ木された植物の細胞同士が互いに密着してつながっている様子が観察されました。反対に、接ぎ木の親和性が低く、つながらない植物の組み合わせでは、細胞壁は消化されずに残ったままで、細胞同士がつながる様子は観察されませんでした。したがって、これらの観察から、接ぎ木した境界部分の細胞の細胞壁が消化され、つながることが、接ぎ木の成立には重要であることが推察されたのです。

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この細胞の接着の分子機構を明らかにするため、接ぎ木した植物の中で働く遺伝子の挙動を詳細に調べました。その結果、接ぎ木した部分をつなげるためにたくさんの遺伝子が働いていることが分かってきました。中でも、細胞壁の主要な成分であるセルロースを分解する酵素が活発に働いていることが見出されました。いくつかの生物学的な実験によって、そのセルロース分解酵素(GH9B3クレードのβ-1,4-glucanase)が接ぎ木の接着を促進する重要な鍵因子であることが科学的に証明されたのです。
興味深いことに、この酵素は植物が傷ついたときに傷口の修復に働くことも分かり、植物が厳しい自然界で生き残る能力の一つがこの研究で同時に分かりました。

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この発見を受けて、実際にセルロース分解酵素を接ぎ木部位に人工的に与えると、接ぎ木の接着力を高めることができることも分かりました。さらに、タバコ属植物の茎の一部を中間台木として使って、本来は接ぎ木することが難しかった組み合わせの接ぎ木にも挑戦しました。地球上でもっとも繁殖するキク科植物の根の上に、タバコ属植物の茎を挟んでトマトを接ぎ木したところ、接ぎ木してから3ヶ月後にトマトの果実を実らすことに成功しました。実ったトマト果実はとても小さいく、この技術がすぐに実用できるわけではありませんが、研究を続けていくことで、未来の社会に有効な知見や技術が生まれることを期待しています。

今回の接ぎ木の研究を通して、植物のしなやかさや強靭さを学ぶことは多く、新しく見つかってきた生命現象は、単純に接ぎ木技術への利用展開には止まらないと考えています。接ぎ木研究を一つの切り口として、私たちにとって大事な存在である植物について理解を深め、地球上の植物を保全し、また利活用し、ひいては私たちの生活を守っていけたらと考えています。

植物が関係する産業分野の規模は他の産業分野に比べて決して大きくはなく、目前に迫る課題へのアプローチもまだまだ限られているのが現状です。だからこそ、植物の重要性を理解し、社会全体で課題に取り組むことが重要です。

今の子供たち、そしてその先の未来の子供たちが豊かに生活していける社会につながるよう、今を生きる私たちが取り組みを続けて行くことはとても大事なことだと思います。

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