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「『アラブの春』から10年 中東のいま」(視点・論点)

千葉大学 教授 酒井 啓子

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10年前、中東地域にはいわゆるアラブの春が吹き荒れました。
何十年もの間、権威主義体制が続いてきたアラブ諸国で、政権打倒を訴える民衆デモが、次々に発生したのです。この現象が、ちょうど冷戦時代に東欧で自由化、民主化を求めて起きた、「プラハの春」を想起させることで、「アラブの春」と呼ばれました。

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発端は、2010年12月のチュニジアでした。露天商を営むブアジジという青年が、警察に違法営業をとがめられ、焼身自殺したのです。それをきっかけに、民衆の社会的、経済的不満が政権に向かいました。全土でデモが繰り広げられた結果、ベンアリ大統領は国外に脱出し、23年間の統治に終止符が打たれました。
この民衆による抗議運動は、エジプト、イエメン、バーレーン、リビア、シリアなどにも波及しました。
エジプトでは2月11日にムバラク大統領が辞任に追い込まれ、イエメンでは年末にサレハ大統領が権力移譲を約束しました。リビアでは8月に首都が陥落したのち、42年間権力者の座にいたカダフィ大佐が殺害されました。抗議運動は、規模の違いはあっても、アラブ諸国22か国のうち、20か国で起きました。
しかし、その後の展開をみれば、今はむしろ「アラブの冬」といわれるほど、事態は逆戻り、あるいは悪化しています。
その最悪の例が、シリアです。2011年3月に始まった地方での反政府運動は、国軍による弾圧や外国による介入などによって内戦へと発展しました。さらに2014年以降は武装勢力「イスラム国」(過激派組織IS・イスラミックステート)が拠点を築き、数百万もの難民が発生しました。同様にリビアも、新政権が成立したものの、地方間対立や周辺国の介入により、現在も内戦が続いています。
政権交代が実現したのに、その後軍事政権に戻った国もあります。エジプトでは、ムバラク退陣後、議会と大統領が選挙で選ばれましたが、そこで成立したムスリム同胞団主導の政権に対して、再び大規模な抗議運動が起きました。その対立のなかで、2013年7月には軍が介入、ムルスィー政権を引きずり下ろし、シシ国防相が翌年の大統領選挙で圧勝して、軍主導の政権が成立しました。

この現状をどう考えればよいのでしょうか。この10年間、「アラブの春」がもたらした成果はなにか、失敗の原因は何だったのでしょうか。
注意しなければならないのは、「アラブの春」は決して「民主化要求運動」ではなかったことです。「アラブの春」という名づけが欧米のメディアによってなされたことからもわかるように、「アラブの春」は中東に民主化の波が到達した証だ、と思われがちです。しかし、政権打倒に向かった人々のなかには、民主化という明確な青写真があったわけではありません。「アラブの春」では、さまざまな勢力、階層、世代の人々が一斉に抗議運動に参加したことで、政権に圧力をかけることができました。ですが、それは同時に、運動内部で政治的なコンセンサスが成立していなかったことを表します。現在の政権を倒すことしか、共通点はありませんでした。
このことが、「アラブの春」失敗の最大の原因といえます。「アラブの春」の特徴は、運動を指導する明確な指導層がなかったこと、そして参加した人々が、政党のような形で組織化されていなかったことにあります。そのため、政権交代後の体制を担える政党が存在しませんでした。
結果、エジプトのように、長年非合法活動を続けてきたイスラム政党が選挙で勝利することになり、その後の政体の在り方をめぐって、世俗派とイスラム主義派の間の分断が露呈化することになったのです。
第二の失敗は、軍の権力強化を招いたことです。チュニジアとエジプトで政権が倒れた最大の原因は、国軍が政治指導者を見捨て、抗議運動に立った民衆を弾圧しなかったからです。反対にシリアでは、軍が政権側に立って反体制派を徹底的に鎮圧したため、アサド政権は維持されました。この事実は、各国の政権に軍の重要さを改めて知らしめ、権力維持のためには、一層徹底した軍による統制強化が必要だ、との認識を生んだものと考えられます。
第三は、国際社会、特に欧米諸国の中途半端な関与です。政権交代が実現したチュニジア、エジプトでは、国際社会からの抗議運動に対する関与はほとんどみられませんでした。しかし、リビアやシリアでは、紛争の過程でアメリカやロシアなどが軍事介入し、内戦を複雑化させました。
第四には、こうした国際社会のあいまいな姿勢が、周辺国の介入を加速化させたことがあげられます。エジプトで政権が倒れたとき、アメリカがムバラクを救おうとしなかったことで、同じ親米の中東諸国の間に、対米不信が生まれました。特にサウジアラビアは、「アラブの春」の結果イスラム主義政党が台頭することを恐れ、ムスリム同胞団を非合法化したエジプトのシシ政権を全面的に支えました。反対に、イスラム主義政党を支援するトルコやカタールは、リビアやシリアの内戦でイスラム勢力を支えたと言われています。イエメン内戦でイランとサウジアラビアがそれぞれ対立する両者を支援して、最悪ともいえる人道的危機を引き起こしていることは、国際社会が懸念するところです。

では、アラブの春はなにも成果を残さなかったのでしょうか。

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アメリカにあるアラブセンターが、昨年11月に発表した世論調査によれば、アラブ諸国13か国の人々は、「アラブの春」の発生から1-2年後には六割以上が、「アラブの春は起きて良かった」と積極的に評価していましたが、2014年にはその評価は半分を切り、2015年には三分の一程度にまで減少しました。「アラブの春」に失望し、評価が低くなったのです。
しかし注目したいのは、2019-20年にはその数字が再び六割弱まで増えていることです。
その背景にあるのは、2018年から再び、アラブ諸国で民衆による抗議運動が活発化し、一部の国で政権交代が実現したことです。

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スーダンでは、2018年から始まった反政府抗議デモによって、30年間大統領位にあったオマル・バシールが2019年四月に退陣しました。また同月アルジェリアでもブーテフリカ大統領が辞任しました。政権交代には至らなかったものの、2019年10月にはイラク、レバノンで大規模な反政府抗議デモが発生しました。
こうした、「アラブの春」第二弾ともいえる民衆の抗議活動が、10年前とは異なる国で新たに起きているということは、「アラブの春」が持つ正の遺産が、アラブ諸国全体に引き継がれているといえるかもしれません。
その正の遺産とは何でしょうか。それは、若者が声を上げて自己主張した、という経験と記憶です。長期政権のもと、富や権力にあずかれない若者たちの間には、挫折と諦念しかありませんでした。それがテロへと向かう一因でもあったわけです。
しかし、10年前のアラブの春は若者が初めて声を挙げて直接政権と向き合う出来事でした。そのことで若者の意識転換がなされたといえるでしょう。アラブの春が組織的な運動ではなかったことは、誰でも容易に始めることができるという、先例として、後の運動に受け継がれています。
その意味では、アラブの春は、今後も数年単位で繰り返される波のような運動として、続いていくのではないでしょうか。

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